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SIMANTO114の田舎暮らし

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今年最後の魚釣り

2018/10/30(火)
いやいや~、さすがに自民党…だねえ。さすが安倍だねえ。(嘲笑)

安倍首相は李克強首相、習近平主席との会談の後、自らのツイッターやフェイスブックで書き、ご丁寧にフジテレビのインタビューでも自慢した。
 今度の訪中では、今後の日中関係の道しるべとなる三原則を確認したと。

 その三原則とは次の三つだ。
 1.競争から協調へ
 2.日中はパートナーであり、互いに脅威とならない
 3.自由で公正な貿易体制の維持

 本当に、この三原則で合意したなら、今度の安倍訪中は歴史的な前進である。
 ところが、三原則で合意したとは、中国外務省の発表にはどこにも出て来ない。
 李克強首相も習近平主席も、三原則などという言葉を発していない。
 どうなっているのか。
西村康稔官房副長官は、「三原則という言い方はしていない」と釈明し、外務省幹部も、「原則は呼びかけたが三原則という言葉は使わなかった」と重ねて否定したというのだ。

・・・  2018-10-28 天木直人のブログ


安倍首相の“喜び組”として息を吹き返した。昨日29日、衆院本会議で安倍晋三首相の所信表明演説への各党代表質問がおこなわれたが、自民党の代表質問に立ったのが、あの稲田朋美議員だったのだ。

「明治の精神ともいうべき五箇条の御誓文は改革の集大成」
「歴史を遡れば、聖徳太子の『和を以て貴しとなす』という多数な意見の尊重と、徹底した議論による決定という民主主義の基本は、我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」

「民主主義は我が国古来の伝統」って、一体いつから国会は歴史の珍説発表会になったのか。これだけでも呆れるが、稲田議員はさらに、
「さる10月23日、政府主催の明治150年記念式典が開催されました」と述べると、「明治以降の150年は、欧米から学び、欧米と戦い、欧米と協力して自由世界を築いてきた150年であったと思います」と発言。ものの見事に侵略の歴史を無視してみせたのである。

・・・ https://lite-ra.com/2018/10/post-4340.html

今年最後の釣行
10月29日、3家族で約束していた釣りの日。
山辺のNさん夫妻は、1週間孫の世話をしていたので、疲れてくたくた…とのことで欠席通知。まあ、それは分かる。我が家でも孫の相手でダウンしたことは何度かある。(笑)

川辺のNさん夫妻は、午前中用事があるので、午後から現地で合流したい…と連絡あり。まあ忙しいことよ。

と言うことで、結局連れ合いさんと2人、いつもの深浦港桟橋へと出かけました。
ところが前回の台風で桟橋が壊れたようで、桟橋での釣りは不可能…あちゃ~どうしよう。
釣り場を変えたいところだが、現地で合流の約束があるので、移動できない。

仕方なく近くの海岸から竿を出しました。

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▲ 釣果の方はもう一つでしたねえ。
それでも石鯛の子(縞模様の魚)が5匹。それに下の写真の鯵君が釣れましたが、本命の「赤ジャコ」が全く釣れません。

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▲ 今回の釣り本命の「赤ジャコ」

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▲ 秋の鯵は、もう少し大きくなってるかな? と思っていたのだが小型でした

12時半頃、待っていたNさん夫妻が到着。深浦現地の釣りは、もう1時間ほどエサ取りの襲来で、何も釣れない状況が続いていたので、早速釣り場移転。

外泊の漁港へ向かいました。
海を覗いてみると、赤ジャコ君がわんさと泳いでいます。
早速サビキ仕掛け投入…初めて釣りに参加したNさんの奥さんは、「きゃ~  釣れた、釣れた」と大騒ぎ。釣り方、魚の外し方…一通り教えた後で、私は少し離れた場所でグレ狙い…と言っても、木っ端グレですが。(笑)

しかし、まあ釣れること釣れること…しばしは入れ食い状態が続きました。
私は2本バリの餌釣りでしたが、2回に1回はダブルで魚が上がってきます。

初心者のNさん夫妻も、この日の釣りは十分に堪能されたようで、午後3時に納竿。
4時半には帰宅。私は早速屋外で、魚の調理。できた端から連れ合いさんに渡し、連れ合いさんは、赤ジャコと鯵はから揚げに、石鯛の子は塩焼きに、グレは煮付けに…と調理していきます。
6時には蚊に食われながらも調理終了。

6時半からは、例の通り、宴会に入りました。
やっぱり、自分で釣ってきた魚はうまい
  飲んで食って、夜は更けていきました。





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晩秋の四国カルスト他

2018/10/25(木)

アベシンゾウ…国会で所信表明…モリや加計には一言も触れず、また沖縄での3連敗も避け、ただひたすら美辞麗句、自画自賛を述べただけ…その人格にふさわしい、まったくもって薄っぺらな演説でした。
内政も外交も、大失態だらけ、大臣も次々と失言や悪事が表面化。
まさに満身創痍…ボロボロのアベ政権を国民に見せつけただけの所信表明でしたねえ。(笑)
どなたかずばり言ってましたねえ。アベの言葉…「巧言令色鮮(すくな)し仁」…と。まさにピッタリの表現でした。

そのアベシンゾウ、嘘つき昭惠と手を組んで、専用機で中国へ旅立ちましたねえ。
習近平と会って、一体どんな話をするんでしょうかねえ?

まあ、アメリカ一辺倒でなく、アジア諸国とも仲良くする…と言うのは、私も賛成ですが、どうもアベや麻生が出かけると、何となく「悪だくみ」と感じてしまうのは、私のひがみ根性でしょうかねえ?

 

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▲まあ話はころりと変わりますが…四万十川の流れは、いつ見てもきれいですねえ。
21日の日曜日、この川沿いを100キロも走る「四万十ウルトラマラソン」の日でした。
連れ合いさんと2人、我が家のベンツ(軽トラのジャンボ君)で、久しぶりにランナーたちの応援に出かけてきました。

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▲次々とやってくるランナーに拍手と言葉をかけながら、3時間ほど粘りましたが、誰も知り合いには会いませんでした。皆さん、もう老齢化で、締め切り時間ギリギリにならないとやってこないのよねえ。(笑)
ちょっと悩みましたが、連れ合いさんが飽いてきたようなので帰宅することにしました。


この1週間色々と忙しいねえ。23日には17名の「神戸大学応援団OB会」御一行様に呼ばれて、四万十市内で宴会に参加してきました。
私個人としては、彼らとは一面識もない、ただの門外漢…なんですが、彼らの中の1人が、私の連れ合いさんと小学校の同級生なんだとか…仲間たちの承諾を得ているので、宴会に参加して…との要請があったらしい。
まあそんな訳で、私は連れ合いさんのアッシー君として、一緒に参加させてもらいました。
70年卒だとかで、皆さんもういい年、それにエンダンは仲間意識が強くて、おせっかい焼きで情が深い…一概には言えないが、まあそんな人が多い。

私は運転があるのでアルコール無し。それでも楽しく交流させていただきました。
せめてねえ、世の中の政治家たちも、彼らのように清廉で、気持ちのいい連中なら、この国も、もう少しましな国になったのになあ…そんな一夜でした。


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▲ そして、翌日24日…連れ合いさんの人使いの荒いこと…130キロも離れた四国カルストへ行ってみたい…との仰せ…ああ逆らえない私が悲しい。
止せばいいのに、ガソリン代節約のため軽トラ君で走りました。
行きは良い良い、帰りは恐い…歌の文句通り、クッションが悪く尻が痛くて痛くて、途中何度も休憩する羽目に…トホホホ…

DSC_1797.jpg  
▲ 晩秋のカルストは、客も少なく、ゆったりと走れました。
しかし、花はほとんど枯れ、ススキだけが風に揺れていました。

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▲ でもねえ、キノコはいくつか目に入りましたよ。
このキノコも美味しそうでしょ。笠の径が20cmもある大物です。
よっぽど持ち帰ろうか…と思いましたが、やっぱり知らないキノコは危険です。
後ろ髪をひかれながら置いて帰りました。

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▲ カルストの隣町・大野ヶ原は大根の名産地。
1本80円、50円それに3本100円の大根が出ていました。
無人販売です。連れ合いさん、自分の足より、ずいぶん小さめの大根を6本も買って帰りました。
ここの大根、甘くて本当にうまいのだ。当分はおろし大根と風呂吹き大根が楽しめそうだ。

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▲ 花はほとんど見なかったが、この2つの花は道端で偶然見つけました。
上の花は?です。下の花は「ツリフネソウ」です。

帰り道は、自然薯のムカゴを探しながら、のんびりと帰ってきました。
久しぶりの高原…爺と婆の血が少し若返りました。ほっほっほ。





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京都・大山崎町長選何が起きた?+片山さつきの大暴言

2018/10/23(火)
今日の阿修羅にこんな2つの記事を見つけた。
どちらも重要で的をついた記事だと思うので、紹介しておきます。

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自民党と手を組む立憲民主党を支持した覚えはない!


ネットにこんな投稿があった。

拝啓 立憲民主党様
 自由民主党を追い落とし政権を取って今の日本政界を掃除するんじゃないの?
 京都の知事選でもそうだったけど、選挙で自民党・公明党と組んで何がやりたいのですか? 
 理解に苦しみますので、支持を見合わせます。  
 ***************************

最近、上記のようなの投稿がフェイスブックにやたら目につく。
野党共闘かと思ったら、こんなことをやっている。京都は立憲民主党の幹事長、福山哲郎の選挙区だ。
彼は参院議員だから地元に一定の影響力を持つ前原誠司への「遠慮」があるのではないか。
苦しい選挙事情は分かるが、福山は野党第一党の大幹事長だ。ハッキリ言って前原誠司はもう終わった。小池百合子と計って民進党をぶち壊し、結果的に瀕死の安倍晋三に塩を送り、生き返らせた。
あの時点で前原は過去形の人になった。今は何の影響力もない。福山は、前原の虚像を恐れず、早く一人前に脱皮しなければならない。
こういうことが度重なると立憲民主党は信頼を失い、支持して来たリベラル層や、無党派層が離れていく。
彼らが立憲民主党を後押ししたのは、党内抗争にうつつを抜かし、離合集散を繰り返す民進党に辟易したからだ。
そして、共産党や自由党、社民党とスクラムを組んで、安倍政権を打倒すると信じたからだ。
この原点を忘れないでもらいたい。
自民党と手を組む立憲民主党を支持した覚えはない!



・・・これに対してこんなコメントがついていました。

福山哲郎議員はトロイの木馬なのかと最近思うようになりました。
自民の西田、自民補完政党の国民民主党の和泉ケンタと並んで共闘??
こんなことするから立憲は無党派層に信用されないと感じませんか?

・・・上記の記事に対比して、こんな記事が…いったい大山崎で何が起きているのでしょうか?

京都大山崎町長選前川氏が初当選   NHK

1022日 0100

任期満了に伴う京都府大山崎町の町長選挙は、21日投票が行われ、新人で元町議会議長の前川光氏が初めての当選を果たしました。

大山崎町長選挙の開票結果です。前川光、無所属・新。当選。3855票。
山本圭一、無所属・現。3718票。
新人の前川氏が、自民党、立憲民主党、国民民主党、公明党が推薦する現職の山本氏を抑えて初めての当選を果たしました。
前川氏は62歳。大山崎町議会議員を5期務め、この間、議長も経験しました。
前川氏は、「住民が政策の立案に参加できる委員会を設けるなど、住民主体のまちづくりを進めたい」と話しています。

…さて、当選した前川氏を支援した政党はなかったのでしょうかねえ?
さすがNHKです。都合の悪い部分は報道しませんねえ。(笑)

その答えは付随していたコメントにありました。

…京都府大山崎町長選での大勝利、快挙です。

日本共産党が単独で支持する、新人の前川光さんが、自民党、立憲民主党、国民民主党、公明党が推薦する現職の山本氏を抑えて初めての当選を果たしました。
町議会選挙も全員当選して定数12名の議会で3名が4名に増えました。

…とまあ、そういう次第でした。NHKもきちんと報道してほしいものです。



 そして今度はこちら…今100万円をめぐり話題の方です。

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片山さつき、大暴言発覚!「四国、あそこは離れ小島…」 こんなのが、どうして地方創生担当相なのだ! 



四国を離れ島と言って
つい本音を口にしてしまう馬鹿
言ってませんと言い逃れようと
恥の上塗りしてしまう馬鹿

この馬鹿、地方再生の大臣だって
嘘でしょ、地方を田舎者と言ってるしまう傲慢さ
恥を晒しながら生きる、こんなババーがどうして地方創生大臣なの?

「四国は離れ小島」だってさ。
この人、知識はあっても知恵がないその典型。故に言葉もなけりゃ品もない。
赤坂自民亭で大はしゃぎ、本当は本人もその程度で十分なんだろう。

地方の再生大臣?
まず自分を再生しろよ…

この人自身はもう再生できません。
手遅れです。
秋の落ち葉の如く老いて朽ちていくだけ。

・・・批判のコメントがずらりとぶら下がりました。(笑)

まあ、特に四国に住んでる私たちにとっては、無視できませんわなあ。怒り心頭の方たちも大勢いらっしゃることでしょう。

この方いっそのこと肩書をちょっと変えたらどうでしょう。
「地方創生大臣」じゃなくて「痴呆創生大臣」…どうです、これなら皆さん納得できるのじゃないでしょうか。

まあ、四国が日本の離れ小島なら、日本はアメリカの離れ小島…なんでしょうか?ね。

あんなこんなの政治家さんたちよ。あんまり国民なめんなよ
 
その内、ずっぼりと肥溜めにはまる日が来るよ。ご用心、ご用心





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深まりゆく秋

2018/10/20(土)
過ごしやすい気候になってきました。
10月、大量襲来を覚悟していた台風も25号の後は、発生しそうにもありません。
おかげさまで、久しぶりの秋らしい秋の気候を楽しんでいます。

我が家の周辺の草も、ジャングルみたいに伸び放題に伸びていましたが、3日ほどかけて草刈りしました。又伸びてきた木の枝もずいぶんと刈り込みました。

そんな中、空いてる日を狙い、今季最後の山菜採りに出かけています。
連日のムカゴ狙いで、ムカゴの実は25cmボウルに2杯分溜まりました。
あと2~3回出かけたら、次はキノコ採りが始まります。
それで私の山菜採りのワンシーズンが終了します。

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▲ 今年も「アサギマダラ」がやってきました。
先週テレビで、愛媛にアサギマダラがやってきた…と報道してました。
四万十でも、もうすぐだな…と思っていたら、ほぼ1週間遅れで見かけました。


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▲ 秋の味覚…あけびと郁子(むべ)…開いてるのがあけび

ちなみに「あけび」も「むべ」も同じあけび科です。しかし、「むべ」には実は御大層な曰くがつけられているのです。

*** 「むべなるかな(いかにももっともなことであるなあ)」

 晩秋、ほのかに甘い赤紫の実のなるアケビ科の低木「ムベ」。この植物の語源が、天智天皇が発せられた一言だったということをご存じだろうか。
 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っている。蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。
 「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。

 その時からこの果実をムベと呼ぶようになった。10世紀の法典集「延喜式」31巻には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」の段に、近江の国からムベがフナ、マスなど、琵琶湖の魚と一緒に朝廷へ献上されていたという記録が残っている。***



このゆかしき天からの授かりもの…連れ合いさんと2人で食することにしましょう。
久しぶりの甘~い夜になるでしょうか? ね。





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幽霊話とムカゴ採り

2018/10/18(木)
最近は、加齢のせいか、どうにもブログ更新が億劫になりつつあります。
それで、話をころりと変えて、無神論者の「幽霊話」でもしてみますか。(笑)

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▲ この写真の真ん中…白い柱みたいなものの横に、皆さん、何か見えませんか?
時刻は夜の7時半頃。場所は四万十市の中央公民館の裏口です。
この日は、連れ合いさんの夜の会議があって、私は車の中でテレビを見ながら待機していました。

7時15分頃、ふっと前を見ると公民館の階段の横に、女子高生が立っていました。
黒いスカートに白いシャツ、そして白い靴下。
何だろう、今頃、こんな暗い所で…とは、ちらっと思いましたが、まあ取り立てて不審に感じるまでも無く、またテレビ画面に戻っていました。

その後すぐ、車の明るいライトが見えたので目を外に向けると、女子高生はいませんでした。
なんだ、もう帰ったみたいだな…と思い、目をそらし、車が通り過ぎた後、前方に目をやると、なんだ?女子高生がいるではないか。あれれ?

なんだ、どこかに行って、また帰ってきたのか?
しばらくして、また車が来てライトが照らすと、また女子高生が居ません。
おかしいな…今度は目をそらさず、その場所を見つめていると、車が遠ざかり、またも想像通り、女子高生の姿が見えるではありませんか。(笑)

みなさん、もうお分かりですね。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だったんですよ。
現場に近づいてみたら、黒いスカートに見えた部分は、壁の穴倉みたいなところでした。
白い靴下は、白い鉢植えでした。

思わず笑ってしまいました。
秋の夜の退屈しのぎとなりました。(笑)

緑に燃える燐光と火の玉話
私の中学生のころ、家の近くの畑の隅に野犬の死骸を見つけました。時間は夕暮れで、陽が山に隠れ、少し薄暗い中で、野犬の死骸から緑色の炎が全体の縁取りから昇っていました。
ウエブで同じ経験者がいないか調べてみましたが、全く該当者がありませんでした。
不思議なことです。かなりの経験者がいるだろう…と思っていたのだが、私の経験、珍しいことだったのかねえ?

それと、小さいころ夏の夜の怪談話で、いつも聞かされていて、一度は見てみたいと思っていた「火の玉」…なかなか機会が無く、初めて見たのは私が37歳ころだったかな。
死んだ親父の初盆で田舎に帰って、ちょっと曇り空の日でした。午後3時頃、丘の上の親父の墓を見に行った時のこと、帰りがけに、同じ場所に墓のある友人に20数年ぶりに出逢い、少し話をして別れた後のことでした。

墓場から100mほど離れたところで、丘の上の畑の隅に、ふんわりと浮かぶ火の玉…直系30cmほど、白くちょっと赤みがかった火の玉を見つけました。
「こりゃ凄い
」…念願の火の玉に初めて巡り合えたぞ…感動して見ていたら、球は何と2つありました。2つの玉が絡むように近寄ったり離れたり、風に舞うように、ふうわり、ふわりと畑を舞い、だんだん私に近づいてくるではありませんか。

火の玉は炎の形ではなく、真円でした。
これは、人の魂ではないなあ。ひょっとすると放電現象ではないのかなあ…だとすると触れたら危ないなあ…そんなことを考えながらしばらく逃げ回っていましたが、火の玉は、やがて遠ざかり林の中へ消えていきました。

その間、時間にして、大体10分くらいでした。

私は無神論者なんだが、この他にも、世間の人が聞いたら「嘘だろ」と言うような経験、結構いっぱいしてるんだよなあ。また機会があれば紹介します。(笑)


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それはそうと、今年もねえ、ムカゴ採りのシーズン到来ですよ。
今日、今季初めての収穫に出かけてきました。先日友人から、「もうそろそろ黄シメジが採れるぞ」と言われて確認に出かけてきましたが、キノコはまだ早すぎです。やはり霜が降り始めないとねえ。
ムカゴの大きさを示すため、真ん中にパチンコ玉を入れてます。
こげ茶色の大きい奴は、畑で栽培している種です。収穫はまだ先、もっと大きくなります。(笑)

もっともっと山や海、川に出かけたいのだが、安倍晋三のせいで、なんだかんだと用事が多くて困ってしまいます。私の楽しい暮らしの為にも、安倍晋三、早く退陣してほしいものです。





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大逆事件サミットの報告

2018/10/10(水)
先週金曜日(5日)車に同乗予定の1人が入院の為、3名が夜8時に四万十市を出発。
当初10時出発の予定でしたが、折からの台風襲来により南海フェリーが欠航。となると、いつ何時橋が通行止めになるかもしれないので、出発時刻を2時間早めました。
コースは運転者のMさんの心づもりでは、徳島から淡路経由だった。
私は、一番早く橋を通過できるのは瀬戸大橋コースだから、そちらに変更して…と要請。
それが正解だったのは、翌朝に証明されました。

11時前には瀬戸大橋に差し掛かりました。風はまだ大したことはない感じでしたが、早くも2輪車は通行規制がかけられていました。
まあ、早く出かけたため、時間はたっぷりあるので、途中でゆっくり休憩しながら、翌朝、当初通行予定していた明石大橋の近くを通過。電子掲示板には《通行止め》の表示が出ていました。
コース変更して正解でした。

ここからは阪神高速で大阪へ入り、臨海線で関空の横を通り、和歌山へ入りました。
運転は、ずっとMさん1人でしたので、2時間ほど休憩し、
Mさんに仮眠をとってもらいました。

朝4時前に運転再開、田辺からは高速を降り、山沿いの道、中辺路を通りました。
台風のせいなのか雨が続いています。目的地は熊野本宮大社です。朝6時ころ着きました。
2050年の歴史を持つ神社とのことですが、本当なのか?との素朴な疑問が生じました。時代構成のあいまいな「古事記や日本書紀」形式の、いい加減な年代測定ではないのか?と無神論者の私は、不敬な発想を燃やしています。(笑)

不敬と言えば、そうそう、本来の目的地はここではないのです。この近くに「大逆事件」で冤罪に処せられた「成石兄弟」の墓があり、そこを訪れるのが本来の目的でした。ナビで墓を探しても分からないので、とりあえず近くの熊野本宮大社を目指したのです。

それから少し新宮方面へ向かうと、ちょっと迷いましたがありました。成石兄弟の墓の案内板が。
初めて墓を訪ねたい人は、バス停の成石を目標にした方が解りやすいでしょう。
案内板のすぐ近くにバス停があり、その前の石段を上ると、成石兄弟の墓があったのです。

(▼下の写真)

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以下、本宮町「大逆事件」犠牲者の名誉回復を実現する会・趣意書…より

「大空のタコや故山の子思ふ」
 これは1911年(明治44年)1月2日に東京監獄で、成石平四郎(28才)が一人娘の意知子を思い読んだ句である。また母の於里乃に宛てた手紙に

「行く先を海とさだめししづくかな」              との辞世の句が記されていた。

「大逆事件」は時の国家によって捏造されたものであることがはっきりしており、全くの犠牲者であります。さらに悲惨なことには平四郎の兄の勘三郎までもが一味に加わっていたとして、死刑の宣告を受けましたが、天皇の思し召しとして無期懲役に減刑され、明治・大正・昭和の18年間、獄中での過酷な生活を余儀なくされました。
仮釈放となって故郷に帰りましたが、わずか一年余りで亡くなりました。享年50歳。


  「生き別れ弟死刑われ終身  長崎さして涙を呑みぬ」
  「有る罪を償ふ事は怖れねど  無い罪迄も負ふぞかなしき」

・・・以上

IMG_8526.jpg  
▲右端は成石兄弟の墓碑。墓は左側のどれかだそうです。この時には気づきませんでした。

成石兄弟の墓から熊野川の川沿いに新宮市を目指します。
市内で朝ご飯を食べ、8時半ごろ熊野三山の一つ、速玉大社に着きました。

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▲熊野三山の一つ、速玉大社                                      ▲鳥居には八咫烏が…

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▲速玉大社の入り口にある「佐藤春夫記念館」    ▲そのすぐ近くに誠之助の実家跡が 

ここでは今、今回の旅の本命…新宮市13人目の名誉市民…大石誠之助とはどんな人? の展示会が行われていました。
開館は9時から…しばし速玉大社を散策した後入館。

大逆事件の断罪があった明治44年(1911)3月、慶応大学生佐藤春夫(20)は、父の友人大石誠之助の死を悼む詩「愚者の死」を「スバル」に発表。

「千九百十一年一月二十三日  大石誠之助は殺されたり。
げに厳粛なる多数者の規約を  裏切る者は殺さるべきかな。
死を賭して遊戯を思ひ、  民俗の歴史を知らず、

日本人ならざる者   愚なる者は殺されたり。
「偽より出でし真実なり」と    絞首台上の一語その愚を極む。
われの郷里は紀州新宮。  彼の郷里もわれの町。
聞く、彼が郷里にして、わが郷里なる     紀州新宮の町は恐懼せりと。
うべさかしかる商人の町は欺かん、
---町民は慎めよ。    教師らは国の歴史を更にまた説けよ」

この日は、佐藤春夫の作品よりも、大石誠之助に関する資料が圧倒していました。

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              ▲大石家の墓所                                       ▲誠之助の文字は堺利彦が書いた

大石家はキリスト教を信仰していたようだ。見晴らしの良い南谷墓地には、大石の他に同じ事件で無期刑となった峯尾節堂、高木顕明之墓もある。
大石家の墓所には十字架と『愛はいつまでも絶ゆることなし』の文字が刻まれていた。皮肉なことだ。
大石誠之助の処刑後、その家族は国賊とののしられ石をもて郷里を追われたと言うのに。
誠之助の墓が、大逆事件で死刑となった12人では、最初に建てられたという。
この墓の大きさを参考に、四万十市の幸徳秋水の墓の大きさが決められたらしい。
ちなみに秋水の墓の文字は、小泉三申が書いたと言われている。なかなかの達筆である。

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▲熊野三山の3つ目…熊野那智大社
大石の墓参りの後、まだ時間が余っていたので、予定になかった熊野那智大社を訪ねてみた。
ここの階段は何段あるのか知らないが、かなりありました。あまり鍛えていない足ががくがくなるほど登りました。
その上、雨が降っていて、景色も悪かった。有名な那智の大滝も撮りましたが雨にけぶって、お見せするほどのものではありませんでした。
昼食後、一旦本日のホテルを確認。

午後2時から、新宮市役所の横の児童館で、「第4回大逆事件サミット」が開催されました。
主催者挨拶や各種挨拶は紙面の都合により省略します。

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▲講演「石川啄木と大逆事件」…伊藤和則氏         ▲四万十市秋水の会事務局長・田中さん

石川啄木については、世間の方は、ロマンチックな短歌の作者…くらいにしか知らない方が多いのではないかと思いますが、啄木君、世渡りはもう一つのようでしたが、なかなかしたたかな面も併せ持っていたようです。
何よりも凄いのは、あの大逆事件当時、ほとんどの知識人を気取る人たちが、なべて沈黙を守る中、果敢に「謀反論」をぶちかました徳富蘆花には、一歩二歩譲るとしても、啄木は1910年6月3日に大逆事件を知り、事件の被告弁護人となった平出修を訪ね、裁判に関する記録を閲覧、宮下太吉とその一派の爆裂弾事件を利用して、戦争推進する政府に批判運動を繰り広げる社会主義者たちを冤罪により一気に葬ろうとする国家的犯罪であることを看破していたのです。
啄木は大逆事件の後、1年数か月後に27歳の若さで病死していますから、事件を知ってからの22か月を病魔と闘いながら、事件に関する詩歌、評論を新聞雑誌への発表は困難と知りながらも作品に取り組み続けました。
その命と引き換えに残した事件関連作品は函館図書館に秘蔵されていた。その作品が戦後広く知れ渡り、大逆事件研究者たちに驚きと光明を与えた。
その中には、官憲が闇に葬っていた事件被告者たちの獄中日記なども出てきたと言う。

まあ話は、限がないほど長いのでこの辺りで省略します。(笑)
話の内容は結構面白いものであったが、講師の伊藤さんの話があっちに飛び、こっちに飛びするので、なかなか掴みにくかった。第一、私ら、前日から一睡もしてないのよねえ。
まあ、眠たかったこと…何回も居眠りこいてしまいました。(笑)

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今回のサミットの参加者は250人…過去最高の出席者数でした。
各界、地域からは、全国的にも知られた錚々たるメンバーの発言が相次ぎ、私たちには機会も回ってきません。(笑)
本当は、一つ一つの話をご紹介したいのですが、それこそ限りがありません。きれいさっぱり省略することにします。

夜の部=宴会には約110人が参加。こちらも大盛会でした。
その後は、2次会にも行かず、早速ホテルに入り、汗を落とし、速攻で寝てしまいました。
とにかく眠たかった。

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▲自由・平等・博愛の木柱…除幕式                  ▲約60人ほどが参加
翌日9時から、市役所近くにある《志を継ぐ碑》の横に自由・平等・博愛の木柱を建て除幕式が行われました。
写真の3人は左から山泉進、大岩川、二河の各氏。

この後、南谷墓地に眠る3人の犠牲者の墓を訪ねることになりましたが、私たちは前日に訪ねていたので、省略し、帰宅の途に就きました。

往きは和歌山から回りましたが、還りは伊勢方面を回り、新名神を通りました。
距離的には、こちらのコースが近かったようです。

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▲なぜか?  孫ちんが登場
帰りは、同行者が減り、Mさんと2人になってしまったので、孫ちんたちの運動会を見るため大阪へ出かけていた私の連れ合いさんに連絡を取り、一緒に帰ることにして、娘の家まで車を回しました。
この日、下の孫ちんが誕生祝をしていて、昼過ぎに訪ねた私とMさんは、コーヒー1杯を飲ませてもらいました。
その中で、Mさんが、集会の話をしていたら、突然満4歳になる孫ちんが口を開きました。
その内容が凄すぎた…Mさんは思わず凍り付き、私も唖然としてしまいました。

孫ちん曰く…『おっちゃん、話うまいなあ。さすが大人は話が上手やなあ』

一瞬の後、大笑いとなってしまいました。
4歳なり立てでこの発言…俺の孫は、どんだけ天才?
なんて、思わず思いましたが、さあて、将来はどうなるのか?
大人になるころには、案外『普通の人』だったりしてねえ。(笑)

2時ごろ四万十に向けて出発。夜7時ごろに到着しました。

私も脳の老化も進み、話のまとめ方が下手になってきました。
このくらいで終わることにします。

最後に新宮市の名誉市民になった【大石誠之助】について報道した朝日新聞の『天声人語』を紹介しておきます。

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大逆事件サミットin新宮

2018/10/05(金)
台風24号が過ぎ去り、ホッと一息つく間もなく、25号発生。猛烈な台風から強い台風へと、ランクは落ちてくれたが、九州に接近中。
我が家の池…太平洋も波が岩に打ちつけ、どど~んと波の音が轟き、白い波しぶきが上がっている。

そんな中、今夜から和歌山へ出かける準備をしている。予定していた南海フェリー(徳島~和歌山)は、今夜は欠航だそうだ。先ほど連絡があった。
同志3人と車で和歌山目指して走ることになった。まあ、物好きなことだ…とあきれる人もいるだろう。(笑)

さて、和歌山で何があるか? と言うと、実は6日と7日に大逆事件サミットが開かれるのだ。
大逆事件とはなんだ? と思う人も最近では多いだろう。語れば長くなるので詳細は省くが、明治維新は、諸君が思っているような「文明開化」いわゆる歴史の前進ではなかった。むしろ奈良時代の官位を復活したことに見られるように、時代の逆行を推し進めたのが明治維新なのである。

全ての民の自由と平等を奪い、
国の将来を誤らせた元老・山懸有朋を中心とした薩長による時の政府は『絶対主義的君主制=天皇制』を樹立するため、1911年1月、幸徳秋水はじめ12名の罪なき人々を絞首刑にした。戦争国家を目指した政府が国民の声を封じるために、みせしめとするために行った完全な冤罪事件である。以後、この国は戦争の道へと突き進み、日米戦争の敗北まで、多大な国民の犠牲が続くのである。

この大逆事件サミットは、事件犠牲者たちの名誉回復と顕彰活動に取り組んでいる全国の団体・個人が一堂に会し、それぞれの活動報告と経験交流、今後の取り組みを議論する場であり、第1回は、2011年、幸徳秋水刑死百周年記念事業の一環として、中村で開かれた。
第2回は、2014年、秋水の盟友堺利彦の生誕地福岡県豊津(みやこ町)で。
第3回は、管野須賀子がキリスト教洗礼を受けた大阪の天満教会で開いた。
そして今回が第4回・和歌山。新宮での開催となったのだ。

新宮市議会は昨年12月、秋水と共に処刑された地元の大石誠之助をなんと、『名誉市民』として表彰する決議を行ったのである。そして今年1月に市長の決断で、処刑された日、1月24日に遺族に決定を伝え表彰状を手渡したそうである。

まさにグッドタイミングの新宮開催ではないか。
かの地の開催を祝うかのように、天候は荒れ気味ではあるが、各地から集まる同志たちと交流を図ってくるつもりだ。

帰ったら、また報告します。


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▲我が家の池も、ずいぶん波が高くなってきた。台風接近中…

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▲最近はあまり出かけないが、コスモスの花に出会うとホッとする

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▲彼岸花は、文字通り彼岸の頃に咲く花…もう終わったね







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残された人生、命ある限り、ある程度世の中のお役にも立ちつつ、海・山・川に戯れながら生きたい…と結構欲張り爺さんのぼやき日誌です。

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「あしたまにあーな」…「明日できることは今日はやらない」がわが人生訓です

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