平成最後の天皇誕生日
先日23日、平成最後の天皇誕生日…天皇の言葉は圧巻でしたねえ。天皇制に反対の立場の私の胸にも、響くものがありました。
心のないアベシンゾウの虚しい言葉と違い、心温まる思いがしたのは、私だけではないはずです。



▲ 安倍政権や官僚、ネトウヨたちはこの言葉を、どう受け止めるのでしょうか?
沖縄に心寄せる言葉だけではありません。戦争で迷惑をかけた諸外国、現行憲法の遵守義務、一つ一つが、アベ政権との対比で、『政権批判』ととられても、仕方のない発言かと思います。
しかし、その内容は、どれをとっても、真っ当な発言で、この言葉を問題にする勢力こそ、問題だろうと、私は思う訳です。
日本国民の皆さん、来年こそ、日本の恥、世界の笑者…アベ政権を叩き潰す年にしようではありませんか。亥年は変革の年と言われています。過去にも政治に大きな変化が起きています。
ご同輩、頑張りましょう。
巣箱づくり慰労の旅…秡川温泉へ
24日、先日鳥の巣箱を作ってあげたNさん夫妻から、慰労を兼ねて、温泉に行こう…と誘われて、今年最後の小旅行に出かけてきました。
ところが初っ端からつまづきが…今日はこちらで運転するから、と言っていたNさんから電話。車がオイル漏れで、車屋さんに居ます。悪いけど車出して…と。(笑)
やれやれ、こちらが車出して、運転も俺か…これじゃ慰労にならないなあ…とぼやきながらも指定の車屋さんに向かいました。
温泉は高知県と愛媛県の境にある《秡川(はらいがわ)温泉》。
いきなり温泉というのも芸がないなあ…と近くの観光地を巡ることに。急きょ立てた計画は、ずさんでボロボロ…国道沿いの目についた『道の駅』で、お土産買ったり、昼の弁当買ったりしながら私がいつも釣りに行く、その先にある《石垣の里》を目指すことにしました。
紫電改展示館
その途中に、見晴らしのいい山の上に、紫電改の展示館があります。
昭和53年(1978年)に展示館近くの久良湾で発見され、引き上げられた紫電改が宇和海展望タワーのある馬瀬山山頂に恒久平和を願うシンボルとして展示されています。紫電改はゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、海軍のもっとも優れた戦闘機だったと言われています。館内には紫電改に関連する写真、資料のほか記録映像も見ることができます。この紫電改は日本に現存する唯一のものです。…展示館の説明。

▲ 引き上げられた機体はボロボロで、貝殻が一杯ついていたそうですが、幸いにもこの機体の設計者が当時生存されていたそうで、かなりの所まで復元されたようです。

▲ 最近、この展示館の『紫の豚』さんが、よく私のブログに来られるので、つい寄ってみようかと思い寄りました。紫の豚さんは、当日展示館におられなくて会えませんでしたが、この展示館がこの国の軍国主義復活に寄与することなく、戦争の悲惨さを語り継ぐ展示館として、平和を訴え続けていただくよう祈念するものです。
愛南町外泊、石垣の里

▲ 何度来ても壮観だなあ…石垣の里
地元の人の説明では、昔は石段が山の上まで続いていて、畑として使っていたそうです。今はもう畑を耕す人も無く、畑には草が生え、高い所は木が茂り、すっかり林と化してしまった…と言っていました。

▲ 石段を登り始めると、すぐに大きな石垣の壁に突き当たりました。
石垣の上にある建物は、もう誰も住んでいないのでしょう。朽ちて屋根が崩れていました。
もの悲しさの漂う景色です。

▲ 中腹から見下ろす里の風景…私の良くいく釣り場は、この右手になります。

▲ 石垣の里で営業を続けている『だんだん館』
…だんだんとは、方言でありがとうの意。九州を含め西国で使われた言葉です。
土産物や、昼食が食べられます。

▲ だんだん館では、こんな石に絵を描いたものが、たくさん並んでいました

▲ この景色を見ていると、何だかねえ…『夏草や 兵どもが 夢の後』
なんて、芭蕉の句を思い出しますねえ。昔の人たちが必死で築いた大切な資産が放置されて、やがて滅んでいく…なんだか切ないねえ。

▲ 石ころに貝の傘をかぶせた、碾き臼の景色が、なんとも郷愁を誘うねえ。
秡川温泉
海沿いに宇和島方面に進むと。やがて津島に着きます。ここからは、山道へと入ります。
愛媛と高知の県境に篠山という山があります。その中腹に250年の歴史を持つ秡川温泉があります。
泉質:単純硫黄冷鉱泉(低張性アルカリ性冷鉱泉)
効能:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、慢性消化器病 等々
…との効能書きがあります。
湯舟は小さくて、一度に3,4人しか入れませんが、とても素朴で泉質の良い温泉です。
風呂から出ても1時間は体が冷えません。いつまでもポカポカと体が暖かくて、心身ともにゆったりとした気分になります。
まあ…そんなことで、今年最後の小旅行は終わりましたが、今私は、何だかねえ喉が痛いのです。
久しぶりに、人込みをうろうろしたので、どこかで風邪のウィルスを頂いたようです。
是じゃ私は、無菌培養の箱入り息子みたいじゃないか。
風邪よ早く治れ…もうすぐ孫ちんたちに会いに行くのに、困ったことじゃ。
このブログが、今年最後のブログとなります。
どうも皆さま、1年間、言いたい放題の私のブログにお付き合いくださって、厚く御礼申し上げます。来る年が、皆様にとって、より良き年でありますように祈念いたしますとともに、来年こそ、みんなの力を結集して、アベ政権打倒の年としたく、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
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学校も終業式を迎え、いよいよ今年も残りわずかとなってきましたねえ。
遊び仲間の山辺のNさん夫妻から、今年中にどうしても小鳥の巣箱が欲しい…と懇願されて、仕方なく、今年最後のsimanto114の工作室を開きました。
Nさん宅では、昨年は巣箱が壊れ、郵便受けに小鳥の巣を作られて、大変困ったそうです。
まあ、そんな訳で、昨日は1日巣箱づくりに追われました。

▲ Nさん宅の巣箱2つとエサ台
なんかねえ、写真の下側が切れてしまいました。
でもねえ。真ん中のエサ台…なかなかいいでしょう…下が映ってたらもっとよかったのに。(笑)

▲ 我が家の巣箱も2つ…庭の藪椿の木に取り付けました。

▲ 巣箱の穴は3㎝以内にしました。木の表面はバーナーで焼いて焦げ目をつけました。

▲ こちらは我が家のエサ台…1本足のエサ台…少し苦労しました。
合計で巣箱4個、エサ台2個作りました。まあ、何ですかねえ…作品としては、なかなかの芸術性高し…と自画自賛しておきましょう。(笑)
でもねえ、最後の方はもう、腰は痛くなるわ、指先は引き攣るわ…で大変でした。
あ~あ~、若いころは筋肉が引き攣るなんてことは、想像もできなかったのにねえ。
まあ、とにもかくにも、今年最後の工作室は閉幕しました。
後は、小鳥さんが巣箱に入ってくれると、楽しみなんだけどねえ。
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先日知人から、ホワイトハウスへの辺野古10万人署名…のメールが届いた。
その内容をご紹介します。
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友人からの呼びかけに応えて
B㏄にて、辺野古新基地建設の工事を止めるための10万筆以上の署名をよびかけます。
ご賛同いただける方は、1月7日までにお願いします。10万筆以上集まると、ホワイトハウスは請願内容を検討し、60日以内に何らかのアクションを起こさなければならないそうです。
沖縄の民意を無視し、美ら海を埋め立てる行為は「民主主義を埋め立てる」暴挙です。
「辺野古、大浦湾の埋め立てを、沖縄の県民投票が行われるまで止めさせましょう」の署名をホワイトハウスに届けましょう。
急ぎの転送情報です。個人情報に注意をしつつ、
拡散大歓迎です。
ホワイトハウスへの辺野古10万人署名意思表示行動を強めましょう。出来ることを確実に、全力で行いましょう。
◆電子署名の背景
市民から広く請願を受け付ける目的でオバマ前政権が開設したサイト「ウィー・ザ・ピープル」を利用し、ハワイ在住のロブ・カジワラさんが提起し、電子署名が開始され、実施中です。署名は13歳以上で電子メールアドレスを持っていれば、誰でもできます。
◆電子署名受付のサイト
https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa
◆電子署名のやり方
1;上記のサイトにアクセスする。
2;「サイン欄」にFirst name(名)Last name(姓)Email address (メールアドレス) 3項目を入力する。
3;「緑のボタンSign Now」をクリックする。
4;画面が切り替わり「Email Verification Required」になる。
5;We the People: Your Voice in Our Governmentからメールが届く。
6;届いたメールの「Confirm your signature by clicking here.」をクリックする。
7;確認画面(緑色の文字列⇒あなたの署名は受け付けられました)が出て終了。
―――
確認ですが、上記5番は、署名者の E メールにすぐ届きます。7番は、確認画面の上に緑色で書かれた署名確認の文章を読むだけで OK。終了です。
これまで電子署名をしたことが無くても、単純作業ですから大丈夫ですので、是非ご参加を!
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私も早速署名をしました。その時点で数は9万を超えていました。
その後すぐ、10万越えの記事がニュースとなっていましたので、署名数は必要数に達したようです。しかし、多すぎて困ることは無いはずです。
更に皆様のご署名をお願いいたします。
名鹿の浜のダルマ朝日
我が家の池(太平洋)には、寒く冷え込み雲のない日には、ダルマ朝日が昇ります。
最近は、なんだか無精になってしまって、行動性が鈍っていますが、昨夜は天気予報で、朝方は冷え込み、雲の少ない天気となるでしょう…なんて言ってたので、『久しぶりにダルマ朝日でも撮ってみようか?』そんな気になり、早起きして、マイビーチ(名鹿の浜)へ出かけてきました。
少し寒かったが、天気予報に反して、何と水平線には雲がかかっているではありませんか。
しかし、帰るのも何だかなあ…浜辺を散歩しながら日の出を待ちました。

▲ 7時ごろ…水平線の雲が赤く輝いてきました

▲ 7:03分 朝日が見えてきましたが、雲が邪魔をしています

▲ やがて朝日がダルマ状に変化してきました…でも雲が邪魔です

▲ 何となくダルマ朝日に見えますが、雲が結合部を隠しています

▲ 少しアップにしてみました…やはり上下の太陽の間に雲が入り込んで邪魔です

▲ あ~あ…イライラしてる間に3分間のダルマ朝日ショウは終わってしまいました

▲ 夜が明けた浜辺には、こんな立て看板が…
マイビーチ・名鹿の浜はウミガメの産卵地です。毎年子亀たちが必死に海へ向かう姿が見られます。
もう一つのハマボウフウは漢字で「浜防風」と書きます、砂地深く根を張り、海岸の砂が風や波で持ち去られるのを防ぐ役目を果たしています。
毎年春になると新芽を出してきます。絶滅が心配されている植物です。
新芽の後には、花甘藍のような実(花か?)がつきます。
高級な刺身のツマとして有名です。
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熊井隧道
以前から行ってみたいと思っていた隣町の「熊井隧道」を、先日、兆民忌の帰りに、ちょっと珍しい所があるから寄って行こう…と運転の田中さんに連れられて訪れました。
そして昨日、連れ合いさんの用事で市内まで出かけましたが、午後の部の用事がキャンセルになり、突然ぽっかりと空き時間が出来たので、連れ合いさんとドライブで、この隧道と『清流・四万十川』にある《幻のダム&発電所》を見学に出かけました。

▲ 1905年に完成したと言う隧道は、出入口がレンガ積みの古いタイプの隧道でした。
まるで歌で有名な『天城隧道』みたいですねえ…なんて言いながら、トンネルの向こうに抜けてみました。

▲ 車内から撮ったトンネル内の景色
隧道の向こうは隣町につながる田舎道ですが、今は、高速道のインターチェンジが建設中で、隧道を出るとすぐに全面通行止めとなっていました。

▲ 隧道の入り口には、こんな案内板がつけられています。
四電佐賀発電所
かつて日本一の清流と呼ばれた「四万十川」には、ダムは一つもない…と言われている。しかし、支流には津賀ダムや四万ダムがあるし、本流の四万十川にも実は、「家地川ダム」(佐賀取水堰)があるのです。(世間にはほとんど知られていません)
それは、高さ15m以上をダムといい、それ以下を堰堤(えんてい)と言うからです。
佐賀取水堰は、高さが8mであるためダムでないといわれます。しかし、普通は「家地川ダム」と呼ばれています。(なんかややこしいねえ)(笑)

▲ 家地川ダム(当日通行止めで行けなかったので他所から拝借しました)
家地川ダムは、昭和12年に四万十町(旧窪川町)家地川に作られました。
四万十川の水は、ここより導入トンネルを経て黒潮町にある佐賀発電所に送られ、
別水系伊予木川に放流されます。よって取水された水は、二度と四万十川には戻りません。

▲ 現在も残る四電佐賀発電所(戦前に電力補給のため作られた水力発電所)
当時の名称を「渡川水力」と言いました。渡川とは四万十川のことです。
取水口の家地川は高南台地の標高が高く、ふもとの佐賀は海沿いで標高が低いので、ポンプで揚水する必要が無い。地形を上手に利用した発電方法と言える。その反面、四万十川に堰を設けることとなり、本流は水を抜かれるので水質の悪化や生態系への影響が懸念されるため、必ずしもエコということではない。
近隣では、四万十川に存在するダムのすべてを撤去して、『日本一の清流・四万十川』を取り戻そうとの運動もある。

▲ 佐賀発電所の占有権は2021年に切れる。
その時、発電所を撤去せよとの運動が、又広まることでしょう。
エコの水力発電は残してやりたいし、かといって、清流・四万十川の復活はぜひにも実現させたいし、困った問題です。
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昨日12月13日は幸徳秋水の師・中江兆民の亡くなった日であった。
中江 兆民は、日本の思想家、ジャーナリスト、政治家。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。
坂本龍馬⇒中江兆民・板垣退助⇒幸徳秋水…と引き継がれてきた《土佐の自由民権の思想》は、明治維新後の民権運動としては、他県とは比較にならない、実に民主的な運動であった。
長州や薩摩の政策でなく、この土佐の自由民権が、世を制していたらまた違う日本の歴史が作られただろうに…と、最近の長州派閥の成れの果て・アベ政権を見ていると、ついついぼやきたくなる。
吉田松陰の跡を継いだ元老(元凶ではないか?と私は思うのだが)・山懸有朋らが主張した富国強兵、外国侵略・植民地化政策&絶対的君主制確立のために、当時、もっとも邪魔になったのが、社会主義運動を提唱するジャーナリスト・幸徳秋水であった。
幸徳一派を除去するために、山懸は稀代の悪党・平沼騏一郎を使い、全く関係のない3つの事件を強引にくっつけ、一つの大冤罪事件…《大逆事件》を作り上げ、暗黒裁判の下、たった1人の証人尋問も許さず、被告とされた24人に死刑、2名に有期刑という判決が下る…眞に異常な裁判であった。
そして、その翌日に天皇による恩赦などと恩着せがましい理由をつけ、死刑12人、無期懲役12人、有期刑2人となった。このうち高知県出身者は5人。幸徳秋水、奥宮健之が死刑、坂本清馬、岡林寅松、小松丑治が無期懲役であった。
《大逆事件》の犠牲者たちは、2000年に議会で顕彰決議が行われた幸徳秋水だけでなく、新宮市では今年1月、大石誠之助を名誉市民にすると発表しました。
その他の犠牲者も、名誉回復の運動が各地で進んでいますが、地域ごとに強弱があり、また、秋水や誠之助も名誉は回復されたとはいえ、裁判が取り消されたわけではなく、歴史的には犯罪者として記録が残されているわけです。
彼らの本当の名誉回復の為には、彼らの判決を取り消し、国家として冤罪の被害者たちにお詫びをさせなければならないでしょう。しかし、現在のアベシンゾウや政府のアホ大臣どもに、いくら訴えても、何の効果も生まれないことは確実です。もう少し、時期を待たねばならないでしょう。
兆民・中江家のご先祖墓の清掃
兆民は1901年12月13日、大阪市で死亡。お墓は東京・青山霊園にあるそうです。
今、兆民の子孫は高知にはいないので、自由民権友の会の皆さんが、毎年、兆民忌を開き、ご先祖の墓(筆山墓地に2か所あり)の草刈り清掃を行っています。
私も今年初めて誘われて、中村から4人、兆民忌に参加してきました。何しろ地元中村の偉人・幸徳秋水の先生ですから行かないわけにはいきません。
軍手、鎌持参とのこと…その意味も墓所についてすぐ分かりました。(笑)

▲ 筆山墓地入り口のお向かいに、土佐藩主山内家歴代の菩提寺がありました。
私は、個人的には山内家は嫌いですが、なんとお寺の宗派は、私と同じ禅宗・曹洞宗ではありませんか。(笑)

▲ 駐車場に車を置き、10分ほど歩くと中江兆民家墓所の案内板があります。
墓所はご覧の通り、一面笹に覆われています。

▲ みんなで笹を刈り清掃後、般若心経を唱え、尺八で追悼しました。

▲ 北側の中江家墓所から、更に南側へ20分ほど移動すると、一面草むらの中に、2か所目のご先祖墓を発見。(笑)
草刈りしましたが、ここは昨年火事で一面燃えたそうです。左側に福島で被災した桜の苗木を植樹していたそうですが、桜の木も燃えました。その燃え後から新しい芽が出てきて、今枝が茂っています。

▲ 筆山は山内家の墓から市営、そして個人の墓と、ほとんど全山、墓所となってるようでした。
しかし、気がかりなのは、親族が居なくなったのか?草むらに埋没している墓も結構多く見られることでした。
墓所の往復、下を見ると、高知の市街が一望できます。奥の方に見える海は浦戸湾です。
大逆事件の犠牲者・小松丑次

▲ 中江家の最初の墓へ向かう途中に、《大逆事件》犠牲者の1人…小松丑次の墓があります。
通りから少し裏の道へ入ると、倒木の先の日陰の場所に丑次の墓が見えました。

▲ 大逆事件の犠牲者、小松丑治と岡林寅松2人は高知市生まれで同じ小学校の同級生であった。ともに神戸に出て、神戸平民倶楽部を結成して活動する中で、大逆事件に連座させられた。
死刑判決を受けたが、翌日無期懲役に減刑され、20年間入獄したあと、仮釈放された。以後も差別と偏見の中で不遇の生活を送り、小松は昭和20年、岡林は昭和23年、没した。
2人の墓は高知市内のそれぞれ別のところにある。(幡多と中村から)
大逆事件の犠牲者・岡林寅松

▲ 岡林寅松の墓は、高知城の近くにある。その近くには、民権運動の植木枝盛のご先祖の墓もある。(追記…案内板の下の黄色い丸い球は、人魂ではありません。(笑) 単なる逆光による光のいたずらですが、なんかねえ、寅松の魂が我々に冤罪を晴らしてくれ…と訴えたようにも思えましたねえ。)
岡林寅松と小松は、たまたま、内山愚童に爆裂弾の作り方を聞かれ答えた…ただそれだけのことで大逆罪に問われ、終生近隣からの差別を受け続けた。眞に気の毒なことだ。
大逆事件の犠牲者・奥宮健之
生年:安政4.11.12(1857.12.27)
明治期の自由民権運動家。大逆事件に連座し処刑された。土佐国土佐郡布師田村(高知市)に,漢学者慥斎の3男として生まれた。板垣退助らが設立した立志社で自由民権思想を学んだ。明治14(1881)年自由党に入党,翌年には東京の人力車夫300人余りを集めて懇親会(車会党)を組織した。自由党のオルガナイザーとして活躍したが,17年自由党名古屋事件に連座,強盗教唆と警官殺害の罪で逮捕された。20年無期徒刑の判決を受け,北海道樺戸集治監に送られた。特赦により30年出獄し,移民事業を企てたりしたが境遇にめぐまれず,幸徳秋水に接近,幸徳から爆弾の製法を聞かれたことが大逆事件の罪となった。
奥宮は処刑当時53歳で、グループの中で最年長だったという。『奥宮健之全集』がある。

▲ 高知インターから医大病院に向けて走ると、途中に布師田という集落がある。
すぐに道路脇に布師田歴史研究会が建てた案内板が見えた。

▲ 看板を過ぎるとすぐに奥宮健之の生家跡があった。
後継者はなく、跡地は竹やぶに覆われていた。

▲ 生家跡の少し裏手の山に西山寺があるが、この寺も明治の廃仏毀釈で壊され、寺の跡地に小さな石仏だけが、ひっそりと鎮座していました。

▲ 寺の跡地をさらに上へ登ると、うっそうとした竹やぶが現れる。その竹藪の中に奥宮家の先祖墓が並んでいました。
お墓の管理、清掃は布師田歴史研究会有志が行っているようだが、墓迄の案内板がないと、初めての人には見つけられないだろう。
奥宮の墓は、東京・染井霊園にあるが、健之の骨が、ここに埋められている…との話もあるそうだ。
大逆事件犠牲者の5人の高知グループの内、幸徳秋水と坂本清馬を除き、この日に3人の墓を全て訪ねることが出来ました。
1日歩き回って疲れましたが、精神的には、長年の課題を一気に片づけた感があり、気持ちがすっきりとした1日でした。
幸徳秋水と坂本清馬の墓は、地元四万十市の正福寺にあります。
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国会では、中身がスッカスカのザル法・入管法の審議を短時間で打ち切り、又も自公による強行採決が行われようとしている。
入管法だけではない。国民にとって命に関わる大切な水道も民営化が強行されている。
税金も弱者から盗れるだけ盗ろうと最大の不公平税制『消費税値上げ』の強行で、大企業と金持ちに減税する資金を作ろうと言う、『アベ残酷政治』に、いつまで国民は投票を続けるのか?
平和の党だ。国民の党だ。なんてのたまう創価学会も、いつまで自民と結託して国民を地獄へ追い込む公明党の支援を続けるのか?
世の中は、分かってるようで解ってない…おバカな国民によって、世界の国々が、自分本位の醜い社会の成立を競い合ってるように私には見える。
ホントにねえ…この先世界は、人類はどこへ向かうのでしょうか?
我が家では月下美人の為の温室完成
世の動きに不満を述べつつも、我が家の暮らしは毎日続く。命ある限り、そこから逃れるすべはない。まあ、そんなこんなで、ここ1週間ほど、simanto114の工作室は続いています。
それが先日6日、やっと完成しました。

▲ 縁側を使った温室です。
内と外と2重にビニールを張ったので、完成が遅くなりましたが、最後に外開きのドアをつけて、早速、月下美人の鉢植え6鉢を保管しました。

▲ もう鉢からはみ出すほどに大きく育っています。
来年春、温室から取り出した時に、枝を切り、鉢の調整をしたいと思います。
まあ、それまでしばしの間、冬眠です。

▲ 久しぶりに猪肉の燻製を作りました。皿は直径30㎝あります。
今日は、昼前に連れ合いさんの散髪に付き合い、雨も止んだので、昼からは『キノコ採り』、その後3時ごろから猪肉の燻製づくりをしました。
猪肉の皮は、じっくりと甘辛く煮付け、酒のつまみに。そして燻製肉もお酒のつまみに…なんて贅沢なことでしょう。(笑)
そろそろ夕食の時間。それでは今夜もかんぱ~~い

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どうしようもないアベ政治の下で、国民の閉塞感が強まりつつある昨今ですが、そんな中、ちょっと気を吐いている芸人さんが居ました。
その名を立川談志楼…名前からして談志の弟子だと分かります。
談志は権力と迎合して、自民党の議員を務め、芸人としては、冴えない晩年を送ったようですが、その弟子にしては、意外ですねえ。
権力になびく、恥知らずの芸人も多い中、アベ政治を批判するなかなかに気骨のある芸人さんです。私も、どんな芸人さんなのか…よく知りませんでした。
そう言えば、以前、赤旗の記事で見かけたことがあったよな…と探したところ、やっぱりありました。
ちょっと古い記事ですが、その中身は全く新鮮で、光を放っていましたよ。
以下に紹介します。
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2018年2月8日(木)の赤旗記事
「赤旗」創刊90年記念落語家・立川談四楼さん 紙上独演会
野党共闘進めた覚悟「見返りは民主主義」共産党カッケー!
落語家の立川談四楼さんは、安倍晋三政権を批判、日本共産党にエールを送るメッセージをツイッターでたびたび発信しています。きょうは「しんぶん赤旗」創刊90年を記念して、紙上政談独演会を開いていただきました。一席、お楽しみください。
(文・構成 豊田栄光 写真も)
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公然と応援しました
読者のみなさん、おはようございます。立川談四楼と申します。師匠は、もうあの世に行っていますが、この世では自民党の参院議員をしたことがある立川談志です。そのせいか、私は自民党支持者とみられることがたびたびありました。
ところが、昨年の総選挙では、比例は日本共産党という心情になったんです。ツイッターで、「突っ走れ共産党!」と、公然と共産党を応援しちゃいました。
総選挙のとき、共産党に覚悟を感じましたよ。安倍1強政治に反旗を翻し、1人でも多くの立憲主義を守る野党議席を増やそうと、小選挙区で、党の候補者をおろしたんですから。そこにはかつての共産党のイメージはありませんでした。どんなイメージか? 悪いイメージに決まっているでしょ。 「できもしない非現実的な政策を掲げ、孤高を守って独自のたたかいをする政党」「政権を取る気が感じられない政党」「理想だけで政治家が務まるか」って感じでしたよ。 | ![]() |
でもね、野党共闘を本気で進める共産党の姿をみていると、現実の政治を大きく動かすにちがいない、志位委員長が閣僚になるのも夢物語じゃない、って思うようになったんです。私はいま66歳ですが、共産党の政権入りが、孫子の代ではなく、私が生きているうちにあるんじゃないかってね。
寄席の楽屋でも、芸人が共産党のこと話すんですよ。ヒソヒソ、じゃなくて、普通の音量で、周りに聞こえる声で、公然と。「最近の共産党は変わった」って。昔は、共産党を話題にすることすら勇気のいることでした。こんなの初めてです。候補者をおろすことがテレビで報じられ、共産党の覚悟が可視化されたからだと思いますね。
残念ながら、総選挙では共産党は議席を減らしました。選挙後のテレビ番組で、あっちじゃなくて、良い方の小池さん、小池晃書記局長がテレビ番組で野党共闘についてきかれたとき、「損得で動いてはいない。見返りは民主主義だ」ときっぱり答えたんですよ。
カッケー!
本当にかっこよかった。志位さんもぜんぜん愚痴こぼさなかった。
これまたカッケー!
安倍さん将棋なら詰み
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それにしても安倍さんはひどい。森友・加計問題をみていると、政治を完全に私物化しているね。将棋ならつんでいる。王将の逃げ場はないのにね、往生際が悪いね。国会で虚偽答弁をした可能性が高い財務省の役人を国税庁長官にした。「適材適所」と国会で言っちゃうんだから、あきれるよ。安倍さんは自分の「適材適所」がどこかわかっちゃいないから仕方ないかもね。
そういや、国税庁長官は「佐川」って名前だったね。加計問題では「前川」って名の文部科学次官経験者がいたね。私はツイッターで「佐川になるな。前川になれ」って書いたら、とある政治家から「そのフレーズを使わせてください」って連絡がきたんですよ。議場でヤジでも飛ばす気かな。
森友の籠池夫妻。まだ拘置所で身柄を拘束されていますよ。あれだけ顔が売れているんだから「逃亡の恐れ」なんかないでしょう。証拠品もみんな検察が持って行った。拘束を続けるのはね、きっと別のねらいがあるんですよ。拘置所を出た籠池さんが、100万円の札束持って、首相官邸前や国会に現れたら困るからですよ。安倍さんならそのうち「籠池夫妻の『適材適所』は拘置所だ」っていうかもしれない。
東京には白金ってところがあって、そこに集まる人たちを「シロガネーゼ」っていうらしいんです。お金持ちってイメージです。では庶民はなんていうか?「カネがネーゼ」っていうんですよ。これは、とある漫画家がいったダジャレです。落語家も頑張らなくっちゃいけないですね。
安倍さんは庶民の懐事情にうといから、消費税の10%への増税をやるという。もうかっている大企業や株で大もうけしている富裕層から税金を取ろうとしない。これじゃ一般国民はみんな「カネがネーゼ」になっちまうよ。
相手思いやる噺いい
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安倍さんは改憲めざしているでしょう。教育勅語を完全否定できない首相ですよ。教育勅語の真髄は「天皇のために国民は死ね」ですよ。明治憲法の復活こそが、安倍さんのねらいですよ。
沖縄で米軍ヘリが墜落や不時着を繰り返しても、「原因究明まで飛行するな」って自分の言葉で抗議一つできない首相ですよ。こっちが、切れるんじゃないかって心配しちゃうくらい、アメリカにしっぽを振る首相はごめんですよ。
古典落語に「井戸の茶碗(ちゃわん)」という噺(はなし)があります。正直者のくず屋さん、いまなら不用品回収業が、貧乏な武家から、すすけた仏像を200文で買い取りました。その仏像を金持ちの武家に300文で売ったところ、仏像の中から50両の小判がでてくる。その50両の返却をめぐって金持ちと貧乏の武家の家を行ったり来たりするくず屋がおかしい滑稽噺です。金融関係者にはうけるんですよ。この噺には一人の悪人も登場しません。そしてお金がざっくざっくって話ですから。
お金があれば幸せってことではありませんが、登場人物がみな、相手を思いやる心を持っている噺っていいですよ。悪い人がいないっていうのもいいね。安倍さん、どうかご退陣ください!
たてかわ・だんしろう 1951年生まれ 70年に立川談志に入門、83年に真打ちに昇進。著書に『声に出して笑える日本語』ほか多数。
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どうです? なかなか大したものでしょう。
芸人さんは、せめてこれくらいの毒を吐いて少しは芸の深みと気骨のあるところを国民に示してほしいもんです。
…とはいっても、最近では政治家でもなかなか骨のある人物はいませんからねえ。
simanto114の工作室
先日、鹿さんの作品を掲載しましたが、親子鹿が3組、出来上がりました。
鹿さん親子、私がいつもお付き合いしている山辺と川辺のNさん一家に、出来上がった途端、別れを惜しむ間もなく引き取られていきました。

Nさん一家は、鹿の親子にサンタさんを乗っけて、しばらくは玄関に飾っておくそうです。(笑)
それ以外の方からも『いいねえ、可愛いねえ…』とお言葉を頂いていますが、今後の制作予定は当分ありません。
木工教室、老体には、なかなかきついんですよねえ。
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早いねえ、もう師走…1年が走馬灯のごとく飛び去って行きます。
そんな中、我が家は、今木工作品の集中取り組み期間となっている。
注文の多い『鹿さん』は、工作途中で放置され、とりあえず今は、冬が来る前に、『月下美人』用の温室を用意しようと、我が家の縁側のイスとテーブルを撤去…温室作りに取り組んでいる最中なのだ。
昨日、今日と2日間働き通しで、わが老体は、全ての関節が痛みを訴え、筋肉が痙攣を起こしている。風呂で体をあっため、マッサージチェアーで足腰肩をもみ倒しているありさまだ。
ビニールを二重にして、暖房効果を高めようと、自分から仕事を増やしてしまったため、明日も引き続き温室作りが待っている。
完成したら、写真を撮って紹介します。(笑)
それはそうと、又も皇室の爆弾宣言が出ましたねえ。
大嘗祭の費用は、政教分離の立場から、公費の支出はすべきではない…すごいですねえ秋篠宮。
まあ普通に考えたら、当然の理屈なんですが、アベ政権の倫理が余りにもでたらめすぎて、こうした皇室の当たり前の発言が、めっちゃくちゃ新鮮に思えます。
私は、『昭和天皇』がこの世で一番大嫌いでした。絶対的君主として、国民を虫けらのごとく扱い、外国人などは(中国人、韓国人など…)人でもない、犬畜生以下のものとして、差別。虐待し、人体実験として使うなど、言語道断の政治を進めてきた張本人が『昭和天皇』でした。
戦争で人を殺して肥え太ってきた天皇家、一旦敗戦となると、進駐軍に取り入り、私は本当は平和を希求していたなどと二枚舌で戦犯を逃れるなど、本当に卑怯卑劣の見本みたいな野郎でした。
その天皇家の立場が変わりつつあることが、『平成天皇』になり、徐々に国民の眼に見えてきました。それが戦争被害国への慰霊の旅であり、『現憲法遵守発言』であり、そして今回の発言へと繋がっています。
今後、『象徴天皇』と『国民主権』の折り合いを憲法論議として、浮上してくるでしょうが、少なくとも、その論議は今ではありません。
アベ政権を打倒して、辞任に追い込んだ後のことでなくてはなりません。
安倍政権…私が大嫌いだった天皇家からも、正されるようでは、もう禄でもない政権です。
国の未来を前に進めるため、1日も早い辞任が望まれます。
秋篠宮さま、大嘗祭支出に疑義「宮内庁、聞く耳持たず」
https://digital.asahi.com/articles/ASLCQ44BQLCQUTIL01F.html
2018年11月30日00時00分 朝日新聞
秋篠宮さまが30日の53歳の誕生日を前に紀子さまと記者会見し、天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ、政府は公費を支出するべきではないとの考えを示した。この考えを宮内庁長官らに伝えたが「聞く耳を持たなかった」といい、「非常に残念なことだった」と述べた。
記者会見は誕生日当日の30日に報道されることを前提に、22日に行われた。政府が決定した方針に、皇族が公の場で疑義を呈することは異例。秋篠宮さまは来年5月の代替わり後、皇位継承順位第1位で皇太子待遇の「皇嗣(こうし)」となる。
大嘗祭は、新天皇が新穀を神々に供えて世の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る儀式。1990(平成2)年に行われた前回の大嘗祭では、国から皇室の公的活動に支出される公費「宮廷費」約22億5千万円が使われ、「政教分離に反する」という批判は当時から根強くあった。政府は今回も、儀式に宗教的性格があると認めつつ、「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を支出する方針を決めた。前回を踏襲して同規模の儀式を想定しているが、人件費や資材の高騰で費用が増す可能性もある。
これに対し、秋篠宮さまは天皇家の「私費」にあたる「内廷会計」で賄うべきだと述べた。遺産や国から支出されている内廷費などだが、使途は天皇家の裁量で、通常の宮中祭祀(さいし)にも使われている。
秋篠宮さまは「身の丈にあった儀式」にすることが本来の姿、とも述べた。前回の代替わりでも同様の意見を述べていたといい、今回も宮内庁の山本信一郎長官らに「かなり言った」というが、考えてもらえなかったという。
山本長官は直後の会見で「聞く耳を持たなかったと言われるとつらいが、そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」と話した。一方、天皇陛下からは即位関係の諸儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられているといい、「ご理解を頂いて進めている」としている。(多田晃子、中田絢子)
◇
〈大嘗祭〉 新たに即位した天皇が1代に1度限り行う重要な儀式。稲作農業を中心とした古代社会の収穫儀礼に根ざしたもので、7世紀の天武天皇の大嘗祭が最初とされる。中核の「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」では、新天皇がその年に収穫された米などを神々に供え、自身も食し、五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る。今回は来年11月14~15日に予定。このために皇居・東御苑に大嘗宮(前回は建設費約14億円)が新設され、儀式後に解体・撤去される。
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