債務整理太陽光発電

土佐の偉人…中江兆民

2016/8/26(金)

土佐の偉人に1911年1月24日、《大逆事件》で処刑された幸徳秋水がいる。
犯罪者として処刑された秋水への世間の批判は根強く、その親族は肩身の狭い思いを最近まで引きずっていた。2000年12月19日、秋水の地元で、中村市議会(現四万十市議会)は秋水の処刑は明らかな《冤罪である》として《幸徳秋水を顕彰する決議》を行った。

幸徳秋水はこの90余年の間、いわゆる大逆事件の首謀者として暗い影を負い続けてきたが、幸徳秋水を始めとする関係者に対し、20世紀最後の年に当たり、我々の義務として正しい理解によってこれを評価し、名誉の回復を諮るべきである。よって中村市議会は郷土の先覚者である幸徳秋水の偉業を讃え顕彰することを決議する。

私は、ここ四万十市へ移住するまで、幸徳秋水については、その名前を記憶するのみであった。
今年、私は《秋水研究会》に入会した。改めて土佐の偉人・秋水について学び始めた。
そして、秋水の師・中江兆民についても学び始めた。

この2人の書籍や関連書籍…さぞや難しかろう…と思っていたのだが、秋水に関連する中江兆民、内村鑑三の本を図書館で借りて読んでみると、これが結構面白いのである。今読んでいる最中であるが、とりあえず兆民に関する記事をwebで拾ってみた。

****************************************************

中江 兆民(なかえ ちょうみん)

弘化4年11月1日(1847年12月8日) - 明治34年(1901年12月13日)
土佐出身の思想家・政治家。東洋のルソーと呼ばれることで有名。幼名は竹馬、名は篤介。

長崎・江戸でフランス語などを学んだ後、1871年フランスに留学。1874年に帰国後、東京で仏学の私塾「仏蘭西学舎」を開く。

1881年には西園寺公望と共に、東洋最初の日刊紙「東洋自由新聞」を 創刊。主筆として明治政府を攻撃し、民権思想の普及に筆を振るった。翌年、ルソーの『社会契約論』を漢語訳し、出版するなどし、”東洋のルソー”と呼ばれました。

1887年に『三酔人経綸問答』『平民の目さまし』などを出版。民権思想を説くが、保安条例により東京追放となる。翌年兆民は大阪に移り、「東雲(しののめ)新聞」を創刊。

1889年。大日本帝国憲法、衆議院議員選挙法及び貴族院令などが発布され、自由民権家の追放が解かれました。そして第1回衆議院議員に立候補。その地区のトップで兆民は当選します。 しかし、国会土佐派の裏切りに憤慨し、議員を辞職してしまいました。

その後、山林業や鉄道事業に手を出すもいずれも失敗に終わります。

1901年、喉に違和感を覚え病院へ行きますが、そこで余命一年半の喉頭がんとの宣告を受けます。そして、それを知った兆民は『一年有半』、『統一年有半』を執筆。

そして、12月。自宅にてその生涯を終えました。54歳でした。 遺言により、墓はたてず、火葬場で荼毘にふし、その遺骨は兆民の母の墓の隣に埋葬されました。

*********************************************

http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/nakae.htmlから抜粋した記事を以下に。

中江兆民は歴史的には日本における最初の唯物論者として、そして又自由党初期の指導的理論家として記憶されている。しかし、一般に彼の名前は軽妙な毒舌家として、或は明治期の代表的な奇行家として知られている。

中江兆民に対する多くの同時代人の評価は「直言の士」という点で一致していた。例えぱ、大石正己は「中江君は実に単刀直入で、思う所を云い、為きんと欲する所を為すという点に於て我邦の絶品であった」と書いているし、後藤象二郎は中江を評して、彼は三国志に出てくる禰衡(でいこう)だと言っていたという。

禰衡は酒興に名をかり、全裸体となって宴席上に踊り出て、権勢並ぶものない曹操を罵倒した人物である。この後藤の批評は中江を知る者の共感を集めたらしく、中江=禰衡論は広く人口に膾炙するところとなっている。

彼は、波乱にみちた騒々しい一生を送ったように見える。だが、先入観を捨てて眺めたら、誰でも彼の生涯全体を貫ぬき流れている基調音の簡潔さや、鬼面人を驚かすその言説の背後にある魂の地平の静けさなどを感じ取ることが出来る。

中江兆民が、理を持って生涯を生き抜く「純理の人」となることができたのは、彼が底辺に生きる庶民との交わりを深め、そこから一種の人道感覚を育てたからだった。留学を終えて帰国するとき、トルコやインドで白人が現地人を虐待する現場を見て、強い憤りを感じたのも、帰国して日本人が部落民やアイヌ人を差別するのを見て激しい怒りを覚えたのもこのためだった。

兆民が生きていた頃の日本は、朝野をあげて富国強兵を目指し、大陸に進出して列強の一員になることを夢見ていた。この時期に兆民は、富国と強兵は矛盾するという至極当たり前な議論を展開している。日本の将来を大国主義ではなく、島国日本に留まって国内を充実させる「小国主義」の方向に向けるべきだと説いているのである。

彼は時の日本人が範としていた先進強国を「英仏虎狼の国」として否定し、スイス・ベルギー・オランダなどの非強兵国を模範としてあげている。その先見性は、実際目を見張るほどなのである。

「一年有半」の出版後、兆民の病状は悪化した。そんななかで彼は次の著作に取りかかるのだ。このときの様子を幸徳秋水は「続一年有半」の序文に次のように書いている。「日本の名著・中江兆民」(中央公論社)には、その口語訳が載っているので、そこから引用してみよう。

「切開した気管の呼吸はたえだえであり、身体は鶴のように痩せているが、ひとたび筆を取れば一潟千里の勢いである。奥さんをはじめみんなが、そんなにお書きになると、とりわけ病気にさわりましょう、お苦しいでしょうと言っても、書かなくても苦しさは同じだ、病気の治療は、身体から割り出したのでなく、著述から割り出すのだ、書かなければこの世に用はない、すぐに死んでもよいのだと答えて、セッセと書く。

疲れれば休む、眠る、目がさめれば書くというふうであった。病室は廊下つづきの離れで、二部屋の奥のほうに、夜も一人で寝ておられる。半夜夢醒めて四顧寂蓼として人影なく、喞々たる四壁のこおろぎの声を聞くと、すでに墓場にでも行っているようで、心が澄みわたって哲理の思考にはもっともふさわしいから、たいていは夜中に書くとのことであった。

そして日に一時間か二時間かで、病気の悪い時には二、三日もつづけて休まれたが、九月十三日からはじめて、わずかに十日ばかりで、二十二、三日には、はや完結を告げていた。いまさらながらその健筆、じつに驚くべきである。」


こうした無理がたたって病勢は急速に進み、兆民はもう仰向けになることも、横を向くことも出来なくなった。喉頭部が腫れ上がったため、俯せになり両手を枕に置いて頭を支えているしかなくなったのである。彼は「続一年有半」完成後、三ヶ月と持たずに永眠している。

「続一年有半」には、「一名無神無霊魂」という副題がついている。
副題が示す通り、これは彼の信条とする唯物論哲学を述べたものである。彼の唯物論はフランス留学中、フランス唯物論の影響を受けて以来のものだと思われるが、僅か十日で書き流したものだから、中学生にも分かるような平易な内容になっている。

われわれが生きている宇宙は、最初からこうした形であったのであり、誰が創造したものでもない。宇宙を形成する元素は、転々と形を変えて存在し続けるから、この宇宙に終わりというものはない。物質は不増不減、宇宙は無始無終、永遠に存在するのがあるとしたら、元素によって組成された「モノ」だけである。

人間も元素で組成されている。人間の本体は物質で、精神はその作用に過ぎない。だから、人間が死んでも霊魂は残るというような考え方は、唐辛子がなくなっても辛みは残る、あるいは太鼓がなくなっても音だけは永遠に残ると言うに等しい妄言なのだ。

人が死ねば、その意識は無に帰して痕跡をとどめない。シャカ・イエスの霊魂は死ねば忽ち無に帰するが、「路上の馬糞は世界と共に悠久で有る」。生きているうちは自己社会の改善につとめ、死んだら綺麗さっぱり無に帰する。これ以外に入間の生き方はあるか。

「続一年有半」は、こうした単純明快な原理を比喩を用いながら多方面に押し広げるのである。

*****************************************************

実に愉快である。
100年以上も前に亡くなった人が、現世でも有名な天文学者ホーキング博士よりも、明快に宇宙をとらえていることに、私は快哉を叫びたい。
そして世間を迷わす《霊魂》の話も実に簡明で、その比喩はユーモラスである。
特に最後の言葉…「路上の馬糞は世界と共に悠久で有る」…には思わず笑ってしまいました。

70歳を迎えた私が、これから地元の偉人・幸徳秋水から新たな哲学を学びたいと、彼らの残した本を読み漁ることになります。
思えばこの10年、漫画みたいな小説ばかり読みまくり、もう四万十市の図書館には、私の読みたい本はなくなった…と思いかけていたのだが、また新たな分野に興味が広がり、しばらくは退屈せずに楽しく過ごせそうです。(笑)


DSC_0850.jpg


DSC_0843.jpg

写真は《月下美人》
冬に枯らしかけたので、今年は花は咲かないか? とあきらめていた月下美人が今年も咲いた・月下美人にも紹介したように、花を咲かせてくれました。

そしてまた先日、新たに3輪の花が咲きました。
もう、これが今年最後の開花だろうと思います。





sho_fj3.jpg
a_01.gif← 気が向いたらポチッと押してください

スポンサーサイト
[ 2016/08/26 12:06 ] 我が妄想 | TB(0) | CM(7)

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2016/08/26 13:19 ] [ 編集 ]

こんにちは~♪
高知県出身の人には多くの偉人が出ていますが、幸徳秋水の功績はホントにすごいと思います。
彼が大逆事件で国家の手によって虐殺されたのは日本の近代化にとっては大きな損失になりましたが、彼の意志は交流のあった多くの人たちに引き継がれ大正・昭和の暗黒時代でも抗い続けた人たちがいたことを考えれば名誉回復だけでなく顕彰するのに何の不思議さもないでしょうね。
大いに評価すべき人だと思います。
中江兆民はその師ですから何をかいわんやですね(笑)

「路上の馬糞は世界と共に悠久で有る」
名言ですね(^_-)-☆
[ 2016/08/26 17:43 ] [ 編集 ]

Re: 鍵コメさん

秋水の幼名本名は伝次郎…近所の秋水ファンは、飼い犬に伝次郎と名前を付けています。(笑)
月下美人の花は、なんだかねえ、ぬるぬるしていて、食べてもあまりおいしくないと、私は思いますけどねえ。
[ 2016/08/26 21:16 ] [ 編集 ]

路上の馬糞?

人間は死んだら終わりと思っている人が居ますが、
人間は死んでも何ら変わらず、
夢の中のように、
潜在意識も全てむき出しになって、
存在し続ける、
色んなデータを見ると、
どうやらその方が本当なようです。
死ぬ寸前まで、
せっせと物を書いていた人は、
死んだ後も、
きっと同じように生きていますよ。
私は宮澤賢治先生のファンですが、
先生が死んだからと言って、
突然意地悪に計算高くなると考える方が、
無理があると思います。
意地悪な人は意地悪なまま、
性格の良い人は性格が良いまま、
正義漢は正義漢のままですよ、
きっと。
死んで失うのは、
金とか社会的名誉とか肉体、
物質だけです。
全くの無宗教の私がこんなことを言うのは、
変なのですがね(笑)。
大逆事件?
人の国に核爆弾を平気で落としたり、
弱い国民をいじめる政治家の罪の方が、
はるかに大きいと思いますがね。
それにしても、
自分を路上の馬糞に例えるとは……
よっぽど権力や財力が嫌いだったのでしょうね。
頑固なひねくれ者の愛すべきおじさんです。(^‿ ^)
[ 2016/08/27 23:57 ] [ 編集 ]

Re: motomasaongさん

霊魂が実際に存在したら、さぞや世の中は楽しく、また騒がしいことでしょう。
しかし、私は兆民先生と同じく、人が死ねば、その意識は無に帰して痕跡をとどめない。シャカ・イエスの霊魂は死ねば忽ち無に帰する…と考えますね。
死んだ人が生きられる世界は、生き残っている人たちの記憶の中と、伝説と記録の中だけに限定されるのではないでしょうか。
もし霊魂が存在し、考える力を持つのであれば、過去に恨みを飲んで消えていった人たちの恨みはどこへ行くのでしょうか?
数千万人もの人たちを無残にも殺した、昭和天皇など、霊魂の恨みで、とても昭和64年まで生きてはおられなかったでしょう。
また科学的にも、物質としての形を持たない霊魂が、この世に存在できるとは思えないし、あの世に移動できるとも思えません。
霊魂の存在は、科学的には否定されていますね。
その存在は、非科学的な唯心論者と自称・霊感者の中で認められているだけで、バッサリと妄想の産物である…と切って捨ててもいいのではないでしょうかね。
ちなみに《路上の馬糞》とは、兆民氏のことではなくて、物質(エネルギー)不変の法則…を比喩として述べたものだと思います。
ご一考ください。
[ 2016/08/28 10:58 ] [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2016/08/28 12:07 ] [ 編集 ]

Re: 鍵コメさん

なるほどねえ。そんなことがありましたか。
了解です。楽しみにしています。(笑)
[ 2016/08/28 15:34 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://simanto114.blog116.fc2.com/tb.php/443-61799c5d