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辺野古支援に行ってきました④出発&普天間、嘉手納の基地

2018/01/31(水)
?十年ぶりの飛行機旅となりました。
昨年11月、三上智恵監督の『標的の島・風かたか』を『九条の会』で取り組んだ時、県レベルで沖縄支援ツアーのカンパと参加の訴えがあった。

今回の上映会で15,000円のカンパがあった。何となく私も参加したい気持ちになってきた。何よりも四万十市と友好都市関係の名護市の市長選総決起集会が予定に入っている。

辺野古基地を許さない、最大の保証となる市長選の応援、これだけは何としても行きたい。映画で見た辺野古の座り込み、そして高江ヘリパッドの訪問…どうしても行きたい。

まあ、それと沖縄はこの日本で私が足を踏み入れていない2つの県の一つ。そういうことで連れ合いさんの了解を取り、飛行機へと乗り込んだ。

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☝ 定員120名の中型ジェット機。初めて乗りました。
この日は曇り空、下界の見通しはあまりよくありません。しかし、九州を離れると少しだけ下界が見え始めました。

☞ 下界に見えたのは屋久島。上から見ると小さな島です。

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☝ 奄美大島はかなり大きいようです                ☝ こちらは徳之島だと思う

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☝ 沖縄本島に近づくと、次々と小さな美しい島々が見えてきた

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☝ 松山から2時間、やっと沖縄本島が見えてきました。
近づくにつれ、浅瀬のサンゴ礁と、それにぶつかる白波があちこちで見えました。
沖縄の周囲は、ほとんどが浅瀬のサンゴ礁が多いようです。

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☝ ついに那覇空港に接近、そして着陸。ここは国際空港、かなりの飛行機が駐機してます

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☝ 高知西南部の幡多地区からの参加者は4名。高知東部からの参加者は1時間遅れで高松空港からやってきます。待ち合わせまで1時間。空港の食堂で昼食をとりました。
私は、沖縄のソウキソバを頼みました。豚肉が入っています。麺はそば粉ではなく小麦粉です。

☞ 食後、空港4階から遠くを見ると、那覇空港の半分が軍港であることが分かります。戦闘機がずらりと並び、時々滑走路に入り飛び立ち、又着陸する姿が見えました。

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☝ 沖縄は緋寒桜が咲いていました。                ☝ 宜野湾の嘉数高台にある塹壕

高松組と合流。レンタカー2台に分乗して、早速だが、宜野湾市の世界一危険な基地・普天間とその先の嘉手納基地見学へ向かいました。
その1台のワンボックスカーに7人乗り、私が運転することになりました。

慣れない車で少し面喰いましたが、まあ無事に事故無く走りました。
これで私が自分の腕で運転していない県は、岩手県だけになりました。(笑)

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☝ 嘉数の丘展望台                                              ☝ 普天間基地

宜野湾市は辺野古に近い所です。先の戦争で米艦船はここに集結。艦砲射撃を浴びせ上陸を開始、沖縄北部と南部の2方面へ侵攻を始めたところです。
ここの高台は、沖縄最大の激戦地となった日本軍の基地跡です。いまは平和を祈る思いを、地球儀になぞらえた展望台が建っています。

嘉数の戦い(かかずのたたかい)とは、太平洋戦争末期の沖縄戦において、嘉数高台をめぐって1945年4月8日(7日)からの16日間に行われた戦いである。この戦いは沖縄戦最大級の戦闘の1つとしても知られるほどの激戦であった(前田の戦い他を含むことがある)。日本軍は低地に「反斜面陣地」を構築して米軍に劣る火力をカバーし、頑強に抵抗したため、嘉数は米軍からは「死の罠」「忌々しい丘」などと呼ばれた。

普天間基地…言わずと知れた有名な『世界一危険な基地』…住宅地の真ん中に公園がある…と見まごうように基地があり、轟音を立てて、戦闘機がオスプレイが飛び交います。
住むだけでも嫌な感じ、なのにここで、子供たちの保育、教育…なんだかねえ。自分の眼で見て改めてびっくりです。
しかも、沖縄各地で墜落、不時着、部品落下事故など起こしてるのは、すべて普天間基地所属だと言うから、もう驚きモモノキです。

普天間はきっぱり廃止。それしかありません。

IMG_6558.jpg これが悪名高きオスプレイ。この日は日曜なので飛びませんでした。手前に普通の軍用ヘリが駐機しています。
比較すると、オスプレイがどれだけでかいか分かるでしょう。
このでかい機体を飛ばそうとすれば、すごいエネルギーが必要です。
ぺらの回転の轟音と風圧、見るだけで、容易に想定できます。



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☝ 京都の塔の横にある碑文                              ☝ 日本軍が使用したトーチカの跡

沖縄の各地に日本本土から沖縄戦に参加し、戦火に倒れ犠牲になった人たちの慰霊塔がある。
多くの慰霊塔は糸満市摩文仁の丘に集中しているが、京都の塔は宜野湾市の 「 嘉数高台公園 」 にある。

京都の塔の碑文にはこう書かれてある。

昭和二十年春、沖縄島の戦いに際して
京都府下出身の将兵二千五百三十有余の人びとが
遠く郷土に想いをはせ、ひたすら祖国の興隆を念じつつ
ついに砲煙弾雨の中に倒れた。
また多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。
とくにこの高台付近は主戦場の一部として、
その戦闘は最も激烈をきわめた。


 星霜十九年を経て、今この悲しみの地に
それらの人びとの御冥福を祈るために
京都府民によって 「 京都の塔 」 が建立されるにいたった。
再び戦争の悲しみが繰り返されることのないよう、
また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますます高められるよう、
この塔に切なる願いを寄せるものである。


 昭和三十九年四月二十九日

(注)特にこの碑文を掲載したのには意味がある。
沖縄戦で犠牲になった各都道府県の慰霊塔がたくさんあるが、碑文に現地沖縄の人々に思いをはせた碑文は、この京都の碑文以外見当たらないのだそうだ。
これは当時の京都の知事が『憲法知事』として有名だった、あの蜷川さんだったからできた碑文ではなかろうか…と私は思う。


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☝ 次は、嘉手納基地です。『道の駅かでな』にある地図です。基地の写真もここから撮りました。
赤線の中が嘉手納町。見ればわかりますよね。ここも住宅のど真ん中に基地があります。嘉手納の上は読谷村、下部が沖縄市になります。
普天間基地と少し違うのは、左側が海で、右側が森林であることです。

嘉手納の緑の部分は森林地帯です。ですが、それは米軍弾薬庫となっています。ひょっとすると危険極まりない化学兵器や原水爆が保管されてはいないでしょうか?
私の心配が杞憂であれば幸いですが。

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☝ この飛行機、戦車などを運べる輸送機のようです。
とにかくでっかい。まるで一つのビル程あります。

☞ 白い機体にはNAVYの文字があります。海軍の4発型プロペラ機です。おそらく偵察機でしょう。
 
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☝ 格納庫の前には戦闘機が                               ☝ この森が米軍の弾薬庫です

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あまりにも、内容が多すぎて、駆け足でしか紹介が出来ません。また機械があれば、一つ一つじっくりと調べてみたいものだと思っています。

とにかくこの日は、那覇まで引き返し、18時50分から20時過ぎまで『沖縄の歴史と闘い、情勢』について、沖縄革新懇の宮城さんの講義を受けました。

それからホテルに入り、幡多の仲間と町の居酒屋に繰り出し、写真のような沖縄料理にかぶりつきながら、明日からの奮闘を誓い合いました。

ホテルに帰ったのは12時前、風呂にも入らず、そのままベッドに倒れこみました。
それじゃ~ またね~






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[ 2018/01/31 06:00 ] 沖縄の基地 | TB(0) | CM(0)

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