先日、ウグイスの初鳴を聴いたが、幻聴か? なんて書きましたが、今朝も聴こえました。
どうやら幻聴ではなかったようです。(笑)
何だかねえ、あれだけ寒かった今年の冷気は、まるで嘘だったかのように、最近ポカポカと春らしい陽気が続いています。
それでも北の方では未だ氷点下の日が続いているようです。日本も狭いようで広いものです。
さてさて、冷えてると言えば、何といっても一番は日本の政局。
最近の政府は、国民のことはほったらかし、身びいきやえこひいきばかりが横行する、暗闇政治が続いています。
身内やお友達の不祥事は、目に余るほどにかばい、金持ちとは仲良く、どんな理不尽な要求…例えば長時間労働やただ働きを強制する、裁量労働制の導入など、政府自らがデータをねつ造までして認めよう…など、まさに言語道断の事態が進められています。
その上、国民主権の否定、憲法順守義務の否定、軍隊の復活、果ては、日本国民が絶対に許してはならない【原爆の所有】なども肯定する意図が政府の影から見えてきだしました。
寒いねえ。『のど元過ぎると熱さ忘れる』という言葉がありますが、日本人も、もう少し賢くなってほしいものです。
『愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ』と言います。
日本が77年前、無謀な真珠湾攻撃を行い、世界の人々を苦しめ2000万人という多大な人々を死に追いやり、なぜ無条件降伏に追い込まれたのか…少しは理解する頭と心を持ってほしいものです。

☝ 雪割草
続くアベ政治の冷たさに耐えかねて、今までの雪割草は、みんな枯れてしまいました。
今年は、アベ政治に打ち勝つ、新しい雪割草を植えました。
それが芽を出し、何とも可憐な花をつけてくれました。

☝ 雪割草…接写してみました。
今年こそ、可憐ながらもたくましく、冷たいアベ政治を打ち破る、たくましい花と育てよ。

☝ 梅花オウレン、もう一度載せておきます。


☝ ヒメリュウキンカ ☝ クリスマスローズ
ちょっとツワブキの葉に似た黄色い花…なんだったっけ? 調べてみたらヒメリュウキンカでした。
ツワブキはキク科に属します。この花もそうなのか? と思ったが、違いました。キンポウゲ科でヨーロッパ系の花でした。
クリスマスローズは、我が家に古くからありますが、最近少なくなっていました。昨年、知人から分けてもらい、あちこちに移植して、今年は色々なクリスマスローズがたくさんの花を咲かせています。
今日のニュース
9条は自由の基礎 軍事価値を否定
憲法9条2項が戦力不保持を定め、徹底して軍事を否定したのは、国民の自由のためにそれがどうしても必要だと痛感されたからです。
安倍晋三首相は、1月の施政方針演説で「明治150年」と述べました。しかし、明治維新(1868年)以来の150年は、戦前と戦後で全く異なる70年からなります。
戦前の明治、大正、昭和は、国を統治する全権限を天皇が握る絶対主義的天皇制のもと、日本が戦争に明け暮れた時代でした。
その中で、日本軍国主義と天皇制政府は、軍機保護法、治安維持法、国防保安法、新聞紙条例などで徹底的に国民の言論、思想と運動を弾圧。主権在民と侵略戦争反対を掲げた勢力は残虐な拷問を受け、生命まで奪われました。国家神道が強制され信教の自由は否定され、教育勅語などに基づく徹底した軍国主義教育で「お国のために血を流す」ことが無上の美徳とされました。
国家総動員法は「国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スル」ものとし、強制徴用をはじめ、戦争最優先に人もモノもすべて国家が取り上げたのです。
日本国憲法が、9条で軍事を徹底的に否定したのは、歴史にてらし「戦争は自由の最大の敵」であるとしたからです。
憲法学者の樋口陽一氏は『自由の基礎としての憲法第九条』という論考で、「基本的に一九四五年以前の日本社会は軍事的価値を最上位に置く社会でした。第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大きな意味があったのです」と指摘。「天皇と軍とそのために死ぬことを力づけた国家神道、この三者の結びつきをいったん否定する。統治権の総攬(そうらん)者としての天皇から『象徴天皇』へ、国家神道から『政教分離』への転換と並んで、軍事価値の否定というところに、第九条が持ってきた大きな意味があった」として、「自由の保障」にとっての9条の意義を強調しています。『9条で竹島が守れるか』みたいな、どうしようもない頭の悪いネトウヨさんの、口車に乗せられることなく、この国の将来、事の是非が判断できる日本国民であってほしい…私の願いです。
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今年は春が遅いと思っていたのだが、なんと一昨日、25日に鶯の初鳴きを聴いてしまった。
いつもなら3月に入らないと聞こえないのに、何だかやけに早い。
ひょっとしたら、加齢からくる幻聴か? と、自分を疑ってしまう。(笑)
でもまあ、先日、桜前線の発表があったが、今年は桜の開花も早そうだ。高知では22日開花となっている。昨年はずいぶんと遅くなり4月上旬にやっと桜が咲きだした。
土筆が出るのは遅かったが、その他のものは何だか早い感じがする。

☝ 我が家の椿は『藪椿』だ。
昨年の今頃は、庭に落ちた椿の花で地面が真っ赤に見えたものだが、今年は椿の花がちらほらとしか咲いていない。
何でも当たりはずれはあるものだが、これだけ椿の花が少ない年は珍しい。
ひょっとしてだけど…椿の花も、汚いアベ政治に嫌気がさしているのではなかろうか?…そんな気かする近頃です。
花が少ないせいか、例年なら群れを成してやってくる『メジロ』も、あまり来ないようだ。


☝ スノードロップ ☝ ノースポール
彩の少ない庭の片隅に、春の花たちが少しずつだが、姿を見せ始めました。
3月に入ると野の花たちと共に、花壇の花たちも、にぎやかに咲き始めるのではなかろうか…と楽しみです。

☝ 翁草…連れ合いさんの好きな花だが、何回植えても1シーズン過ぎると消えてしまう。
今年は、地植えにせず、鉢植えのまま置いてみる…と試行錯誤中…さて、うまく来年につながるでしょうか?
最近のニュース
国会では、裁量労働制のデータねつ造までして、導入を図るアベ内閣に対し、「全国過労死を考える家族の会」の反論や野党共闘の強まりで、政府が苦境に追い込まれつつあるようです。
国会では23日、「森友・加計」疑惑の関係者(佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官、安倍晋三首相夫人の安倍昭恵氏、加計孝太郎加計学園理事長)の証人喚問を政府・与党に迫る『野党合同院内集会』が開かれ、今後とも野党の力を合わせアベ内閣を追い込んでいく事で合意しました。
何だかねえ、安倍昭惠…なんて名前が出るようになってから、ずいぶんと久しいような気がするねえ。いつまで逃げ回ってんだろうね。盟友の森友の籠池夫妻は不当ともいえる長期拘留されてるというのに、安倍昭惠は何をしようと野放しなんだねえ。禁止薬物の大麻の推進までやってても、ほったらかし…警察も、首相夫人には手が出せないのかねえ?
それから佐川…こんな奴が国税庁長官…みんな納税義務を果たす意欲が減退するよねえ。
税務職員も税務調査で『そんな記録は一切ございません』なんて言われることだろうね。
私の知り合いは、たかが、一時停止違反で1日拘留される…なんて信じられような目にあったというのにねえ。
こんだけ悪いことやって、その上に9条改悪なんて…こんな理不尽な『アベ内閣』早く、早くやめさせよう。
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女子パシュートで金。美帆ちゃんこれで金銀銅のメダルがそろいましたね。
個人の実力では劣りながらも、チームワークの力で勝利をもぎ取る…日本のパシュートの作戦を次からは他国もマネするかもしれません。それほど安定した作戦勝ちの勝利でした。
スピードスケート500m、さすがの女王・小平…金をもぎ取りました。
地元・韓国の李相花の3連覇を阻む勝利でした。しかし、試合終了後の二人の抱擁と称えあいも、なかなか感動的でした。
それにしても、ノルディック複合のドイツ勢の強さは圧倒的ですねえ。3種目すべて制覇したその強さは肌が泡立つ思いでした。
日本の渡部暁斗の強さを都会型の洗練された強さだとしたら、ドイツ勢の強さは、野生の強さ、一発勝負の強さは、まさにブルドーザーの突進に似ていました。
日本勢に欠けるものをドイツが示してくれたのか…そんな気がするオリンピックでした。
楽しかったオリンピックもそろそろ閉幕か。
後はもう、女子フィギュアの結果だけが気になります。
カーリングは、私的には嫌いですし。。。


☝ 梅の花も、もう満開です


☝ 採りたての土筆くん ☝ 袴を取り、水につけた土筆
今年は、ずいぶんと春が遅れました。例年なら1月末か2月初めには土筆君がたくさん採れるのですが、今年はずいぶんと気を持たせてくれました。今日やっと四万十河原で手提げ袋いっぱいの土筆が採れました。
せっせと袴を取り、水に漬けました。
後は湯がいて炒めれば、今年の初物の土筆君が味わえます。ほろ苦い春の味を卵とじで頂くのもまた、風流なものですよ。
日本全土の米軍機飛行禁止を!!
それにつけても、今度は三沢で米軍機が燃料タンクを投棄…湖のシジミ漁の人たちに命中しなくて幸いでしたが、今盛りのシジミ漁は燃料臭いのと現場検証が終わるまで、中止だそうです。
この湖の漁師は約400人…収入を絶たれて、どうしたらいいのか?
猟師さんたちは激怒している模様です。
先日掲載したばかりの私のブログ…米軍機の事故は今後も続く…衝撃の実態
に掲載した内容が正しいものであることを、今回の事故は、不幸にも証明しています。これからも米軍の事故は続発するでしょう。1日も早く、沖縄だけでなく日本全土の米軍機飛行禁止の措置を取らないと、いつか必ず、人命を損なう大事故につながります。
みなさん、憲法改悪を企み、自衛隊を軍隊として認め、この国を再び戦火に巻き込もうと画策するアベ内閣を自公政権を早く、早く終わらせましょう。
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昨日は朝から、ワクワク、期待をしながらテレビを見つめていた。
我が家のBHK(おバカなNHKのこと)テレビは、よっぽど機嫌のいい日でないと映らない。
連れ合いさんが街へ出かける用事があったので、車のナビ君で男子フィギュアを見ました。
ネイサン・チェンの見事な復活、少しヒヤリとしたが、ショートの失敗でメダルには届かないようだ。パトリック・チャンも失敗。
メダル争いは、羽生、フェルナンデス、宇野…この3人に絞られてきた。
羽生の前半は完璧、期待は高まる。後半、スタミナが切れてきたのか、ジャンプにぐらつきが出だした。ひやひやしながら見つめていたが、決定的なミスは出ない。
終わった後の歓声。高得点が出た。しかし、金確定! とは言えない微妙な得点だ。
フェルナンデスの前半も完璧、羽生を上回る出来に、これはやばい…そんな気になってきた。
しかし、フェルナンデスも後半に入った途端、4回転が2回転になる大ミス、その後も立ち直れず、後はもう、宇野君の出来次第。
私としては、もうどちらが金でもよかったのだが、まあ、心情的には、やはり羽生に金を上げたいなあ。そんな思いは、宇野の最初の4回転失敗でどうやら確定したようだ。
それにしても、日本の男子フィギュア、歴代最高の位置を築いたようですねえ。
惜しみない拍手を送りたい。
しかし、将棋の羽生は負けましたねえ。
朝日杯将棋オープン戦の本戦トーナメントで、中学生の藤井聡太五段が、羽生二冠と広瀬章人八段を連破し、60年以上更新されていなかった棋戦の優勝と六段昇段の最年少記録を塗り替えました。
羽生絡みでずいぶん話題になってるようです。

☝ 梅花オウレン…大きな鉢に植え替えました

☝ 雲間草も元気です

☝ 雲間草の接写

☝ こちらは、梅花オウレンの接写
あまりうまくは撮れませんが、まあ、それなりの写真でしょうか?
春よ来い、早く来い。
冬将軍とアベ政権は、雪と共に解けてなくなれ!
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寒さも緩んできました。私のブログも、また元のぐうたらブログに戻ってしまいましたが、
ここ何日か、雪ではなく雨が降っています。
そろそろ春の気配が…と思い、四万十川の河原を見てきましたが、まだ土筆の数はパラパラでした。今年は春が遅いねえ。早い時は1月末には、土筆の子が一杯顔を出すのにねえ。
さて、何といっても、春一番に顔を出す山菜はフキノトウです。
今年もしっかりと顔を見せてくれました。
早速収穫し、今年初めてのフキ味噌の苦みと味を楽しみました。ビールがおいしかった。


しかしなんだなあ、冴えませんねえ、オリンピック。
時差がないので、毎日楽しみにテレビを見ていますが、歩君も小平も高木も、そして渡部もなんかねえ、運がないと言うか、もう一つが、もう一歩が届かない…そんなもどかしさが漂う毎日が続いています。
さて、こうなると、最初に金を取って混迷から脱するのは誰か? 俄然興味が湧いてきました。
【安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名】3000万人達成を目指し、色々と取り組みながら、最後までオリンピックを楽しみたいと思っています。
皆さんも応援してくださいねえ。アベの思い通りの世の中なんかにしないために…。
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今日から、いよいよ楽しみにしていた平昌オリンピックが始まりました。
幸先よく、フィギュア団体戦の緒戦、ショートで宇野昌磨が100点越えで1位となりました。
しばらくはオリンピックを楽しみたいものです。
それにつけても、世間は大変ですねえ。
南国土佐でも、今まで経験したことも無いような連日の雪景色が続き、ブルブルと震える毎日です。特に福井県の車の立ち往生は、雪になれている地域だけに、想定を超えた積雪だったのでしょう。
さて、そんな折、かなりむかつく記事が産経新聞に載っていました。
「米兵美談」 「産経」誤報認める 沖縄2紙の批判受け謝罪
皆さんも、とっくにご存知だろうと思いますが、私は、先日沖縄に行き、米軍ヘリ墜落や不時着の現場を見てきただけに、この産経記事のでたらめさ、いい加減さには、怒り心頭に達しました。
沖縄県民への『加害者』である米軍を『救助者』のごとく作り上げ、事故を起こした米兵を『英雄』のごとく、祭り上げていたのです。しかも、産経記者は事故の調査もせず、ネット情報のみをうのみにして記事をでっち上げた…というから驚きです。
しかも、自らのでっち上げ記事を根拠に、この事件を報道しない沖縄の新聞2紙を『日本人として恥だ』と攻撃していたというから、開いた口がふさがりません。産経新聞は報道としての常識も良識も持ち合わせていないのか?
まるで政府広報と似たり寄ったり…同じ体質らしい。
沖縄の米軍ヘリの事故の多さを『このままでは近く重大事故が発生するぞ』と憂慮していたが、なんと、その前に自衛隊のヘリが墜落、5日午後4時45分ごろ、佐賀県神埼市千代田町嘉納で陸上自衛隊のヘリが墜落、住宅が炎上する…という事件が起きてしまいました。
そして、事故から3日後になんと、事故現場近くの上空を、航空自衛隊の大型輸送ヘリCH47Jが飛行して現場住民の怒りが吹き上げています。
何とねえ、親分(米軍)が親分なら、子分(自衛隊)も子分なんだねえ。とても、国民主権、民主主義国家・日本の出来事とは思えない。まさに由々しき事態です。
米軍、衝撃の実態
先日、平和新聞を読んでいて、衝撃の記事を見つけました。
米軍、海軍機の過半数飛べず…予算不足で整備できず…という記事です。
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名護市長選開票結果
当 20389渡具知武豊 無新
16931稲嶺 進 無現【記者の視点】名護市長選 敗者は日本の民主主義 (沖縄タイムス)
稲嶺氏自身は公約を守り、民意を体現して阻止に動いてきた。日本が民主主義国家であるなら、工事は当然止まるはずだった。
安倍政権は、既成事実を積み重ねて市民の正当な要求を葬った。民主主義の理想から最も遠い「あきらめ」というキーワードを市民の間に拡散させた。
稲嶺氏の2期目が始まった2014年に辺野古の工事に着手。抗議行動を鎮圧するため本土から機動隊を導入し、16年の東村高江では自衛隊まで使った。
力を誇示する一方、辺野古周辺の久辺3区に極めて異例の直接補助金を投入した。今回の選挙直前には、渡具知武豊氏が当選すれば新基地容認を明言しなくても再編交付金を出すと言いだした。何でもありなら、財源を巡る政策論争は成り立たない。
安倍政権は名護の選挙の構図自体を4年かけて変え、市民から選択の余地を奪った。大多数の国民がそれを黙認してきた。
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悔しいねえ。私も先日沖縄へ名護市長選での稲嶺市長勝利を願い、ごまめの1匹の力を発揮するぞ…と行ってきただけに、余計に悔しい。
この敗北が沖縄の基地闘争に、そして全国の民主主義を守る闘争に与える重圧は、並大抵ではない。権力が牙をむいた時の力は大きい。改めて痛感しました。
敗因は(私の伝聞&推測)
①なりふり構わぬ権力の介入、締め付けを重く受け止められなかったこと。
選挙戦では、当初からアベ政権が前面に立ち、経営者から従業員への締め付けが多数の職場でやられたようだ。車を出し、期日前投票に連れていく(これは公明党も全力を傾注)…そのため期日前投票が、前回の1万5835人より5825人増えて2万1660人に達し、過去最高を更新。投票者総数に占める割合は57・72%…信じられない数字が権力の介入を示している。
②公明党の固定票が反稲嶺で動いたこと。
③進次郎の投入で若手の浮動票を取り付けに成功したこと。
④露骨な選挙違反に警察が見ぬふり?1票10万円で買収との声も聞こえていた。
まあ、専門的に分析すれば、さらに色々あろうけれど、権力の力を我々も承知したうえで、今後の作戦を考える必要があるなと感じています。


稲嶺氏の敗北を悼むかのよう、四万十川は、昨日から雪が降り続いています。
捲土重来…悔しいけれど、もう一度踏ん張って、今度は全国規模で、アベ政権の追い落としに挑戦しましょうか。今年は、憲法9条改憲を巡り、土壇場の戦いが幕を開けました。
アベシンゾウ、千載一遇の機会は今年1年しかありません。
今年中に改憲発議をしないと、アベの野望は潰えてしまいます。
今国会、そして次の臨時国会、そこが山場となります。
我々としては、この1年、この2つの国会で、改憲の発議をさせなければ、一旦は9条改憲の危機は去ると判断しています。アベ政権も1強独裁のように見えて、実は弱点もいくつか抱えています。
そこを見据えた、9条改憲を阻止する闘いが大事でしょう。




2月4日、緊急の、こうち九条の会の『全県交流集会』がありました。
雪の降る中、私も遠い高知市まで出かけてきました。
早めに着いたので、会場近くの高知城へ初めて登ってきました。入場料430円でしたが、県内の65歳以上の高齢者は無料で入れました。
いつも町から城を見上げるだけでしたが、今回は天守閣から街を眺めましたよ。(笑)
しかし、この日は寒くて寒くて、早々に降りてきました。
こうち九条の会の『全県交流集会』
●アベの狙いは…2020年に新憲法を施行したい。 内容は、国民の抵抗が一番少ない方法で。
…9条1項、2項はそのまま。3項として自衛隊を付け加える…という案が最有力。
●なぜこの案が浮上したのか?
1.『9条改憲NO!』の世論が高まったこと。
2.自民党改憲案が余りにも不人気であること。
3.アベが「自分の任期中に改憲を」という野望を持っているため。
4.一度憲法に書き込みさへすれば、後は勝手に解釈改憲できるからの企み。
●『アベ9条加憲』論の問題点
1.『加憲』される自衛隊の実態は、『専守防衛型自衛隊』ではなく、『安保法制型自衛隊』であ
る・・いつでも、どこでも、戦争ができる自衛隊に変わる。
2. 9条1項、2項の空文化になる…後法は前法を廃する…法解釈の基礎。
3.自衛隊を一旦憲法に書き込めば、事後の悪法成立の根拠とされる。
・・現在9条は、徴兵制や軍事機密保護、自衛隊の為の土地強制収容、軍法会議の制定等々を
制限禁止する働きをしているが、逆に自衛隊が憲法で認められるなら…と以上のことも認める
方向で動き出す危険性。
●アベ改憲の機会は今年しかない
19年には4月に天皇退任がある。
7月には、参院選。
20年には、東京オリンピック。
●現行の国民投票法にも問題点多し…検討の必要性
●我々の運動のポイント
1.まずは国会で発議をさせない闘いが大切。
2.そのために『アベ改憲を許さない3000万署名』を全力で挑む。
3.学習と宣伝…考え着く方法をすべてやりきる。
4.今年の秋、県民集会を開催する。
まあ、そんなことが決まりました。
誰が何と言おうと、この国の最高法規・憲法を守る戦いに、そして、平和と民主主義と国民主権を主張する戦いの一員として、この老体が役に立つなら、何とも喜ばしいことではないか。命ある限り、老いの一徹、頑張ろうと思う。
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前回の続きだ。沖縄2日目は、海軍司令部壕、南風原陸軍病院壕、ひめゆりの塔、魂魄の塔までが前回の話でした。
今日はその続きです。お昼、近くの食堂で今度は『野菜そば』を食べました。沖縄のソバは量が多いですねえ。都会の2杯分は優にあります。
その後、沖縄南部の戦跡を目指しました。


☝ 韓国人慰霊の塔 ☝ 平和祈念資料館
平和祈念堂をバックにして建っている。石塚を中心に韓国の各地域から集められた石が並ぶ、塚の前の 円形広場にはさまよえる魂のために故国への方向を示す矢印(写真手前)がある。 朝鮮半島から強制的に連行されてきた人々はもっとも立場の弱かった。そのためもっとも危険にさらされ、かつ虐殺された人もいた。いま、この日本の政治を彼ら死した人たちは、何ととらえるのでしょうね。 |
☝ 平和の礎の碑
平和祈念資料館の門をくぐると、平和の礎がある。そこには見渡す限りの石板が立ち並んでいる。
圧倒的な思いが立ち上ってきます。


☝ 石板1枚に約200名前後の氏名が記されている。その数24万余人…沖縄戦の全戦没者の数である。ここには、アメリカを含む外国人の名前も記載されています。ここに記された名前の一つ一つが、人の姿として、ここに立ち上がったらどんな光景が現出するでしょう。こんな愚かな戦争は2度としてはならないと思います。
☞ この辺り一帯が摩文仁の丘と呼ばれ沖縄戦の最後の激しい抵抗が行われた終結の地です。『ひめゆり学徒』の乙女たちも、この地で自決したそうです。平和の礎から左手に見える丘で第32軍司令長官牛島中将も自決したと言われています。
そしてここに、何と意外な、土佐のジョン・万次郎が日本に帰る第一歩を標した砂浜がありました。
白い矢印の場所がそうです。
ふ~ん、万次郎は、こんな場所から上陸したのか…時代を超えた感動が湧いてきます。
万次郎が上陸したこの浜で60数年後、沖縄の乙女たちが散っていったのか…


☝ たくさんの遺骨が散らばっていた浜も、今は静かで穏やかな光景が続きます。
☞ 浜にあるS字の形は、海中ケーブルを埋めた跡だそうです。ここが戦場跡だと知ってか知らずか若者たちがサーフィンをしていました。


☝ 戦死者を悼むかのように、道には赤やピンクのハイビスカスが咲いていた。
かつて、高知県選出の衆院議員・山原健二郎は沖縄に来て、こんな短歌を詠んだ。
「仏桑花 そこには咲くな そこは基地 なが紅は 沖縄のもの」
☞ ちょっと辺鄙な場所にあるから寄らない…と言っていたのに、時間があったのかな?
気が付くと、『土佐の碑』についていた。碑は八重瀬町具志頭の丘の上に建っている。祀られているのは18,545名でうち沖縄戦戦没者832名と南方諸地域戦没者 17,713名となっています。


☝ 土佐の碑の下は、こんな海岸が… ☝ 糸数アブチラガマ…戦跡案内人・村上さん
摩文仁から海岸線をさらに南へ行くと南城市がある。つい先日、沖縄最強の保守市長相手に65票差で競り勝った、瑞慶覧長敏(ずけらん・ちょうびん)新市長の誕生したところだ。「神の島」久高島、世界遺産の斎場御嶽、琉球を造った神「アマミキヨ」が最初に降り立ったとされるヤハラヅカサなど、人と神とがつながる聖地が点在している風光明媚なところだ。
今回我々が訪ねたのは光溢れる南城市にあって、一般的な観光客の姿がほとんど見られない特別な場所。眩しすぎる外界とは真逆の、深い闇に閉ざされた自然洞窟、糸数アブチラガマです。
☝ 狭い入り口からヘルメットをかぶりガマへと入ります。今日は一体何回ヘルメットを被っただろう。
☞ 階段は最近、保存会の皆さんが自力でつけられたそうです。以前は滑りながら入っていたのかな?
☝ 中は真っ暗。ここでも懐中電灯が頼りです。ただ洞窟は鍾乳洞だけに広い。
全長270mのこのガマ(自然洞窟)は日本軍の地下陣地として整備されましたが、戦況が悪化すると南風原陸軍病院の分室として使用されるようになりました。およそ600名の負傷兵が運び込まれ、軍医、看護婦とともにひめゆり学徒が看護にあたったそうです。
5月25日に撤退命令が出されると、破傷風や脳症に苦しむ重症患者が置き去りにされ、避難していた近隣の住民とともにアメリカ軍の攻撃に耐えながら、空気穴から入ってくるひと筋の光に生きる希望をつなげ、45人の住民と7人の負傷兵が奇跡的に生き抜きました。
入り口の近くには『命の井戸』と呼ばれた井戸があり、今も滾々と水が湧き流れていました。
☝ こちらが出口になっています。 ☝ 聖地・斎場御嶽入り口で記念撮影
☝ 斎場御嶽から見える久高島 ☝ 世界遺産・斎場御嶽
久高島は、琉球開闢(かいびゃく)の祖アマミキヨが天から舞い降りてきて、ここから国づくりを始めたという琉球の聖地。今も島の人々によって神事が行われ、平和への祈りと感謝が捧げられています。島と言っても山はなく、低いサンゴ礁の台地に見えました。
☝ ここを含めて周辺一帯を斎場御嶽というらしい
☝ 琉球料理の店・龍潭
前号の分と合わせて、22日の戦跡巡りは終わった。想えば長い1日だった。沖縄に来て1日も、のんびりした日はなかった。毎日がハードスケジュールの連続でした。今日だけでも何回真っ暗な穴倉にもぐりこんだだろう。ヘルメットを被り、長い脚?を縮めて、悪戦苦闘、距離だけでも相当歩いた。普段の1ヶ月分も歩いたのではなかろうか。(笑)
まあ、それでも夕方7時ころから、現地の方たちと交流を兼ねた懇親会が開かれ、何とか疲れを癒しました。
今日1日案内してくださった村上さん始め、宮城さん、下地さん、伊佐村議、村山さん等、現地の方たちにずいぶんお世話になりました。
今回の旅には、面白い余談もいくつかありますが、あまりにも長くなるので、一旦この辺で終了といたします。
また行きたいなあ…沖縄。のどの調子もずいぶん直ってきたしねえ。(笑)
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沖縄に着いて2日目。1月22日は朝から沖縄の戦跡巡りの日です。レンタカー2台に分乗して海軍司令部壕を目指します。
海軍司令部壕は、沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。戦後は旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、周辺は海軍壕公園として整備されている。豊見城市と那覇市の市境に位置する。


☝ 海軍司令部壕は雨でした ☝ 入り口は戦後補修されたみたいです
司令部壕は1944年8月10日に着工され、同年12月に完成した。海軍第226設営隊(山根部隊)の約3000名が設営にあたり、ほとんどの工事はツルハシなどを用いた手作業で行われた。小禄地区(那覇空港)周辺にはこの他にも多数の防空壕が建設され多くの住民が動員されたが、海軍司令部壕は最高軍事機密であったため民間人は近付くことも許されず工事は軍隊の手のみによって行われている。
![]() | 5月半ばアメリカ軍は那覇市街地に迫り、陸軍は5月22日沖縄本島南端部への撤退を決め、小禄司令部壕を守っていた海軍もこれに合流するため武器の一部を廃棄して移動を開始したが、命令の行き違いがあり小禄司令部壕へ引き返している。6月に入ってアメリカ軍の攻撃が激しくなったため陸軍との合流は断念せざるを得なくなり、海軍は司令部壕付近に孤立することに。 |
6月4日午前5時、アメリカ軍は小禄飛行場の北部に上陸し司令部壕のある那覇市南西部を包囲した。大田司令官は6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜には「沖縄県民斯く戦ヘリ」の電報を打って後事を託している。包囲が次第に狭められていく中で壕内
に残った2,000名の海軍兵と共に玉砕の道を選んだ。
太田司令官の電文(一部)
私が知る範囲に於いては、県民は青壮年の全部が防衛のための召集に応募し、残された老幼婦女子は相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産の全部を失い、わずかに身体一つで軍の作戦に差し支えない場所の小防空壕に避難したり砲爆撃下でさまよい、風雨にさらされながら乏しい生活に甘んじています。 しかも若い婦人は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊への参加すら申し出る者さえいます。
沖縄県民はこのように戦いました。 県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことをお願いします。
この電文のせいか、沖縄県民の感情は、太田司令官に対しては割と好意的だという。
☝ 枝分かれした全長約450mの坑道といくつかの部屋からなり、砲撃に耐えられるよう重要な部屋はコンクリートや漆喰で補強されている。坑道の壁には建設時につるはしで削っていった跡が残されている。
資料室には、戦争の跡の無残な死体などの写真がいくつか掲示されている。あまりにも残酷なので、ここでは1枚のみ紹介しておく。
☝ 戦争写真の中でも有名な1枚・白旗の少女
少女の持った枝の先に白い布が括り付けられている。
☝ 1945年3月、読谷海岸に集結した米艦隊。
『鉄の暴風』と言われたすさまじい艦砲射撃の後、米軍の上陸が始まった。
☝ 南風原陸軍病院壕・20号入り口 ☝ 壕の横には、ブーゲンビリアの花
1945年3月23日に米軍の空襲が始まると、沖縄師範学校女子部、県立第一高等女学校の生徒および引率教師237人が、看護補助のため動員されました。彼女たちは戦後、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれます。(位置は那覇市の東側になります)
5月22日、首里城地下に置かれた第32軍司令部が摩文仁に撤退し、陸軍病院も南部へ移動することになりました。その際重傷患者に青酸カリが配られ、自決が強要された壕もあります。「南風原陸軍病院壕跡」碑には、「重傷患者二千余名自決之地」と刻まれていますが、この数字に確かな根拠はなく、犠牲者の数はいまだ明らかではありません。
☝ 壕の近くに憲法9条の碑が ☝ 壕から撤退する時に埋められた薬品が展示
憲法9条守ろう…の立て看板は各地で見かけますが(特に高知では多い)石の記念碑は私も初めてお目にかかりました。すごい、感動です
薬品は戦後に掘り出されたものです。
☝ 壕の中は真っ暗。懐中電灯が頼りです。 ☝ 昔、壕の崩落を支えていた柱が朽ち果て、今も残っていました。とにかく壕の中は、暗い、狭い、じめじめ、天井低くて、頭をごんゴン…私には耐えられない環境です。こんなところに大量の患者が押し込められ、ひめゆり学徒が看病していたなんて…ねえ。
☝ ひめゆりの塔の前の壕を拡大した写真 ☝ ひめゆりの塔、その前に壕がある
「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の鎮魂のために、沖縄戦の翌年1946年に建立されました。
「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、元来は「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。なお、植物のヒメユリとは関係がない。
第三外科壕(ひめゆりの塔の前にある壕)は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡した。第一外科壕、第二外科壕は、アメリカ軍の攻撃を事前に察知し、19日未明までに地下壕から脱出した(そのうちの一部は第三へ避難、そして前述のごとく死亡)。しかしこれらの学徒隊もその後の激しい戦闘で多くが死亡した。そして、本島南端の浜に身を投げ、多くの自決者を出した。
☝ 最初に建てられた(ひめゆりの塔) ☝ ひめゆり平和祈念資料館
☝ ひめゆりの塔入り口のあこうの木 ☝ 魂魄の塔
この「魂魄の塔」は、沖縄県で最初に建立された慰霊碑で、「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツでもあります。
「魂魄の塔」に眠る遺骨はすべて身元不明者です。
摩文仁や魂魄の塔がある米須を中心に、全国のすべての、都道府県の慰霊碑がありますが、
「沖縄県の碑」は存在しません。 あえてあげるならば、この「魂魄」が 沖縄県の碑といえるかもしれません。 沖縄戦で身内を失った者にとって、「魂魄の塔」は家族の墓と同じ意味をもっています。
住民、軍人、米軍韓国朝鮮人、沖縄戦で死んだ約3万5千人の人々が 軍民、人種を問わず葬られた、沖縄最大の塔である。これが戦後もっとも早く、 住民の手で作られ、平和への想いを込めた塔として、他府県の慰霊碑とは多少異質である。
復帰後の1979年2月、 「摩文仁の丘」に国立戦没者墓苑が建立され、遺骨の殆どがそこへ移されました。 現在、「魂魄の塔」には、わずかな遺骨しか残されていません。
☝ 元立法院議員の翁長助静(元真和志市市長)が、塔の命名を行い
「和魂(にぎたま)となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風」と碑文を記した。
翁長助静氏は、現沖縄知事・翁長雄志知事の父親です。
☞ ここには多くの都道府県の慰霊塔が建てられています。その中でも一番犠牲者が多いのが、意外にも北海道の部隊でした。その数10,787人断トツのトップでしたので、北海道の慰霊塔を掲載しておきます。
写真が多いので続きは次回に紹介します。
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