早いものですねえ。早くも年末を迎えてしまいました。
少し早いご挨拶ですが、私と連れ合いさんは、今日の『戦争法を許さない幡多の会』のスタンディングデモを最後に、明日からは、可愛い孫ちんたちの待つ大阪へと旅立ちます。
まあ、今年はねえ、何といっても、狂気のアベ内閣…あのオカルト総理の進めた『戦争法』一色に染められた1年でした。
誰が何と言おうと、国が決めた最高のルール…憲法を主権者たる国民の意思を無視して、憲法擁護義務を負う内閣が先頭に立って、踏みにじる…まさに日本は、道理も真理も理性も知性も無い、暗黒の社会、修羅の世界へと突入してしまいました。
後に待つのは、弱肉強食の社会です。富める者はより豊かに、貧しい者はより貧しく…まさに神の思し召しでしょうか。
まあ、私なんかは、もう余生に対して余り未練もありませんから、残る力を振り絞って、狂権力に立ち向かう所存ではありますが、結果はどうあろうと、それは神の思し召しでありましょう。
・・・なんて、無神論者が嫌味を連発して、今年も暮れていきます。(笑)
まあ、しかしねえ、来年も頑張りますよ。だって可愛い孫ちんたちがいるんだもの。
少しでも、人類の知性の発達と社会の進歩に貢献したいですよ。私が孫ちんたちにできることは、それだけですからねえ。それがお爺ちゃん、おばあちゃんからの、孫たちへの唯一の贈り物です。
庭の畑も、冬野菜が順調に伸びています。
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |

我が家の畑は、本当に小さく、2つに分かれていますが、ミニ耕運機も仕入れて、本格的に野菜作りをしてます。まあ、ほとんど失敗の連続ですけどね。(笑)
今年は、余りにも猪の畑荒らしが凄いので、とうとう2面とも網で囲んでしまいました。
杭を立て、網を張る…その費用だけで、我が家で収穫できる野菜の数年分になります。まあ、趣味だからいいようなものの、とても商売で野菜作りはできません。
まあ、とりとめもなく、今年最後のブログとなりました。
皆様も健康で、新しい年を迎えてください。
来年は『申年』。
猿と言えば『見ざる 聞かざる 言わざる』…の3猿が有名ですが、埼玉県の秩父神社本殿には、日光東照宮の三猿と正反対の「よく見て・よく聞いて・よく話す」三猿(お元気三猿と呼ばれる)の彫り物があるそうです。
漫画家のやく みつる さんも言っています。来年は『目をそらさざる』『耳をふさがざる』『口をつぐまざる』…そんな新しい『3猿』の年にしようではありませんか。
![]() |
|
皆さん今晩わ。久方ぶりです。
最近、特に今年は、立憲主義の否定、憲法無視、戦争と金持ちと、オカルト宗教が大好き…という、アベ内閣の大暴走によって、多大な国民が、この国の将来を危ぶむ事態となって、いや~な毎日を送っています。
私もねえ、色々と街頭で叫ぶ機会も多くて、とてもブログを更新している状況にはありませんでした。
まあ、つまらない私のブログにも、中には期待して見てくれる人もいらっしゃるようで、『どうしてる?元気ですか?』…と、あまり長期にブログを休んでいると、心配の声もかかってきます。(笑)
まあ、そんな非現実的な歴史のはざまの中でも、季節は確実に移ろっていきます。
今年はもう、冬は来ないのかなあ?と思っていたら、突然の冬の嵐がやってきて、寒風に震えました。
そんな中、私も毎週1回、卓球教室に通って2年目になりましたが、昨日の日曜日、四万十市の卓球大会に初めて参加しました。夏にも幡多地方の卓球大会がありましたが、私は、無類の汗かき…夏の大会参加など、絶対に無理…と参加辞退。
まあ、今回は寒波襲来の中とあって、これはチャンス…と初めて参加することにしました。
しかし、3日ほど前から、強烈な歯痛に襲われて、気分はブルー。ご飯もまともに食べられない状況で、どうしょうか?と悩みましたが、もう参加申し込みしていたし、なんとかなるだろうと、60歳以上の部で、まずは腕試し…です。参加することにしました。
参加チームは8チーム。2つのブロックに分かれ、総当たり戦で、1位と2位が決勝戦に参加できます。試合は個人戦2回、ダブルス1回の戦績で、勝敗を決めます。
私も教室の仲間と2人でチームを組んで参加しました。私たちのブロックでは1チームが棄権して、3チームで争い、2チームに勝って、いざ決勝リーグへ。
ところが12時から休憩が入り、個人戦が延々と続きます。
団体戦は3時半になっても始まらず、本部に催促。やっと団体戦が再開されましたが、皆さんお年寄りですから、待ちくたびれてしまい、戦闘意欲は萎えるばかり。私たちもとにかく準決勝戦には出場して、ここでも勝ちましたが、もうここが限界…『もうこれでいい、もう帰ろうよ』と相棒もいい出し、決勝戦は辞退して帰ってきました。
いやもう、待たされたことと、初めての公式戦の試合で疲れ切ってしまいました。
しかし、まあ、そんな絶不調の中で、この成績…まあまあだねと、痛いほっぺを抑えながら、満足感に浸っています。よし、次回は優勝だ。
お気楽なことを言っていますが、69年前の今日は、ここ四万十市が南海大地震によって、大被害を受けた日です。
ウィキによると
・・・1946年の昭和南海地震では、地震発生直後に津波が発生し、主に紀伊半島・四国・九州の太平洋側などに襲来した。地震や津波被害が激しかった地域は、高知県中村市(現四万十市南部)、須崎市、高知市のほか、和歌山県串本町、海南市などであった。四万十市では、市街地の8割以上が地震動で生じた火災等により壊滅したほか、串本町や海南市は津波による壊滅的な被害を受けた。死者は、行方不明者を含めて1,443名(高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名)、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸に及んだ。
・・・と当時の状況を簡潔に述べていますが、ここ四万十市のシンボルでもある、市民になじみの深い、通称『赤鉄橋』と呼ばれている四万十川橋も地震で、ほとんどが崩落して川に落ちてしまいました。
あれから、まだ69年です。しかし、人々の記憶もずいぶんと薄れてしまったのでしょう。今から70年前の『太平洋戦争』の記憶と同じく。。。
![]() |
|
久しぶりの更新になりますが、昨日、12月8日は「太平洋戦争開戦記念日」でした。
1941年(昭和16年)のことです。あれからもう74年…ですか。310万人を越える日本人の死と、2000万人を越えると言われるアジア各国の犠牲者を出した「太平洋戦争」。その尊い犠牲の上に獲得した自由と平和…戦後の日本は『憲法9条』を有する現憲法のおかげで、70年間他国と戦火を交えることも無く、平和と繁栄を享受してきました。
その平和な戦後が一変したのが、アベ内閣の進めた『戦争法』の成立です。この国は戦争の残虐さと尊い犠牲を忘れて、再び他国に銃器ををもって侵略するつもりなんでしょうか?
2015年9月19日…『戦争法』が成立したこの日をもって、日本の戦後が終わりを告げました。
これからは政府の進める『戦前』のあらゆる企みに、監視の目を怠ってはならない。
奇しくも12月8日は、反体制、反戦運動で知られるジョン・レノンの命日でもあります。
日本のこれからを、皆さんと共に、私も見つめていきたい。
まあ、そんな中、12月の5日と6日、お隣の土佐清水市で産業祭がありましたので、久しぶりに連れ合いと一緒に、出かけてきました。
土佐清水市は、今はもう人口1万5千人を切るという、過疎の町になりつつありますが、漁業を中心に一生懸命に、産業の振興を進めている町でもあります。
会場は、御覧のように港の横の広場です。
普段は見られない多数の住民が、お祭りに浮かれて参集していました。
お祭りにはつきものの『餅つき』…とっても懐かしい風景です。
会場にはてき屋さんと住民による多数の屋台が出店していました。うどんや弁当、焼き鳥、焼肉等の食べ物以外にも、花や樹木、農機器やバイクなどの展示販売もあり、会場は数千人の人でごった返していました。
会場のはずれでは、踊りのコーナーもあり、地元の踊り子チーム『いなん』が、よさ来い踊りを披露していました。若い男女30人ほどと、その予備軍?の子どたちが、なかなか上手に踊っていましたねえ。
ちなみに『いなん』とは、漢字で『渭南』…と表します。高知県の西部から愛媛県南部にかけての地域を指す名称であります。
まあ、私の個人的な推測ですが、『渭南』とは…これより南…という意味で、昔、まだ未開の地であった頃、この地域は、あまりにも辺鄙な地域で、まだ地名も無く、人々は『これより南』という表現で、この地域を表したのではなかろうか?…と推測しました。
まあ、この一帯は、今でもねえ、東京から最も遠い地域に該当してますからねえ。飛行機で高知の龍馬空港に降りてから、車で4時間ほどかかりますからねえ。とても同じ県内とは思えないほど、高知県は東西に長く遠いのです。(笑)
まあ、とにかく久しぶりに、のんびりとした1日を過ごしました。
次回は、ここで仕入れてきた豚肉の燻製を紹介しましょう。
![]() |
|