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71年前の広島原爆投下の日

2016/08/06(土)
広島原爆投下の日

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下した原子爆弾
原爆投下直後のの8月から12月の間の被爆死亡者は、広島市の推定によれば約14万人とされています。

たった1発の爆弾で、これだけ多数の人が死んだ。
原爆投下直後、高野源進広島県知事は次のように告諭している。

            「今次ノ災害ハ惨悪極マル空襲ニヨリ吾国民戦意ノ破砕ヲ図ラントスル敵ノ謀略ニ
             基クモノナリ、広島県民諸君ヨ、被害ハ大ナリト雖モ之戦争ノ常ナリ、
             断ジテ怯ムコトナク救護復旧ノ措置ハ既ニ着々ト講ゼラレツツアリ、軍モ亦絶大ノ
             援助ヲ提供セラレツツアリ、速ニ各職場ニ復帰セヨ、
             戦争ハ一日モ休止スルコトナシ」


知事の立場として、そういわざるを得なかったのでしょうが、軍国主義下での人々の命が、いかに軽く見られていたか、知事の言葉に如実に表れています。

当時の原爆被害の惨状を詩人・峠三吉は次のように表現しています。
ほんの一部を紹介しておきます。

原爆詩集峠三吉
一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によっ
て命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれ
つつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、
さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人に捧ぐ。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ


倉庫の記録
その日
いちめん蓮の葉が馬蹄型に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の
二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用
毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。み
んなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の跡片付けに出
ていた女学校の下級生だが、顔から全身にかけての火傷や、赤チン、
凝血、油薬、繃帯などのために汚穢な変貌をしてもの乞の老婆の群の
よう。
壁ぎわや太い柱の陰に桶や馬穴が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便を
ながし、骨を刺す異臭のなか
「助けて おとうちゃん たすけて
「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ
「五十銭! これが五十銭よ!
「のけて 足のとこの 死んだの のけて
声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ば
はもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親
が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だちやもんぺの縞目をのろの
ろとのぞいて廻る。それを知ると少女たちの声はひとしきり必死に水
と助けを求める。
「おじさんミズ! ミズをくんできて!」
髪のない、片目がひきつり全身むくみかけてきたむすめが柱のかげから
半身を起し、へしゃげた水筒を差し上げ振ってみせ、いつまでもあき
らめずにくり返していたが、やけどに水はいけないときかされている
おとなは決してそれにとりあわなかったので、多くの少女は叫びつか
れうらめしげに声をおとし、その子もやがて柱のかげに崩折れる。
灯のない倉庫は遠く燃えつづけるまちの響きを地につたわせ、衰えては
高まる狂声をこめて夜の闇にのまれてゆく。

二日め
あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの
叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が
太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋
毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだの歪んだ線のくぼ
みに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くと
ろけ残る。
ところどころに娘をみつけた父母が跼んでなにかを飲ませてい、枕もと
の金ダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。
飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動か
ぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人
の眼。
三日め
K夫人の容態、呼吸30、脈搏100、火傷部位、顔面半ば、背面全面、腰
少し、両踵、発熱あり、食慾皆無、みんなの狂声を黙って視ていた午前
中のしろい眼に熱気が浮いて、糞尿桶にまたがりすがる手の慄え。水
のまして、お茶のまして、胡瓜もみがたべたい、とゆうがた錯乱して
ゆくことば。
硫黄島に死んだ夫の記憶は腕から、近所に預けて勤労奉仕に出てきた幼
児の姿は眼の中からくずれ落ちて、爛れた肉体からはずれてゆく本能
の悶え。
四日め
しろく烈しい水様下痢。まつげの焦げた眼がつりあがり、もう微笑の影
も走ることなく、火傷部のすべての化膿。火傷には油を、下痢にはげ
んのしょうこをだけ。そしてやがて下痢に血がまじりはじめ、紫の、紅
の、こまかい斑点がのこった皮膚に現れはじめ、つのる嘔吐の呻きの
あいまに、この夕べひそひそとアッシ島奪還の噂がつたえられる。
五日め
手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆がかたまり、掘るとぼろぼろ
落ち、床に散ってまた膿に這いよる。
足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、
こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔
で蠢き、傷にたかる蝿を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移
動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容
所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面のような表情が
見おくっている。
六日め
むこうの柱のかげで前進の繃帯から眼だけ出している若い工員が、ほそ
ぼそと「君が代」をうたう。
「敵のB29が何だ、われに零戦、はやてがある――敵はつけあがって
いる、もうすこし、みんなもうすこしの辛棒だ――」
と絶えだえの熱い息。
しっかりしなさい、眠んなさい、小母さんと呼んでくれたらすぐ来てあげ
るから、と隣の頭を布で巻いた片眼の女がいざりよって声をかける。
「小母さん? おばさんじゃない、お母さん、おかあさんだ!」
腕は動かず、脂汗のにじむ赧黒い頬骨をじりじりかたむけ、ぎらつく双
眼から涙が二筋、繃帯のしたにながれこむ。
七日め
空虚な倉庫のうす闇、あちらの隅に終日すすり泣く人影と、この柱のかげ
に石のように黙って、ときどき胸を弓なりに喘がせる最後の負傷者と。
八日め
がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空き地に
積みあげた死屍からの煙があがる。
柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、
無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。
K夫人も死んだ。
――収容者なし、死亡者誰々――
門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き
むしりとられた蓮の花片が、敷石のうえに白く散っている。



敗戦後71年…この国の政治を自公政権に任せておいていいものかどうか?
みなさん改めて、戦中、戦後の時代へ思いをはせて、我が国の憲法が、いかなる意味を持ち、世界に向けていかなる光を放っているのか?

よくよく考えてみませんか。




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[ 2016/08/06 06:00 ] 政治の話 | TB(0) | CM(1)

為政者は逃げられる。

原発事故の時、
東電の重役達は、
家族共々、
責任回避と、
放射線から逃避するため、
ドバイに逃げ、
東京の政治家の一部も、
家族ぐるみで海外に脱出しました。
日本が核戦争になれば、
安倍も与党も、
国外に逃げる腹でしょうね。
エリートを自認する東京の金持ちや、
メディアの大物も同じです。
日本が焦土となれば、
首都東京が壊滅的な打撃を受けるとわかっているのに、
日本会議の小池百合子や、
在特会の稲田朋美といった、
核武装を主張する狂人たちが、
東京都知事や防衛省の役人となる、
狂気の時代です。
戦争をやりたい連中だけが戦争をやれば良いのですが、
こいつらは、
平和を願う人々や、
何も考えていない連中を戦場に送り、
ゲームのように戦わせ死なせ、
自分達は影で笑っているのです。
「はだしのゲン」を全国で閲覧可能にし、
原爆投下の日に全国でキャンペーンをするべきですが、
今年はニュースでもメディアでも、
ほとんど原爆投下については取り上げていません。
残念です。
[ 2016/08/06 17:19 ] [ 編集 ]

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