神の山…御嶽山の突然の噴火は多くの犠牲者を出し、今もなお捜索が続けられています。
よりによって週末に当たったため、登山者が多く、犠牲者が増えてしまったようです。
御嶽山では、最近地震が多く、後になれば、警戒レベルを上げておれば…の意見もあるようですが、まあ、実際には難しい判断だと思います。
また、警戒レベルを2に上げていても、あまり結果には影響なかったのでは…と私は思います。
最近の日本国民は、危険に対する(政治にも身体に対しても)本能が、退化しているように、私には思えるので・・・・・。
まあ、そんな中、昨日は久しぶりの青空のもと、午前は、近くの名鹿港祭りに顔を出し、昼からは連れ合いさんが、何年か学習の面倒を見ていた子の、運動会があるからと、まあ何十年ぶりに小学校の運動会を覗いてみました。(笑)
1,2年生の踊りでは、我が家の孫ちんそっくりの可愛らしい女の子が、列の先頭で踊っていて、連れ合いさんは声をあげて笑っていました。
それにしても、この写真、何だと思います?
シリアの難民キャンプではありません。運動会のグランド風景です。
私は、こんな風景は初めて見ましたが、ここ四万十では普通の風景らしい。誰も違和感を感じている人はいないようです。(笑)
グランドの周り全体に、車やテントがズラリと並んで、ちょうどこの時間は昼の休憩時間だったこともあって、テントや車の周りで、みんなそれぞれに、ご飯を食べたりお茶を飲んだり、中にはおちゃけを飲んだり?しておられました。
所変われば品変わる…なんて言いますが、ホントにそうですねえ。私もねえ、少しびっくりしました。
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我が家の庭には、自分たちが植えた草花以外にも、どこからか種が飛んできて、勝手に芽を出す草花も結構ある。
その代表的な花が、ゲンノショウコである。
この花は、面白いことに気温によって花の色が変わる。
主に関西ではアカバナが多く、関東ではシロバナが多い。ここ四国では、平地ではアカバナだが、高地ではシロバナまたはアカバナの同居状態が見られます。
私は、この花が散った後に顔を見せる種子の姿がユーモラスで幾何学的で、何とも言えないいい感じで大好きです。
しかし、なんですなあ。秋になっても野菜は一向に値下がりしませんねえ。それどころか、ものみな値上がり…百花繚乱ならぬ百貨値上がり…の傾向が露骨です。
全ては安倍政権による消費税増税とアベノミクスにあります。
アベノミクスは『金持ちはもっと金持ちに、貧乏人はもっと貧乏に』…まさに韓国のセウォル号事件さへびっくりするような、露骨な金持ち優遇政策なのです。
福島周辺の復興住宅が未だに1割程度しか建てられないのも、アベノミクスによる材料や工事費の値上がりによるものだそうです。
アベノミクスが災害復興の邪魔をする…皮肉なものですねえ。
まあ、いずれにしても安倍政権は国民にとって『百害あって一利なし』の見本みたいなものだと、私は思います。もういい加減、安倍政権打倒!のシュプレヒコール…大きな声で叫びたいものです。
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NHKの放送で唯一楽しみなものは、朝ドラ『花子とアン』だけである。
物語も、いよいよ大詰めが近付いてきましたが、今朝も蓮さまが、『戦争は世界の人々を不幸にする唯一の現実である』と言っていましたねえ。『愛する息子を二度と戦争で殺したくない』…そんなことも言ってましたねえ。
その後白蓮は『悲母の会』を結成…全国を行脚する生活に入ったそうですが、こうした当時の母親たちの想いが、やがて一つのスローガンに繋がっていきました。
『生命を生み出す母親は、生命を育て生命を守ることをのぞみます』
・・・私もねえ、金輪際、戦争なんて御免です。可愛い孫ちんたちを、戦場なんて野蛮なところには絶対に送り出したくはありません。
『徴兵は 命かけても阻むべし 母祖母おみな 牢にみつるとも』 です。
さて、四万十は台風16号の影響で、今日もどんよりとしています。予報では昼から雨になるそうです。
そんな中ですが、庭の月下美人が、今7輪ほど鎌首を持ちあげてきました。
どうやら今夜、遅くとも明日には、今季5度目の開花が見られそうです。
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今日はもう、秋分ですねえ。月日の過ぎるのは早いものです。
今朝は前の竹やぶで、コンコン、コンコン…とにぎやかな音が聞こえています。
キツツキ君です…音の大きさから判断すると、どうやら青ゲラのようです。
そういえば、先日四万十川の土手を走っていたら、田んぼの中に、なんだか白いビニールみたいなものが、一杯散らばって見えました。近寄ってみると、なんと、シラサギ君でした。

こちらが、シラサギ君の群れです。
ざっと見ても100羽以上のシラサギがいました。
近くの中洲の林に住処があるようで、毎年何回か、シラサギの群れを見かけます。
四万十川の周辺も残念なことに、近頃生き物の数が減少傾向にありますが、まだまだ、これだけのシラサギが生きていけるだけの自然の恵みが残っているということなんでしょうねえ。少し、ほっとします。
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1週間ほど前、大豊町の友人宅に泊まった時、連れ合いさんは、蜂蜜だけでなく、トマトやジャガイモなど…とにかくもらえるものは遠慮なく車に積み込んでいたのだが、ついでに杉の木の株を積み込んでくれと言う…さすがに重くて持ち上げられなかったようだ。(笑)
持って帰って『マキ』にでもするか…と冷やかしたのだが、『庭のテーブルにする』…とのことで、これも貰ってきたのだが、まあ、とりあえず庭の邪魔物をどけて、木の根っこを置いて、周りに、私の手作りの椅子を配置してみました。
・・・いかがでしょうか?
北海道から持ち帰ってきたミルク缶とガラス玉を飾りに置いてみました。
まあ、金は全くかかって無いけど、ふむふむ…こんなものかな?
連れ合いさんは、蚊がいなくなったら、ここでコーヒーを飲むのだそうな。
そして今日は、邪魔物の片づけやら、草刈りやら1日結構働きました。
少し涼しくなってきたので、体もちょっとずつ動くようになってきました。
まあ、最近の四万十の里は、こんな風に日が暮れていってます。
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政府の経済政策の「司令塔」である経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)は16日、財界トップである経団連の榊原定征(さかきばらさだゆき)会長が民間議員として加わった新たな陣容で改造内閣発足後の初会合を開きました。企業団体献金のあっせん再開に続き、小泉内閣時代を思い起こさせる政府と財界の一体化ぶりです。
・・・またも、こんなニュースが流れていました。
腐りきった安倍政権! 何があっても納得できます。
まあ、今日はそんなニュースとは無関係な我が家の日常の話です。(笑)
『天高く馬肥ゆる秋』なんて言葉も、今の世では死語に近いのでしょうねえ。
しかし、本格的な秋を迎えても、今年は一向に澄み渡った青空なんて、全く見ることができません。
8月に続いて、やっぱり9月も怪しい天気が続いています。
それでも、少しは日の光が輝く日も見られて、少しはホッとしています。
そうした晴れ間を狙って、7月以来放置していた『里の草刈り』を始めました。
長いこと草刈りしてなかったので、刈り取った草を熊手で寄せると、こ~んな草の塊がいくつもできました。この草は、しばらく寝かせておいて、堆肥代わりに畑にまきます。
もう3日も草刈り続けてますが、全て刈り取るには、まだ2日ほどかかりそうです。
なんだかねえ、年々草刈りがしんどくなってきましたよ。
でも草刈りの後は、見た目もすっきり…乾草の匂いが辺り一面に漂って、何とも言えない、いい感じです。
でも…私たち夫婦が年老いたら、ここの里も草ぼうぼう…雑草に埋もれちまうのかねえ?
ちょっとさびしく感じる秋の一日です。
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なんだかねえ…第2次安倍内閣が登場して以来、気の休まる暇もない。
安倍シンゾウ…国民の暮らしや軍国化、右傾化だけではない、健康にも心理的にも悪影響ばかりを与える男である。
14日の赤旗日曜版の記事に、気になるものがあった。
最近、私も感じていたことが書かれていた。

最近特にNHKの右傾化が顕著である。この前の『ためしてガッテン』にも、自衛隊のCM番組か?と勘違いするほど、自衛隊を取り上げ売り出していた。
最近のNHKは政府に都合の悪い集会などは、全く報道しなかったり、もしくは小さくしか扱わないようだ。
こうなりゃもうNHKは『不偏不党』の公共放送の名に値しない。そうなれば視聴料金も国民から徴収するのはおかしかろう。
全国的に『料金の不払い運動』が起こることを私は期待している。
いずれにしても…いつか来た道…である。
マスコミは一度は、ジャーナリストとしての本分を放棄し、翼賛政治をもてはやし、戦争の露払いと国民の血の犠牲を求めたことがある。
戦後、わずかに70年…マスコミも国民も、もう、あの悲惨な歴史を忘れてしまったのだろうか。
そんなことを思う昨今である。
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昨日は、眼窩マルトリンパ腫の放射線治療後、1年目の検診日でした。
連れ合いさんと2人、朝飯抜きで、お茶だけお供に、朝の7時過ぎに家を出て、片道130キロもある高知市内まで、出かけてきました。
前回の6カ月検診はMRI検査でしたが、今回はPET-CT検査でした。
9時半に控室に入り、500mlの水を少しずつ飲みながら、F-FDG(放射性薬剤)を注射しました。
この薬は、がんの病巣に集まります。薬が集まったところからは放射線が多く放出されるので、それを捕らえて画像化することにより、がんの病巣を見つけ出すことができるのだそうです。
10時40分ごろ、検査の開始…台に横になって20分ほどで検査終了です。
朝飯を食べてないので食堂へ行こうかと思ったが、午後の眼科の診察が早くなるように…と診察書を出しとこうと11時過ぎに眼科に顔を出したら、呼び止められ、先に視力その他の各種検査を先にやられてしまいました。
おかげで食料に有りつけたのはもうお昼前でした。(笑)
2時からの眼科検診では、PET-CTの結果は、特に異常なしでした。
やれやれ、大丈夫だとは思っていましたが、一応安心しましたよ。(笑)
そして、次はまた半年後…今度は血液検査をするそうです。
MRI検査…PET-CT…血液検査…どうやら、これがワンセットのようです。半年ごとに、この3つの検査を続けるような感じですねえ。
…一体いつまで検査に通うのかな? という思いもありますが、まあ一応、悪性腫瘍の治療をした訳ですから、まあ、ある程度の用心は必要なのかな?…そんな思いもありまして、まあ、心理は複雑なものがあります。
検査後は、代表的限界集落の大豊町の友人が、蜂蜜を1升瓶一杯あげるから取りにおいで…とのお誘いを受けていたので、久しぶりの山の中…天空農園を訪ねることにしました。
先般の大雨で避難勧告も出された大豊町の山の中は、本当に細い山道で上級者で無いと車の運転も怖い怖い…そんな道を30分以上も走り続けて、やっと天空農園にたどりつきました。
たどりついたら友人は泊まっていくものと勝手に決めて食事の用意をしていて、結局一泊することになってしまいました。
ビールを飲み交わしながら、『大阪に住んでた俺ら…何でこんな山の中で酒飲んでるのやろ?』と合縁奇縁に頭をかしげながら、夜が更けていきました。
今日は、帰り道友人に託されたトマトを太田口カフェの若夫婦に届けました。
場所は大歩危小歩危にほど近い、大田口の国道32号線沿いにあります。ここの若夫婦、兵庫から吉野川が大好きで移住してきたらしい。お店の下は吉野川が見えています。
今年生まれた赤ちゃんと、その名も『よしの』ちゃんと言う可愛い娘と4人暮らしだそうです。
みなさん、近くを通るときには、ぜひ寄ってあげてください。
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昔々、欲張りの宿屋の夫婦がおりましたとさ。
宿の夫婦は、客にぎょ~さん茗荷を食べさして、金を預けたことをコロッと忘れさすことを思いつきました。
ところがミョウガ料理をたくさん食べたお客さんは、預けた金は受け取ったが、宿代払うのを忘れて旅立ってしまいましたとさ…。
まあねえ、そんな落語もありますが、実際はどうでしょうか?
実際にはミョウガにはα-ピネンの効能…というのがあるそうです。
みょうが特有の香り成分で、この成分が大脳皮質を刺激しますから、気分を高揚させる効用や、血液の循環を調整する作用、発汗作用や呼吸を整える働き、食欲増進の効能があると云われています。
…つまり逆に頭の働きが良くなるということですなあ。(笑)
そしてもう一つ、カリウムの効能…もあるそうです。
塩分の摂り過ぎにおる体内の余分なナトリウムを体外に排出する働きがありますから、血圧を下げ高血圧の予防にも役立ち、また、心拍数の調整や、水分の調整に作用します。胃液の分泌を活発にする作用もありますから、夏バテなどの食欲減退にも効果的な効用があります。
※さらに、みょうがには、生理痛や生理不順を改善する効用がもあると云われ、さらに抗菌作用や消臭作用もあることが知られているそうです。
まあ、今年の夏は、もうほとんど雨ばっかり・・・40日ほども雨が続きましたが、ここ4,5日晴れ間が続いています。打ち続く雨で、高知の夏野菜は大打撃を受けています。
我が家のミョウガも根腐れで、今年は駄目かなあ…と諦めかけていましたが、なんと、しっかりと芽を出していました。
早速いろんな料理の添え物にして新しい秋の味覚を味わいました。残った分はラッキョウ酢に漬けて保存しています、
まだ、これから何回か芽を出すと思います。
しっかりとミョウガを口にして、ボケかけた頭を、もうしばらくもたせたいものです。(笑)
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何だかねえ…孫ちんが大阪に帰って以来、どうにもテンションが下がりっぱなしで、ブログの更新をする気にもなれない。(笑)
まあ、そんな沈んだ状況ではあるが、なんだか近頃『ネトウヨ』どもの騒ぎがうるさい。
朝日新聞が従軍慰安婦に関する過去の自社報道を検証する記事を掲載したことで、『それ、見たことか』…とネトウヨどもが大騒ぎ…それだけなら、別にどうってことないのだが、その尻馬に乗せられた自称『リベラル』連中までが、朝日攻撃を始め、あろうことか、何をトチ狂ったのか、『従軍慰安婦の強制連行は無かった』だの、『南京大虐殺はなかった』…などと言い出した。
安倍内閣が平和憲法をないがしろにして、『戦争できる国づくり』に執念を燃やしている…その後押しを『自称・リベラル』連中が始めてしまった。
これはもうリベラルの枠からはみ出して、ネトウヨの仲間になってしまったのと同じことなのだが、『自称・リベラル』連中は、そのことに気づく様子もない。
まあねえ、言論の自由だから、そりゃあ、何を言っても自由…なんて思っているのだろうが、最低限のルールとマナー、そしてプライドは守ってほしいよなあ。
連中も色々と『なかった理由』を述べてはいるが、それは過去にも使い古された陳腐な理由ばかりである。
それでも『なかった』と主張するのなら、せめて下記に引用する南京大虐殺の赤旗記事くらい、完璧に反論してから『なかった』と主張してほしいものです。
南京大虐殺は「なかった」 百田発言は世界の非常識
世界のメディアが当時も残虐性批判
南京大虐殺(南京事件)は、1937年12月、中国への侵略戦争の中で旧日本軍が当時の中国の首都・南京を攻略・占領し、中国軍兵士だけでなく、捕虜や一般市民を虐殺した事件です。女性の強(ごう)姦(かん)、略奪をはじめ数々の残虐行為が行われました。
虐殺のとき、南京にいたジャーナリストは、それぞれが惨状を記事にしています。
ニューヨーク・タイムズのF・T・ダーディン記者は「大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した」「犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた」「なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた」(37年12月17日電)、「塹壕(ざんごう)で難を逃れていた小さな集団が引きずり出され、縁で射殺されるか、刺殺された」(同年12月22日電)と報じています。
シカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール記者は「(われわれが)目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた」「この門(下関門)を通ったとき、五フィート(約一・五メートル―訳者)の厚さの死体の上をやむなく車を走らせた」(37年12月15日電)、「私は、日本軍が無力な住民を殴ったり突き刺したりしているのを見た」(同年12月14日電)と報じます。
イギリスの新聞マンチェスター・ガーディアンの中国特派員H・J・ティンパーリーは報道した内容をもとに『戦争とはなにか―中国における日本軍の暴虐』をまとめ、38年にロンドンとニューヨークで発行しています。
事件当初から、「世界は無視をした」どころか、日本軍の残虐性を批判していました。
米国などの南京駐在外交官も本国に事件の詳細を報告しており、それが東京裁判で南京事件を裁いた際の裏づけとされました。
(『南京事件資料集(1)アメリカ関係資料編』青木書店)
日本では報道統制がしかれたため、国民には事件は伝わりませんでした。しかし、一部高級官僚や軍部は南京の惨劇を知っていました。
南京事件当時、外務省の東亜局長だった石射猪太郎は日記に「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪(りゃくだつ)、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」(38年1月6日)(伊藤隆・劉傑編『石射猪太郎日記』中央公論社)と書いています。
旧陸軍将校親睦の機関誌も「詫びる」
現場にいた日本の兵士も証言や日記を残しています。なかでも旧陸軍将校の親睦団体・偕行社(かいこうしゃ)の機関誌『偕行』に1984年4月~85年3月に掲載された「証言による『南京戦史』」は注目されます。
「大虐殺の虚像」を明らかにする狙いで偕行社が募集したものでしたが、寄せられた証言は虐殺の実態を生々しく伝えます。
松川晴策元上等兵は「(中国の)便衣兵が一列にならばされ、(日本の)兵士が次から次へと銃剣で突き刺したり、あるいは銃で撃っているのを見ました。その数は百や二百ではなかった」「土のうと死体が一緒くたになって、約一メートルぐらいの高さに積み重ねられ、その上を車が通るという場面を見ました」と証言しています。
佐々木元勝元上海派遣軍司令部郵便長は日記に「道路近くでは石油をかけられたのであろう。(死体が)黒焦げになり燻(くすぶ)っている。波打際には血を流し、屍体(したい)が累々と横たわっている」(37年12月17日)と書き残しています。
最終回の85年3月号で、編集部の加登川幸太郎氏は「(死者の)膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない…この大量の不法処理には弁解の言葉はない」と虐殺の事実を認め、「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫(わ)びるしかない」と謝罪しています。
日中政府の歴史共同研究でも
「日本の近代史の研究者の中で、南京で相当数の不法な殺人・暴行があったということを認めない人はほとんどいない」(『外交フォーラム』2010年4月号)。2006年に第1次安倍政権が着手した「日中歴史共同研究」で安倍首相の指名で日本側座長となった北岡伸一国際大学学長は、共同研究の成果と課題をまとめた論文で述べています。
北岡氏は日本の侵略を認めたうえで「不快な事実を直視する知的勇気こそが、日本の誇りなのであって、過去の非行を認めないのは、恥ずかしいこと」とも言っています。
・・・いかがでしょうか?
どうしても『なかった』と言いたいのなら、せめてこの程度の記事は軽く完璧に反論してほしいものです。
一つ一つ、丁寧な反論を期待しております。(笑)
それと慰安婦問題…これは某政党のCちゃんが、長文の論文を発表しています。長いので見出しだけ表示しておきますが、リンクを開いて、ぜひとも、こちらも、丁寧なる反論を試みてください。
その上での、さらなる『無かった』との反論を期待したいものです。待ってますよ。ネトウヨ諸君&自称・リベラル諸君!
歴史の偽造は許されない ――「河野談話」と日本軍「慰安婦」問題の真実
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