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大逆事件サミットの報告

2018/10/10(水)
先週金曜日(5日)車に同乗予定の1人が入院の為、3名が夜8時に四万十市を出発。
当初10時出発の予定でしたが、折からの台風襲来により南海フェリーが欠航。となると、いつ何時橋が通行止めになるかもしれないので、出発時刻を2時間早めました。
コースは運転者のMさんの心づもりでは、徳島から淡路経由だった。
私は、一番早く橋を通過できるのは瀬戸大橋コースだから、そちらに変更して…と要請。
それが正解だったのは、翌朝に証明されました。

11時前には瀬戸大橋に差し掛かりました。風はまだ大したことはない感じでしたが、早くも2輪車は通行規制がかけられていました。
まあ、早く出かけたため、時間はたっぷりあるので、途中でゆっくり休憩しながら、翌朝、当初通行予定していた明石大橋の近くを通過。電子掲示板には《通行止め》の表示が出ていました。
コース変更して正解でした。

ここからは阪神高速で大阪へ入り、臨海線で関空の横を通り、和歌山へ入りました。
運転は、ずっとMさん1人でしたので、2時間ほど休憩し、
Mさんに仮眠をとってもらいました。

朝4時前に運転再開、田辺からは高速を降り、山沿いの道、中辺路を通りました。
台風のせいなのか雨が続いています。目的地は熊野本宮大社です。朝6時ころ着きました。
2050年の歴史を持つ神社とのことですが、本当なのか?との素朴な疑問が生じました。時代構成のあいまいな「古事記や日本書紀」形式の、いい加減な年代測定ではないのか?と無神論者の私は、不敬な発想を燃やしています。(笑)

不敬と言えば、そうそう、本来の目的地はここではないのです。この近くに「大逆事件」で冤罪に処せられた「成石兄弟」の墓があり、そこを訪れるのが本来の目的でした。ナビで墓を探しても分からないので、とりあえず近くの熊野本宮大社を目指したのです。

それから少し新宮方面へ向かうと、ちょっと迷いましたがありました。成石兄弟の墓の案内板が。
初めて墓を訪ねたい人は、バス停の成石を目標にした方が解りやすいでしょう。
案内板のすぐ近くにバス停があり、その前の石段を上ると、成石兄弟の墓があったのです。

(▼下の写真)

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以下、本宮町「大逆事件」犠牲者の名誉回復を実現する会・趣意書…より

「大空のタコや故山の子思ふ」
 これは1911年(明治44年)1月2日に東京監獄で、成石平四郎(28才)が一人娘の意知子を思い読んだ句である。また母の於里乃に宛てた手紙に

「行く先を海とさだめししづくかな」              との辞世の句が記されていた。

「大逆事件」は時の国家によって捏造されたものであることがはっきりしており、全くの犠牲者であります。さらに悲惨なことには平四郎の兄の勘三郎までもが一味に加わっていたとして、死刑の宣告を受けましたが、天皇の思し召しとして無期懲役に減刑され、明治・大正・昭和の18年間、獄中での過酷な生活を余儀なくされました。
仮釈放となって故郷に帰りましたが、わずか一年余りで亡くなりました。享年50歳。


  「生き別れ弟死刑われ終身  長崎さして涙を呑みぬ」
  「有る罪を償ふ事は怖れねど  無い罪迄も負ふぞかなしき」

・・・以上

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▲右端は成石兄弟の墓碑。墓は左側のどれかだそうです。この時には気づきませんでした。

成石兄弟の墓から熊野川の川沿いに新宮市を目指します。
市内で朝ご飯を食べ、8時半ごろ熊野三山の一つ、速玉大社に着きました。

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▲熊野三山の一つ、速玉大社                                      ▲鳥居には八咫烏が…

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▲速玉大社の入り口にある「佐藤春夫記念館」    ▲そのすぐ近くに誠之助の実家跡が 

ここでは今、今回の旅の本命…新宮市13人目の名誉市民…大石誠之助とはどんな人? の展示会が行われていました。
開館は9時から…しばし速玉大社を散策した後入館。

大逆事件の断罪があった明治44年(1911)3月、慶応大学生佐藤春夫(20)は、父の友人大石誠之助の死を悼む詩「愚者の死」を「スバル」に発表。

「千九百十一年一月二十三日  大石誠之助は殺されたり。
げに厳粛なる多数者の規約を  裏切る者は殺さるべきかな。
死を賭して遊戯を思ひ、  民俗の歴史を知らず、

日本人ならざる者   愚なる者は殺されたり。
「偽より出でし真実なり」と    絞首台上の一語その愚を極む。
われの郷里は紀州新宮。  彼の郷里もわれの町。
聞く、彼が郷里にして、わが郷里なる     紀州新宮の町は恐懼せりと。
うべさかしかる商人の町は欺かん、
---町民は慎めよ。    教師らは国の歴史を更にまた説けよ」

この日は、佐藤春夫の作品よりも、大石誠之助に関する資料が圧倒していました。

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              ▲大石家の墓所                                       ▲誠之助の文字は堺利彦が書いた

大石家はキリスト教を信仰していたようだ。見晴らしの良い南谷墓地には、大石の他に同じ事件で無期刑となった峯尾節堂、高木顕明之墓もある。
大石家の墓所には十字架と『愛はいつまでも絶ゆることなし』の文字が刻まれていた。皮肉なことだ。
大石誠之助の処刑後、その家族は国賊とののしられ石をもて郷里を追われたと言うのに。
誠之助の墓が、大逆事件で死刑となった12人では、最初に建てられたという。
この墓の大きさを参考に、四万十市の幸徳秋水の墓の大きさが決められたらしい。
ちなみに秋水の墓の文字は、小泉三申が書いたと言われている。なかなかの達筆である。

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▲熊野三山の3つ目…熊野那智大社
大石の墓参りの後、まだ時間が余っていたので、予定になかった熊野那智大社を訪ねてみた。
ここの階段は何段あるのか知らないが、かなりありました。あまり鍛えていない足ががくがくなるほど登りました。
その上、雨が降っていて、景色も悪かった。有名な那智の大滝も撮りましたが雨にけぶって、お見せするほどのものではありませんでした。
昼食後、一旦本日のホテルを確認。

午後2時から、新宮市役所の横の児童館で、「第4回大逆事件サミット」が開催されました。
主催者挨拶や各種挨拶は紙面の都合により省略します。

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▲講演「石川啄木と大逆事件」…伊藤和則氏         ▲四万十市秋水の会事務局長・田中さん

石川啄木については、世間の方は、ロマンチックな短歌の作者…くらいにしか知らない方が多いのではないかと思いますが、啄木君、世渡りはもう一つのようでしたが、なかなかしたたかな面も併せ持っていたようです。
何よりも凄いのは、あの大逆事件当時、ほとんどの知識人を気取る人たちが、なべて沈黙を守る中、果敢に「謀反論」をぶちかました徳富蘆花には、一歩二歩譲るとしても、啄木は1910年6月3日に大逆事件を知り、事件の被告弁護人となった平出修を訪ね、裁判に関する記録を閲覧、宮下太吉とその一派の爆裂弾事件を利用して、戦争推進する政府に批判運動を繰り広げる社会主義者たちを冤罪により一気に葬ろうとする国家的犯罪であることを看破していたのです。
啄木は大逆事件の後、1年数か月後に27歳の若さで病死していますから、事件を知ってからの22か月を病魔と闘いながら、事件に関する詩歌、評論を新聞雑誌への発表は困難と知りながらも作品に取り組み続けました。
その命と引き換えに残した事件関連作品は函館図書館に秘蔵されていた。その作品が戦後広く知れ渡り、大逆事件研究者たちに驚きと光明を与えた。
その中には、官憲が闇に葬っていた事件被告者たちの獄中日記なども出てきたと言う。

まあ話は、限がないほど長いのでこの辺りで省略します。(笑)
話の内容は結構面白いものであったが、講師の伊藤さんの話があっちに飛び、こっちに飛びするので、なかなか掴みにくかった。第一、私ら、前日から一睡もしてないのよねえ。
まあ、眠たかったこと…何回も居眠りこいてしまいました。(笑)

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今回のサミットの参加者は250人…過去最高の出席者数でした。
各界、地域からは、全国的にも知られた錚々たるメンバーの発言が相次ぎ、私たちには機会も回ってきません。(笑)
本当は、一つ一つの話をご紹介したいのですが、それこそ限りがありません。きれいさっぱり省略することにします。

夜の部=宴会には約110人が参加。こちらも大盛会でした。
その後は、2次会にも行かず、早速ホテルに入り、汗を落とし、速攻で寝てしまいました。
とにかく眠たかった。

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▲自由・平等・博愛の木柱…除幕式                  ▲約60人ほどが参加
翌日9時から、市役所近くにある《志を継ぐ碑》の横に自由・平等・博愛の木柱を建て除幕式が行われました。
写真の3人は左から山泉進、大岩川、二河の各氏。

この後、南谷墓地に眠る3人の犠牲者の墓を訪ねることになりましたが、私たちは前日に訪ねていたので、省略し、帰宅の途に就きました。

往きは和歌山から回りましたが、還りは伊勢方面を回り、新名神を通りました。
距離的には、こちらのコースが近かったようです。

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▲なぜか?  孫ちんが登場
帰りは、同行者が減り、Mさんと2人になってしまったので、孫ちんたちの運動会を見るため大阪へ出かけていた私の連れ合いさんに連絡を取り、一緒に帰ることにして、娘の家まで車を回しました。
この日、下の孫ちんが誕生祝をしていて、昼過ぎに訪ねた私とMさんは、コーヒー1杯を飲ませてもらいました。
その中で、Mさんが、集会の話をしていたら、突然満4歳になる孫ちんが口を開きました。
その内容が凄すぎた…Mさんは思わず凍り付き、私も唖然としてしまいました。

孫ちん曰く…『おっちゃん、話うまいなあ。さすが大人は話が上手やなあ』

一瞬の後、大笑いとなってしまいました。
4歳なり立てでこの発言…俺の孫は、どんだけ天才?
なんて、思わず思いましたが、さあて、将来はどうなるのか?
大人になるころには、案外『普通の人』だったりしてねえ。(笑)

2時ごろ四万十に向けて出発。夜7時ごろに到着しました。

私も脳の老化も進み、話のまとめ方が下手になってきました。
このくらいで終わることにします。

最後に新宮市の名誉市民になった【大石誠之助】について報道した朝日新聞の『天声人語』を紹介しておきます。

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[ 2018/10/10 21:41 ] 幸徳秋水 | TB(0) | CM(0)

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