2017/01/28(土)
寒波も去りここ数日、ポカポカ陽気が続いている。
暦の上では大寒だが、日射しはすでに春の模様を見せ始めている。
どんなに寒い日々が続いても、季節は確実に移ろいを見せる。
あ~~、政治の世界も、かくありたいものだ。
自公政権が、いかに国民に冷たいか…早く気がついてほしいものだ。
野党共闘の先に、人が人として尊重される、人が人をののしる世界ではなく、お互いの手と手をつなぎ、助け合い共存できる、そんな暖かい社会の到来を期待したいものです。
庭の花壇に、いつの間にやら、サクラソウが咲いていました。
えっ、なんで、こんな季節に?…そんな感じです。(笑)
この花、最近植えたものでなく、昨年の株から生えてきたものです。
鉢植えに小分けしたバラの枝からは、少しずつ、バラの花が咲き始めました。
別の鉢にも、白と赤の渦巻き模様の小さな花が、姿を見せました。名前は昔は知っていたが、今は出てこない。(笑)
水仙もそろそろ終期です。
代わりに、ぼけの花が咲き始めました。
こちらは、柊…かわいい小さな黄色い花が、ぽつぽつと開き始めています。
そして、梅はすでに満開…いいにおいを漂わせています。
キンカンの実も、もう終期です。鳥につつかれて、次々と地面に落ち行きます。
収穫して、キンカンの甘露煮でも作ろうかなあ。
もう、やがて春…フキノトウはまだ固いけれど、蕾が見え始めました。
四万十川の土手では、まだ少ないけれど、土筆も姿を見せています。2月に入れば、土筆採りを始めます。そしてまた、山菜取りの1年が始まるのです。
春の訪れが待ち遠しい、この頃です。
寒波も去りここ数日、ポカポカ陽気が続いている。
暦の上では大寒だが、日射しはすでに春の模様を見せ始めている。
どんなに寒い日々が続いても、季節は確実に移ろいを見せる。
あ~~、政治の世界も、かくありたいものだ。
自公政権が、いかに国民に冷たいか…早く気がついてほしいものだ。
野党共闘の先に、人が人として尊重される、人が人をののしる世界ではなく、お互いの手と手をつなぎ、助け合い共存できる、そんな暖かい社会の到来を期待したいものです。

庭の花壇に、いつの間にやら、サクラソウが咲いていました。
えっ、なんで、こんな季節に?…そんな感じです。(笑)
この花、最近植えたものでなく、昨年の株から生えてきたものです。


鉢植えに小分けしたバラの枝からは、少しずつ、バラの花が咲き始めました。
別の鉢にも、白と赤の渦巻き模様の小さな花が、姿を見せました。名前は昔は知っていたが、今は出てこない。(笑)


水仙もそろそろ終期です。
代わりに、ぼけの花が咲き始めました。


こちらは、柊…かわいい小さな黄色い花が、ぽつぽつと開き始めています。
そして、梅はすでに満開…いいにおいを漂わせています。


キンカンの実も、もう終期です。鳥につつかれて、次々と地面に落ち行きます。
収穫して、キンカンの甘露煮でも作ろうかなあ。
もう、やがて春…フキノトウはまだ固いけれど、蕾が見え始めました。
四万十川の土手では、まだ少ないけれど、土筆も姿を見せています。2月に入れば、土筆採りを始めます。そしてまた、山菜取りの1年が始まるのです。
春の訪れが待ち遠しい、この頃です。
![]() |
|
スポンサーサイト
2017/01/25(水)
また1週間ぶりの更新となってしまいました。
どうもねえ、正月の間にすっかり《ずぼら癖》が身についてしまったようです。(笑)
今週は全国的に寒波が襲来して、突然の雪に立ち往生した車も出たようですねえ。
南国高知でも山沿いでは白く変わった所もあったようです。
私の住む地域は、海の傍なので比較的暖かく、あまり降りませんでしたが、それでも月曜日は雪が舞い、このまま夜中に降り続けば、久しぶりに雪が積もるねえ…なんて言ってましたが、夜はあまり降らなかったようです。
そして火曜日は朝から日が射していました。
この日は午前中は卓球の練習、そして昼からは《幸徳秋水の刑死106周年の墓前祭》に参加しました。毎年この日は、なぜか雪が降り、寒い思いをします。
今年は雪なしだなあ…なんて思っていたら、墓前祭が始まると突然に雪が降り始めました。
《やっぱり秋水と雪は切り離せないねえ》なんて、参加者からのつぶやきが広がりました。(笑)
幸徳秋水の墓は正福寺…四万十市の商店街の近く、裁判所の裏手にあります。
入り口には、幸徳秋水を顕彰する会により、ご覧のような案内板が設置されています。
墓地の左手には、四万十市が設置した、看板も掲げられていて、良く目立ちます。
秋水の墓前には、テーブルが置かれ、お供え物もあります。
この後、参会者による献花が行われます。
墓前祭参加者は、今年は少し少なかったようですが、それでも60名ほどに達しました。
秋水の墓から奥の様子です。
こちらは、秋水の墓の前になります。
こちらは、秋水の墓の入り口側になります。
幸徳秋水を顕彰する会の久保会長の献花を皮切りに、秋水の縁者や運動関係者が次々と献花を行いました。
墓前では、何人かの挨拶もありましたが、私も記録できなかったので、それは省略させていただきます。(笑)
秋水の墓の隣には、秋水の師にあたる木戸明の墓もあります。
木戸明は、秋水の才能を惜しんで、秋水に社会主義運動をやめるように、諫めに来たこともあったようですが、師弟が理解しあえることはなかったようです。
午後2時から、場所を室内に移し、土佐史談会会員の別役(べっちゃく)佳代さんによる講演が行われました。演題は《田岡嶺雲と幸徳秋水》
田岡嶺雲は、高知市で秋水よりも1年早く生まれ(1870年)、秋水よりも1年遅く亡くなった人です。
2人の出会いは万朝報時代で、肝胆相照らし、お互いの著書に序文を書くなど、関係が続きましたが、大逆事件の冤罪で処刑された秋水は、広く世間に名を残し、20世紀の人物として取り上げられていますが、嶺雲は晩年、難病にかかり病死したためか、それほど世間に名を知られることなく、現在に至ったようです。
秋水は身の丈5尺(150cm)ほどの、小男だったようですが、その死生観は《死に所を得る》だったようでして、国家による不当な冤罪による処刑ではあったが、まさに本人の死生観にぴったりの死に様となり、その名は永遠に語り継がれることとなりました。
人生とは、まことに不思議なものですねえ。
余談ですが、秋水が刑死した時代と、今のアベ政治のありようが、何だかねえ…何となく似通っていませんかねえ。
秋水刑死の14年後に、あの悪名高き《治安維持法》が制定され、日本の社会主義運動や民主主義は冬の時代を迎えました。その結果どうなったか…皆さんご存知の通りです。
ただひたすらに《戦争による悲惨な破滅》へと日本は突き進んでいきました。
今、アベによる独裁体制が敷かれ、秘密保護法が制定され、戦争法が制定され、いま、さらに治安維持法にあたる《共謀罪》法案が制定されようとしています。
秋水は、100年以上も前に、戦争の悲惨さを訴え、非戦の訴えに命を懸けていました。
いま私たちは、この秋水に学ぶべき時ではないでしょうか。
また1週間ぶりの更新となってしまいました。
どうもねえ、正月の間にすっかり《ずぼら癖》が身についてしまったようです。(笑)
今週は全国的に寒波が襲来して、突然の雪に立ち往生した車も出たようですねえ。
南国高知でも山沿いでは白く変わった所もあったようです。
私の住む地域は、海の傍なので比較的暖かく、あまり降りませんでしたが、それでも月曜日は雪が舞い、このまま夜中に降り続けば、久しぶりに雪が積もるねえ…なんて言ってましたが、夜はあまり降らなかったようです。
そして火曜日は朝から日が射していました。
この日は午前中は卓球の練習、そして昼からは《幸徳秋水の刑死106周年の墓前祭》に参加しました。毎年この日は、なぜか雪が降り、寒い思いをします。
今年は雪なしだなあ…なんて思っていたら、墓前祭が始まると突然に雪が降り始めました。
《やっぱり秋水と雪は切り離せないねえ》なんて、参加者からのつぶやきが広がりました。(笑)

幸徳秋水の墓は正福寺…四万十市の商店街の近く、裁判所の裏手にあります。
入り口には、幸徳秋水を顕彰する会により、ご覧のような案内板が設置されています。

墓地の左手には、四万十市が設置した、看板も掲げられていて、良く目立ちます。

秋水の墓前には、テーブルが置かれ、お供え物もあります。
この後、参会者による献花が行われます。

墓前祭参加者は、今年は少し少なかったようですが、それでも60名ほどに達しました。
秋水の墓から奥の様子です。

こちらは、秋水の墓の前になります。

こちらは、秋水の墓の入り口側になります。

幸徳秋水を顕彰する会の久保会長の献花を皮切りに、秋水の縁者や運動関係者が次々と献花を行いました。
墓前では、何人かの挨拶もありましたが、私も記録できなかったので、それは省略させていただきます。(笑)

秋水の墓の隣には、秋水の師にあたる木戸明の墓もあります。
木戸明は、秋水の才能を惜しんで、秋水に社会主義運動をやめるように、諫めに来たこともあったようですが、師弟が理解しあえることはなかったようです。

午後2時から、場所を室内に移し、土佐史談会会員の別役(べっちゃく)佳代さんによる講演が行われました。演題は《田岡嶺雲と幸徳秋水》
田岡嶺雲は、高知市で秋水よりも1年早く生まれ(1870年)、秋水よりも1年遅く亡くなった人です。
2人の出会いは万朝報時代で、肝胆相照らし、お互いの著書に序文を書くなど、関係が続きましたが、大逆事件の冤罪で処刑された秋水は、広く世間に名を残し、20世紀の人物として取り上げられていますが、嶺雲は晩年、難病にかかり病死したためか、それほど世間に名を知られることなく、現在に至ったようです。
秋水は身の丈5尺(150cm)ほどの、小男だったようですが、その死生観は《死に所を得る》だったようでして、国家による不当な冤罪による処刑ではあったが、まさに本人の死生観にぴったりの死に様となり、その名は永遠に語り継がれることとなりました。
人生とは、まことに不思議なものですねえ。
余談ですが、秋水が刑死した時代と、今のアベ政治のありようが、何だかねえ…何となく似通っていませんかねえ。
秋水刑死の14年後に、あの悪名高き《治安維持法》が制定され、日本の社会主義運動や民主主義は冬の時代を迎えました。その結果どうなったか…皆さんご存知の通りです。
ただひたすらに《戦争による悲惨な破滅》へと日本は突き進んでいきました。
今、アベによる独裁体制が敷かれ、秘密保護法が制定され、戦争法が制定され、いま、さらに治安維持法にあたる《共謀罪》法案が制定されようとしています。
秋水は、100年以上も前に、戦争の悲惨さを訴え、非戦の訴えに命を懸けていました。
いま私たちは、この秋水に学ぶべき時ではないでしょうか。
![]() |
|
2017/1/18(水)
年末、年始と孫ちんに移された風邪が、まだ完全に抜けきらない。
なかなか治らんねえ…と連れ合いさんとぼやいていたら、大阪の娘から電話がかかってきた。
《子供が風邪をひいて仕事に行けない、助けて…》ありゃりゃ、孫ちんたちも又、風邪がぶり返したようだ。
連れ合いさんは、今年は年初から予定が一杯なのだが、娘のSOSに知らん顔もできないと、日曜日の朝一番に、大阪へ出かけていきました。
さ~て、残された私はどうしますかねえ。
連れ合いさんが作っていった豚汁で、ご飯食べていたが、火曜日には無くなってしまった。
仕方がないなあ…また独身生活に逆戻りだ。
一度の料理で、たくさん作れる物…そして毎日食べても飽きないもの、私の料理ではカレーと野菜煮込みの2つしかない。
冷蔵庫に残っていた野菜を全部使って、肉や竹輪や天ぷらなど一緒に入れて、鍋一杯のカレーを作った。そのカレーを2つの鍋に分けて、1つの鍋は、そのまま冷凍庫に放り込んだ。
ずいぶん乱暴な話だが、まあ、これで1週間は、おかずを作らなくとも生きていける。(笑)
そしたら今日、卓球仲間から電話があった。
《奥さん居ないから、カレー作ったから持って行ってあげる…》ととと、なんとまあダブってしまいました。他人の作ったカレーも美味しいかな?と思ったけど、正直にダブったことを言って、ありがたく気持ちだけ頂きました。
次からは、事前に連絡しておかずの差し入れをお願いしようかと、ちょっとずぼらなことを考えています。
それにしても、男の一人暮らし…何とも様になりませんねえ。
年末、年始と孫ちんに移された風邪が、まだ完全に抜けきらない。
なかなか治らんねえ…と連れ合いさんとぼやいていたら、大阪の娘から電話がかかってきた。
《子供が風邪をひいて仕事に行けない、助けて…》ありゃりゃ、孫ちんたちも又、風邪がぶり返したようだ。
連れ合いさんは、今年は年初から予定が一杯なのだが、娘のSOSに知らん顔もできないと、日曜日の朝一番に、大阪へ出かけていきました。
さ~て、残された私はどうしますかねえ。
連れ合いさんが作っていった豚汁で、ご飯食べていたが、火曜日には無くなってしまった。
仕方がないなあ…また独身生活に逆戻りだ。
一度の料理で、たくさん作れる物…そして毎日食べても飽きないもの、私の料理ではカレーと野菜煮込みの2つしかない。
冷蔵庫に残っていた野菜を全部使って、肉や竹輪や天ぷらなど一緒に入れて、鍋一杯のカレーを作った。そのカレーを2つの鍋に分けて、1つの鍋は、そのまま冷凍庫に放り込んだ。
ずいぶん乱暴な話だが、まあ、これで1週間は、おかずを作らなくとも生きていける。(笑)
そしたら今日、卓球仲間から電話があった。
《奥さん居ないから、カレー作ったから持って行ってあげる…》ととと、なんとまあダブってしまいました。他人の作ったカレーも美味しいかな?と思ったけど、正直にダブったことを言って、ありがたく気持ちだけ頂きました。
次からは、事前に連絡しておかずの差し入れをお願いしようかと、ちょっとずぼらなことを考えています。
それにしても、男の一人暮らし…何とも様になりませんねえ。
![]() |
|
2017/01/16(月)
1月15日は、1911年に国家が起こした大冤罪事件《大逆事件》の再審請求の訴えを起こし、世に大逆事件の何たるかを知らせせしめた、土佐のいごっそう・坂本清馬の42年目の命日であった。
今年(2017年)は幸徳秋水たちの死刑執行、清馬の投獄から106年になります。89年の生涯のうち63年を冤罪の名の下に生きた男。「国権維持のためなら、人権など歯牙にもかけない」という暗黒裁判、国家による冤罪事件に「頑固な抵抗」を続けた清馬の一生は私たちにとても多くのことを教えてくれます。
幸徳秋水と同じ墓地に眠る坂本清馬…大逆事件の再審請求を求め、世に大逆事件の真実を訴え広めた功労者・坂本清馬は、その果たした役割に比べ、秋水と比較すると、あまりにも位置づけが低いと、「幸徳秋水を顕彰する会」では、一人秋水のみでなく、秋水に関わる多くの人たちが、どんな役割を果たし、どんな生涯を送ったのか、一つ一つ掘り起こしていく作業を続けています。
その一つが、今回の坂本清馬の解説板の設置(上の写真)でした。
お墓も掃除して、草ぬきもして、ずいぶんときれいになりました。
清馬さん、《何事か?》とびっくりされたことでしょう。
こちらは幸徳秋水のお墓です。
ずいぶんと苔が生えて、名前も読み取りにくくなっています。
もう少し見やすくなるように…せっせと苔をはがし、きれいに仕上げました。
どうですか?
ずいぶんと見やすくなったでしょう。
お墓だけでなく、墓地全体の草ぬきや落ち葉拾い、ゴミ拾いなど、参加者10人ほどで、きれいにしましたよ。
この日は、寒波襲来で雪もちらついていました。
1月24日は秋水の墓前祭です。どういう訳か、この季節になると必ず寒波が襲来して、雪の中でのイベントとなってしまいます。
坂本清馬については、「幸徳秋水を顕彰する会」の事務局をしている田中全さんが自分のブログで紹介しておられますので、その一部を引用しておきます。
*******************************************************************
http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-136.html
1月15日、坂本清馬没40周年だった。幸徳秋水と一緒に眠っている正福寺の墓を、有志(秋水を顕彰する会)で墓参した。坂本清馬は大逆事件(1910年)の犠牲者の1人。死刑判決を受けたが、翌日無期懲役に減刑。
父は中村出身だが、室戸で生まれた。旧制高知二中を中途退学し、上京。小石川砲兵工廠で働く中で、幸徳秋水の思想に共鳴。自ら秋水に近づき、秋水の書生となったり、啖呵を切ったり。秋水に「坂本君は豪傑だからね」と言わしめたように、土佐のいごっそう、直情径行の行動派だった。
大逆事件のころは秋水と喧嘩別れして東北にいたので、明治政府がでっちあげた事件とのかかわりは何もなかったが、秋水一派として逮捕された。
清馬は獄中でも一貫して無実を訴え続けた。だから、獄中でも問題囚とされ、仮出獄が許されたのは、無期懲役12人(死刑も12人)の中では最も遅い、24年後(昭和9年、1934)だった。
戦後は秋水のふるさと(自分の父のふるさとでもある)中村に住む。昭和36年(1961)、大逆事件再審請求の訴えを東京高裁におこす。裁判支援の全国組織として、「大逆事件の真実を明らかにする会」が東京に結成される。再審は認められなかったが、これをきっかけにして、それまで闇に葬られようとしていた事件の真相が広く知られ、犠牲者の名誉回復、顕彰運動が広がっていく。大逆事件サミット等、今につながる運動の起点は清馬による再審請求である。
*****************************************************************
私も、昨年から「幸徳秋水を顕彰する会」に入会しました。
ぼちぼちと中村(現四万十市)の偉人たちの歴史、人物等について学んでいきたいと思っています。
それにしても皆さん、《大逆罪》や《冤罪》なんて、過去のものだと思っていませんか?
先日のつぶやきにこんなのがありましたよ。
…さあ、いよいよ安倍政権が「共謀罪」を出して来る。2020東京五輪のテロ対策だとして、名称を「テロ等準備罪」にすると。名称を変えるとは、つまりその本来の目的「共謀するだけで捕まえる」ということを国民に分かりにくくするためだ。五輪に反対する相談だけで捕まるぞ、これ。恐怖の独裁国家だ。…
今年やはり、アベ政権…諸悪の根源…となりそうです。
我々の生活の害になりそうなものは、早めに取り除くのが、安全ではないでしょうかねえ。
こんな記事見つかったら、私も《共謀罪》で逮捕されるのでしょうか?
くわばら、クワバラ。。。。。
1月15日は、1911年に国家が起こした大冤罪事件《大逆事件》の再審請求の訴えを起こし、世に大逆事件の何たるかを知らせせしめた、土佐のいごっそう・坂本清馬の42年目の命日であった。
今年(2017年)は幸徳秋水たちの死刑執行、清馬の投獄から106年になります。89年の生涯のうち63年を冤罪の名の下に生きた男。「国権維持のためなら、人権など歯牙にもかけない」という暗黒裁判、国家による冤罪事件に「頑固な抵抗」を続けた清馬の一生は私たちにとても多くのことを教えてくれます。

幸徳秋水と同じ墓地に眠る坂本清馬…大逆事件の再審請求を求め、世に大逆事件の真実を訴え広めた功労者・坂本清馬は、その果たした役割に比べ、秋水と比較すると、あまりにも位置づけが低いと、「幸徳秋水を顕彰する会」では、一人秋水のみでなく、秋水に関わる多くの人たちが、どんな役割を果たし、どんな生涯を送ったのか、一つ一つ掘り起こしていく作業を続けています。
その一つが、今回の坂本清馬の解説板の設置(上の写真)でした。

お墓も掃除して、草ぬきもして、ずいぶんときれいになりました。
清馬さん、《何事か?》とびっくりされたことでしょう。

こちらは幸徳秋水のお墓です。
ずいぶんと苔が生えて、名前も読み取りにくくなっています。
もう少し見やすくなるように…せっせと苔をはがし、きれいに仕上げました。

どうですか?
ずいぶんと見やすくなったでしょう。
お墓だけでなく、墓地全体の草ぬきや落ち葉拾い、ゴミ拾いなど、参加者10人ほどで、きれいにしましたよ。
この日は、寒波襲来で雪もちらついていました。
1月24日は秋水の墓前祭です。どういう訳か、この季節になると必ず寒波が襲来して、雪の中でのイベントとなってしまいます。
坂本清馬については、「幸徳秋水を顕彰する会」の事務局をしている田中全さんが自分のブログで紹介しておられますので、その一部を引用しておきます。
*******************************************************************
http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-136.html
1月15日、坂本清馬没40周年だった。幸徳秋水と一緒に眠っている正福寺の墓を、有志(秋水を顕彰する会)で墓参した。坂本清馬は大逆事件(1910年)の犠牲者の1人。死刑判決を受けたが、翌日無期懲役に減刑。
父は中村出身だが、室戸で生まれた。旧制高知二中を中途退学し、上京。小石川砲兵工廠で働く中で、幸徳秋水の思想に共鳴。自ら秋水に近づき、秋水の書生となったり、啖呵を切ったり。秋水に「坂本君は豪傑だからね」と言わしめたように、土佐のいごっそう、直情径行の行動派だった。
大逆事件のころは秋水と喧嘩別れして東北にいたので、明治政府がでっちあげた事件とのかかわりは何もなかったが、秋水一派として逮捕された。
清馬は獄中でも一貫して無実を訴え続けた。だから、獄中でも問題囚とされ、仮出獄が許されたのは、無期懲役12人(死刑も12人)の中では最も遅い、24年後(昭和9年、1934)だった。
戦後は秋水のふるさと(自分の父のふるさとでもある)中村に住む。昭和36年(1961)、大逆事件再審請求の訴えを東京高裁におこす。裁判支援の全国組織として、「大逆事件の真実を明らかにする会」が東京に結成される。再審は認められなかったが、これをきっかけにして、それまで闇に葬られようとしていた事件の真相が広く知られ、犠牲者の名誉回復、顕彰運動が広がっていく。大逆事件サミット等、今につながる運動の起点は清馬による再審請求である。
*****************************************************************
私も、昨年から「幸徳秋水を顕彰する会」に入会しました。
ぼちぼちと中村(現四万十市)の偉人たちの歴史、人物等について学んでいきたいと思っています。
それにしても皆さん、《大逆罪》や《冤罪》なんて、過去のものだと思っていませんか?
先日のつぶやきにこんなのがありましたよ。
…さあ、いよいよ安倍政権が「共謀罪」を出して来る。2020東京五輪のテロ対策だとして、名称を「テロ等準備罪」にすると。名称を変えるとは、つまりその本来の目的「共謀するだけで捕まえる」ということを国民に分かりにくくするためだ。五輪に反対する相談だけで捕まるぞ、これ。恐怖の独裁国家だ。…
今年やはり、アベ政権…諸悪の根源…となりそうです。
我々の生活の害になりそうなものは、早めに取り除くのが、安全ではないでしょうかねえ。
こんな記事見つかったら、私も《共謀罪》で逮捕されるのでしょうか?
くわばら、クワバラ。。。。。
![]() |
|
2017/01/13(金)
皆さま、大変遅くなりましたが、私も長い冬眠からやっと目覚め、始動いたしました。
ご心配頂くコメントなども頂戴しましたが、いや~我ながら始動が遅すぎですよねえ。(笑)
先週の7日には、大阪から帰ってきたのですが、実は年末年始の孫ちんたちとの交歓で、すっかり風邪をもらってしまいまして、今年の年末そして正月は、ずっと寝正月でした。
本日もまだ、鼻水が出て、軽い咳が残っている…そんな有様であります。(笑)
ブログの始動が遅くなったのは、もう一つ、連れ合いさんの忙しさがあります。
年頭から、イベントを予定して、連日走り回る連れ合いさんのアッシー君として、毎日こき使われていまして、更新の暇が取れなかったのです。
何だかねえ、今年は新年早々から、トランプを始めとしてアベシンゾウやら小池百合子やら…なんだかねえ、この国の未来のために役に立つのか?あるいは害となるのか?悩ましい話題ばかりで、どうもすっきりとしない新年のスタートであります。
お正月…大阪の家の近くの治水緑地では、何だか懐かしいねえ。
青空にたこが揚がっていました。
親子の歓声が響いていました。
凧はいくつか見かけましたが、いずれも市販の物ばかりで、
しかもみんな洋凧でした。
やはり、時代の違いなのかねえ。少し寂しい。

また公園の片隅では、これもまた懐かしい、
シャボン玉をやってるおじさんが居ました。
しゃぼん玉教室の会員募集の張り紙がありました。
見ている親子は何組かいましたが
誰も申し込みしていませんでしたねえ。
私はおじさんに《ご苦労様、頑張ってね
》と声をかけました。
私が大阪に住んでたら、すぐに入会するのにねえ。(笑)
まあ、そういうことで、やっとこさ今日からブログ始めです。
本年もまた、よろしくお願いいたします。
皆さま、大変遅くなりましたが、私も長い冬眠からやっと目覚め、始動いたしました。
ご心配頂くコメントなども頂戴しましたが、いや~我ながら始動が遅すぎですよねえ。(笑)
先週の7日には、大阪から帰ってきたのですが、実は年末年始の孫ちんたちとの交歓で、すっかり風邪をもらってしまいまして、今年の年末そして正月は、ずっと寝正月でした。
本日もまだ、鼻水が出て、軽い咳が残っている…そんな有様であります。(笑)
ブログの始動が遅くなったのは、もう一つ、連れ合いさんの忙しさがあります。
年頭から、イベントを予定して、連日走り回る連れ合いさんのアッシー君として、毎日こき使われていまして、更新の暇が取れなかったのです。
何だかねえ、今年は新年早々から、トランプを始めとしてアベシンゾウやら小池百合子やら…なんだかねえ、この国の未来のために役に立つのか?あるいは害となるのか?悩ましい話題ばかりで、どうもすっきりとしない新年のスタートであります。

お正月…大阪の家の近くの治水緑地では、何だか懐かしいねえ。
青空にたこが揚がっていました。
親子の歓声が響いていました。
凧はいくつか見かけましたが、いずれも市販の物ばかりで、
しかもみんな洋凧でした。
やはり、時代の違いなのかねえ。少し寂しい。

また公園の片隅では、これもまた懐かしい、
シャボン玉をやってるおじさんが居ました。
しゃぼん玉教室の会員募集の張り紙がありました。
見ている親子は何組かいましたが
誰も申し込みしていませんでしたねえ。
私はおじさんに《ご苦労様、頑張ってね

私が大阪に住んでたら、すぐに入会するのにねえ。(笑)
まあ、そういうことで、やっとこさ今日からブログ始めです。
本年もまた、よろしくお願いいたします。
![]() |
|
2016/01/01(日)
初春のお慶び申し上げます。
写真は、以前に私の家の近く…名鹿の浜…で撮影した《だるま朝日》です。
いつも当ブログをご覧の皆さま、昨年は大変お世話になりました。
それにしてもまあ、昨年は、天災やアベ房総 暴走内閣…まあ狂乱内閣とも言いますが、とにもかくにもアベシンゾウのおかげで、めちゃくちゃ多忙で不愉快な1年を送ってしまいました。
《穏健》であろう…と心がけていた当ブログも、ついつい過激な表現となってしまったことも再々ありました。
出来ましたら、今年こそ穏やかな温和な1年としたいと思っています。
どうか国民の皆様、1日も早く、《百害あって一利なし》のアベ内閣・自公政権を街頭からの声と選挙によって、少数政党に追い込み、憲法と人道と国民優先の平和な暮らしを、作り上げようではありませんか。
私は今、大阪で可愛い孫ちんたちに囲まれ、1年で最も楽しい一時を送っています。(そのはずです。この記事は予約投稿なので…)
私も年齢相応に《可愛いおじいちゃん》と人に言われるように頑張りたいと思っています。(笑)
まあ、これはあくまでも努力目標であります。
この目標、世の中が穏やかになりさへすれば、難なく達成できる…はずなんですが、さて、どうなりますことやら?
しかしまあ、世の中は、そう簡単に平穏に収まりそうにもありませんねえ。
米国では恐怖のトランプ政権がスタートします。ロシアのプーチンも世界を騒がすでしょう。そして、中国の動向も気になります。北朝鮮は、まあいくら騒いでも小国ですから…。
それにしても、今年もまた《波乱万丈》の予感がしますねえ。
今年も国内経済の民主化と貧富の差の縮小、政治の民主化と憲法の厳守、戦争法の廃止、そして原発廃止、沖縄の新基地を許さず、縮小させ、何よりもアメリカとの対等平等な国家関係の構築、そして国内農林水産業の保護と育成、さらには高齢者や子供たち、障害者の住みやすい国をいかにして構築していくか…課題は山積しています。
まあ、せめて皆さま、正月の間くらい、親しい方たちとのんびりと語り合い、今年1年分の英気を養いましょう。
初春のお慶び申し上げます。
写真は、以前に私の家の近く…名鹿の浜…で撮影した《だるま朝日》です。
いつも当ブログをご覧の皆さま、昨年は大変お世話になりました。
それにしてもまあ、昨年は、天災やアベ
《穏健》であろう…と心がけていた当ブログも、ついつい過激な表現となってしまったことも再々ありました。
出来ましたら、今年こそ穏やかな温和な1年としたいと思っています。
どうか国民の皆様、1日も早く、《百害あって一利なし》のアベ内閣・自公政権を街頭からの声と選挙によって、少数政党に追い込み、憲法と人道と国民優先の平和な暮らしを、作り上げようではありませんか。
私は今、大阪で可愛い孫ちんたちに囲まれ、1年で最も楽しい一時を送っています。(そのはずです。この記事は予約投稿なので…)
私も年齢相応に《可愛いおじいちゃん》と人に言われるように頑張りたいと思っています。(笑)
まあ、これはあくまでも努力目標であります。
この目標、世の中が穏やかになりさへすれば、難なく達成できる…はずなんですが、さて、どうなりますことやら?
しかしまあ、世の中は、そう簡単に平穏に収まりそうにもありませんねえ。
米国では恐怖のトランプ政権がスタートします。ロシアのプーチンも世界を騒がすでしょう。そして、中国の動向も気になります。北朝鮮は、まあいくら騒いでも小国ですから…。
それにしても、今年もまた《波乱万丈》の予感がしますねえ。
今年も国内経済の民主化と貧富の差の縮小、政治の民主化と憲法の厳守、戦争法の廃止、そして原発廃止、沖縄の新基地を許さず、縮小させ、何よりもアメリカとの対等平等な国家関係の構築、そして国内農林水産業の保護と育成、さらには高齢者や子供たち、障害者の住みやすい国をいかにして構築していくか…課題は山積しています。
まあ、せめて皆さま、正月の間くらい、親しい方たちとのんびりと語り合い、今年1年分の英気を養いましょう。
![]() |
|