2008/08/26
8月22日、日本中がオリンピックに目を奪われ、私はと言えば、それに加えて、我が家の来客の対応(ほとんど宴会…)にうつつを抜かしている間に、ひとつのトンデモナイ「最高裁判決」がありました。
私の過去ログ、2008/07/09付の 233:高知の白バイ・スクールバス衝突事故の支援をお願いします!で紹介した片岡晴彦さんの「上告棄却」があり、1審、2審の判決通り、「禁固1年4月」の実刑が確定したことになります。
この事件は、刑は軽い…と思われる人もおられるかと思いますが、果たしてそうでしょうか? それは、警察の主張通り、100%片岡さんに非がある場合には、それでいいでしょう。
しかし、片岡さんや、当時のスクールバスに乗っていた中学生や、引率の先生、目撃者の証言が正しかった場合はどうでしょうか?
片岡さんは、やってもいないことで罪を問われ、職を失い、人生の後半を「被告人」として、裁判を受け、世間の非難を甘受して生きていかなくてはなりません。 また、当時の中学生たちは、自分たちの証言を嘘つき呼ばわりされ、世間を信じられない人生を、これから送っていくことになります。
そして、何よりも、国民を守るための警察が、国民に罪をかぶせ、「スケープゴート」を仕立て上げる…その恐ろしさを、これから、私たち国民は、「明日はわが身」として、甘受して生きていかなくてはなりません。
あなたは、もし自分がそうなっても、「仕方がない」と簡単にあきらめられますか? この事件に対して、あなたが口を閉ざし、知らんぷりを続けるなら、それこそ「明日はわが身」です。
詳しい経過について、是非本人さんのブログ「雑草魂」や、きっこのブログをお読み下さい。
この事件を通じて、私は今、国の仕組みそのものに疑問を持ってしまいます。 いわゆる、憲法の保障する「三権分立」の大前提が、今、砂上の楼閣となりつつある…その危険をひしひしと感じています。
ビラ配りで逮捕された人もいました。そもそも、ビラ配りが罪になるのでしょうか?片や、吉清さん親子を無法運転で殺したイージス艦「あたご」の自衛隊員は、誰か逮捕されて、殺人犯として裁判を受けている人がいるでしょうか?
一方で、ビラを配っただけで逮捕される。やってもいない罪で、でっち上げの証拠で泣く人がいる。そして、片や人を殺しても罪を問われない人がいる…みなさんは、これを当然だと思いますか?
私は、今、声を大にして叫びたい。 三権分立は死んだと・・・あるいは、今、瀕死の状況にあると。 中国や韓国云々よりも、我々日本人は、まず自分の足元を論ずる必要があるのではないでしょうか。この国に、今、三権分立は存在しません。司法も立法もすべて、行政に屈服し、権力者たちに都合の良い法律が作られ、司法はそれを認めているのです。
この国は、今や「一権集中」の国となりつつあります。右も左もありません。
この危機にマスコミが警鐘を乱打しないなら 私たち自身が「真実」を語り、広げるしかありません
もし 私が 私のために行動しないのなら 誰が 私のために行動するのか? もし 私が 私のためにだけ行動するのなら 私は いったい何者か? そして いま行動しないなら いつするのか? −−−テッサ・モーリス・スズキ
2008.08.26(Tue)10:51 |
司法関係
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2008/04/23
■ 政治家の関与に何故触れられない(怒)
昨日は、世間の耳目を集める2つの裁判があった。「防衛省のドン」と呼ばれた守屋武昌前次官は、初公判だったが、検察側は「疑惑の政治家」には、一切触れず、トカゲのしっぽ切りでお茶を濁したい考えのようだ。これだけ公になっている政治家の存在に、どれだけ切り込めるかが焦点であっただけに、検察側の腰砕けぶりには、初公判から失望である。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-22/2008042214_01_0.html
防衛省汚職初公判…軍事利権の一端が露呈 政治家関与の解明必要
防衛省汚職事件の初公判では、守屋武昌前次官と軍需企業の癒着ぶりが明らかにされました。しかし、防衛族政治家の関与をはじめ、「政軍財」利権構造の全体像には言及しませんでした。
被告から接待 守屋被告は、国会の証人喚問で山田洋行元専務・宮崎元伸被告との宴席に久間章生元防衛相、額賀福志郎財務相(元防衛庁長官)が同席していたと証言。久間氏は、高級すっぽん料理屋で宮崎被告から接待を受けたことも明らかになっています。
公判で、検察側が守屋被告の便宜供与の具体例として真っ先にあげた次期輸送機CXのGE社製エンジン調達でも政治家の影がちらついています。
証人喚問では、防衛大臣当時の久間氏が防衛省幹部に指示し、宮崎被告側を通さずにGEから直接購入できるよう交渉させたと指摘されました。
検察側は、防衛族議員と日米軍需産業を結ぶ黒幕として注目され、参考人招致された「日米平和・文化交流協会」の秋山直紀常勤理事にもまったくふれませんでした。
久間氏は、癒着ぶりが厳しく批判された秋山氏を同行しての訪米を予定していると報じられています。
「防衛族議員は、自分たちに追及が及ばないと安心して、また動きを活発化している」(自民党衆院議員)との指摘もあります。
今後の課題 守屋被告らの犯罪は、決して特別なものではなく巨額の軍需調達をめぐる利権構造の一端が露呈したものです。捜査当局には、政治家や大手軍需企業の疑惑に迫ることが今後の課題として残されています。(軍事利権取材班)
■ やっぱり「死刑」ですか?
一方、山口県光市の母子殺害事件については、最高裁が2006年、これらは死刑を回避する上で十分な理由ではないとする判断を示し、「特に酌量すべき事情」がさらにあるか審理を尽くすよう広島高裁に差し戻した時点で、「死刑判決」以外の選択肢は、ほとんど閉ざされてしまった。従って昨日の判決は、あ、やっぱり…と予想の範囲内であり、同時に死刑制度の撤廃を願う私としては、複雑な心境でもある。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/17982
死刑の尺度が変わったか 光市母子殺害 裁判長は判決理由を朗読しながら何度となく「不自然」や「不合理」といった言葉を用い、弁護側の主張を退けた。そして、元少年(27)の被告に対し死刑の判決を告げた。
1999年4月、山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた被告に対して、広島高裁が言い渡した差し戻し控訴審の判決である。
18歳の少年がアパートに侵入して、何の落ち度もない23歳の母親と生後11カ月の幼女を殺害し、社会を震撼(しんかん)させた事件だった。
一、二審は、殺害まで計画していなかったことや、事件当時、18歳1カ月という年齢の低さなどを考慮し、無期懲役の判決を言い渡した。
しかし、最高裁は2006年、これらは死刑を回避する上で十分な理由ではないとする判断を示し、「特に酌量すべき事情」がさらにあるか審理を尽くすよう広島高裁に求めていた。
被告側は一、二審で起訴事実をほぼ認めていたが、最高裁が差し戻して以降、供述を一変させた。「甘えたいと抱き付いたが予想外の反撃に無我夢中で逆手で首を圧迫した。殺意はなかった」など、旧供述と大きく異なる内容である。
今回の判決は、起訴から6年半以上たってからの新供述の信用性をことごとく否定し、「死刑を免れようと虚偽の弁解をろうしている」と断じた。厳しい響きの表現である。妻と子を亡くした遺族の処罰感情が「峻烈(しゅんれつ)を極めている」ことにも触れて量刑判断をしている。
少年法は51条で、犯行時に18歳未満の少年に対しては死刑を科さないことを定めている。司法判断が揺れるのは、18‐19歳の「成人に近い少年」が重罪を犯した場合だ。
19歳のときに4人連続射殺事件を起こした永山則夫死刑囚(1997年執行)は、一審で死刑、二審で無期懲役の判決を受けた。最高裁が83年に二審判決を破棄して差し戻した際に示した死刑適用の基準が「永山基準」である。
動機、殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ、殺害人数、遺族の被害感情、犯人の年齢など9項目を挙げ、罪と罰の均衡などから「やむを得ない場合には、死刑の選択も許される」としている。「死刑は例外」とする考えを根底に置いた死刑選択の物差しと言っていい。
永山基準の枠内で判断した一、二審の無期懲役が、最高裁による差し戻しと高裁判決で死刑に変わったことは、厳罰化の流れの中で、「成人に近い少年」に対する死刑選択の尺度が永山基準の枠を超えて広がったことを意味するのか。
死刑制度をめぐっては国民の間に賛否両論がある。重大事件で死刑か否かの判断も迫られる裁判員制度の実施も1年後に迫った。少年に対する死刑適用の基準については、この事件とは別に、一層慎重な検討が加えられるべきだろう。
=2008/04/23付 西日本新聞朝刊=
差し戻し審に入ってからの、弁護側の方針転換には、私は大きな違和感を覚える。戦術的に言えば1,2審の主張を貫き、反省と謝罪の態度を前面に出すべきだったと思うのだが、この戦術論は枝葉末節の問題であり、それよりも私は、来年5月からの裁判員制度の実施を前に、マスコミと世論の「厳罰論」の高まりを懸念するものです。
そこで、記事が長くなるが、私が共感を覚えた「東京新聞」の社説を引用しておきたい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008042002005088.html
【社説】週のはじめに考える さらば黄門さまのとき2008年4月20日
来年五月からの裁判員制度は幕末・明治維新の大政奉還に似て時代を刷新させる可能性を秘めています。日本再興への千載一遇のチャンスとも。
国民的人気を博したNHKテレビの大河ドラマや民放の長寿番組を分析して日本人の「平伏陶酔」の願望を指摘したエッセイストとしても知られた放送タレントがいました。
平伏陶酔とは、権威者への無条件心服から発する陶酔感やその上下関係にわが身を浸すことによる満足感で、ドラマが圧倒的に支持されるために絶対に必要な条件だというのです。
内なる平伏陶酔願望 なるほど、「赤穂浪士」での浅野内匠頭と大石内蔵助、「太閤記」や「国盗り物語」での信長と秀吉、「源義経」での義経と弁慶には、その条件を満たす主従・上下の関係があり、印籠(いんろう)を掲げる水戸黄門とひれ伏す悪人たちの極め付きシーンはさわやかな快感を呼び起こさせます。
民主社会とはうらはらといえる平伏陶酔の願望ですが、それなりの歴史的積み重ねによってこの日本人的心情が形成されてきたのでしょう。
日本人の精神の原型がつくられたともされる中世、新仏教の祖師の法然や日蓮が説いたのが「専修念仏」や「専修唱題」。祈ることによって救済を求め、日本の神や聖人は、衆生済度のためこの世に現れた仏・菩薩(ぼさつ)の姿とする思想も広がりました。
伝説の聖徳太子に始まり、最澄、法然、日蓮、道元らは実際にも高い徳を身につけ、戒律を守った聖者だったといわれます。民衆の心に平伏陶酔の願望が灯(とも)るのは極めて自然です。
江戸時代の武士道も厳しく身を律することを求めたのは、支配階級側の武士に対してでした。富や損得より名誉、行動の美しさや潔さ、自己犠牲や惻隠(そくいん)の情。
間違いだったお上任せ 版籍奉還や四民平等など統治権力側の少なからずの権益放棄と譲歩によってなった明治維新は、民衆の蜂起と反乱の欧米とは異なる日本的革命(中途半端な…筆者注)ともなりました。
国破れて山河が残った戦後、平伏陶酔の対象になったのは東京・霞が関の中央省庁のお役人たちでした。高度成長の経済システムを構築、世界の大国に押し上げた功労と祖国再建への燃えるような情熱によるものでした。
しかし、その官僚たちへの信頼が崩れようとしています。国益より省益、国民より己の利益と属する組織への忠誠を優先させるようになったお役人に敬意の抱きようがありません。身を律することを忘れてしまったのです。
大きく変化する世界に対応できないことへの失望もあります。成長著しい中国、ロシア、インドが加わってグローバル経済は、食糧、資源獲得競争の様相さえ見せ始めてきました。少子高齢化社会で暮らしの保障はあるのか。
道路特定財源や暫定税率、高齢者医療での紛糾と混乱は、もはや惰性の行政では立ち行かず、税体系や社会保障制度のあり方まで含めた根源的議論と制度再構築の必要性を示しています。国民の参加と合意形成が不可欠です。そんななかで裁判員制度がスタートを切るのは象徴的です。
裁判員制度での気がかりは、最高裁の国民意識調査で、今なお八割の国民が参加に消極的で、義務でも参加したくない人が四割にものぼることです。本紙論説室にも少なからずの反対の声が届きます。
「国民が望んだ制度ではない」「人を裁くのは専門家の仕事。素人には不安で重荷だ」「自分の判断に自信がもてない」。いずれももっともな反対理由で、文の背後の真摯(しんし)さが伝わります。
矛盾するようですが、まさにその真剣さと考える姿勢こそが裁判員制度に参加を要請される理由のように思えるのです。専門家同士の刑事裁判で時に生まれる恐るべき非常識や視野狭窄(きょうさく)を救うのがそんな一般市民の良識・常識だからです。心ある法曹関係者たちの希望もそこにあります。
ことは司法分野に限りません。政治も財政も福祉も労働も教育も専門家任せにしたための行き詰まりと制度疲労の兆候を示しています。国民の積極参加と意見表明、合意形成がなければ日本の再興は覚束(おぼつか)ないでしょう。
日本再興の始まりに 専門家と市民が共に審理に加わる裁判員制度は、日本独自のシステムで、究極の国権を国民へ奉還する意味が含まれています。渋々の参加で統治のために利用されたのではたまりません。仕事や家事を犠牲にしての参加です。専門家任せにせず、平伏陶酔にもしばらくはおさらば。積極的な権利行使で民主主義の推進と日本再興の原動力としたいものです。
2008.04.23(Wed)11:09 |
司法関係
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2008/04/18 (現時点での、訪問者総数 26,179 総アクセス数 49,538 )
左の花は、名も知らない花(追記…「花みずき」だと教えてもらいました)ですが、なんとなく優美さと安らぎを感じます。右は昨年植えたクレマチスです。やっと花が咲きました。ルン!
昨日、津久井進の弁護士ノート さんから送られてきたTBに さあ!いよいよ憲法9条の出番!〜名古屋高裁判決 がありました。 ビラ配布有罪判決など、最近は司法の権威が揺らぐ判決が多い中で、憲法判断に踏み込んだ「違憲判決」が出されました。これは、司法の反動化が憂慮される中、まさに画期的な判決であると、私は思います。津久井先生も仰っているように、「すごい」ことです。
以下に一部ですが、津久井先生の記事を引用します。
憲法9条違反の違憲判決が出ました(名古屋高裁)
裁判所は, 「イラク特措法が合憲であったとしても、活動地域を非戦闘地域に限定した同法に違反し、憲法9条に違反する活動を含んでいる」 と述べ,9条違反の違憲性を明確に述べました。
すごいことです。
控訴棄却判決なので,原告側も被告側も上告できません。 だから,これで確定です。 この「憲法9条違反判決」は,確定した高裁判断となります。
いよいよ,9条が司法の世界で活かされる場面がやってきたんだ,という感無量の思いを感じます。
この勇気ある判決を書いた裁判長は,青山邦夫さんです。 この3月末をもって退官されましたが,修習22期で,ほぼ定年となるまで裁判官一筋で職を全うされたキャリア裁判官です。 普通の裁判官の感覚が活かされて,このような判決がなされたことにも,一法曹人として,活きた司法の良心を見た思いもします。
--以下略--
私も、司法についての詳しい知識はありませんが、まったく同意見です。青山邦夫裁判長…退官前の最後の大仕事として、十二分に裁判官の良心を披歴されたのではないでしょうか。 「わが判決に悔いなし」の爽やかさを感じるのは、ひとり私だけではないと思います。
<判決の骨子> ▼イラク、特にバグダッドはイラク特措法が自衛隊の活動を認めていない戦闘地域に該当する
▼空自による多国籍軍武装兵員のバグダッドへの空輸は、他国の武力行使と一体化した行動で、自らも武力行使したとの評価を受ける
▼空自の空輸活動は、武力行使を禁じ活動地域を非戦闘地域に限定した特措法の規定に違反し、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる
▼違憲確認請求と差し止め請求は不適法。平和的生存権の侵害までは認められず、損害賠償請求は認められない
政府や福田総理は、「この判決に、政府が拘束されるものではない…」などと否定する発言をしていますが、今後の各党の政治活動に大きな影響を与えることは確実です。追い詰められた自公政権がさらに、苦境に立たされることは目に見えています。
問題は、野党第一党の民主党の対応です。政府の企む「自衛隊の恒久派兵法」に、民主党が同調しない限り、政局は自然と「解散・総選挙」へと移行していくものと思われます。 心配なのは、「自衛隊の恒久派兵法」の火種を提供したのが、民主党であるということです。政府与党が、この法案を提出して来た時、民主党が、どう対応するのか、私は懸念しています。
民主党が、この法案に賛成すれば、今回の画期的な判決の意義はぶっ飛んでしまうことになるし、反対すれば、民主党自ら提案した法案に、自ら反対…という「ジレンマ」に追い込まれることとなりそうで、不安定な民主党の対応が、私には、どうも不安でしょうがないところです。
このことを併せて考えると うれしさも 中くらいなり この判決
ということになりそうです。
■この判決に対する新聞社の社説は、どう取り上げているか
<読売社説・要旨> http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080417-OYT1T00786.htm
イラク空自判決 兵輸送は武力行使ではない
イラクでの自衛隊の活動などに対する事実誤認や、法解釈の誤りがある。極めて問題の多い判決文である。
判決は、原告の請求をいずれも退けた。違憲確認の請求についても「利益を欠き、不適法」と判断している。それなのに、わざわざ傍論で「違憲」との見解を加える必要があったのだろうか。
国は、訴訟上は勝訴したため、上告できない。原告側も上告しないため、この判決が確定する。こうした形の判例が残るのは、好ましいことではない。
判決文は、イラクでの多国籍軍と国内の武装勢力との抗争を「国際的な戦闘」と“認定”した。それを前提として、空自による多国籍軍兵の空輸は「他国による武力行使と一体化した行動」で、武力行使に当たる、と結論づけた。
だが、多国籍軍による武装勢力の掃討活動は、イラクの安定と安全への貢献を求めた2003年5月の国連安全保障理事会決議1483などを根拠としている。イラク政府も支持しており、正当な治安維持活動にほかならない。
仮に掃討活動が武力行使だとしても、憲法上の問題はない。空自による多国籍軍兵の空輸は、武力行使と一体化しないからだ。
相も変わらず、読売は政府や権力者の代弁者だ。こんな新聞に、金を払って購読する人たちの気持ちが、私には理解できない。
「国連安全保障理事会決議」や「イラク政府も支持」など…日本国憲法に違反するかしないか…という議論とは、何の関わりもない…国連は国連であって、日本の統治に直接かかわる権限などゼロである。国連が決めたから…、外国が支持しているから…そんな論理がまかり通るなら、国なんて存在しないに等しいではないか。その国のことは、その国の国民が決める…それが世界の常識ではないのか。読売は、まさに、こうした世間のあるいは世界の常識さへ理解できない世界へ踏み込んでしまっているようだ。
改めて言う…こんな新聞に大切なお金を払うことはない…百害あって一利なしの新聞だ。
<毎日社説・要旨> http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080418k0000m070137000c.html
イラク空自違憲 あいまいな説明は許されない
判決はまず、バグダッドで米軍などと武装勢力との間で激しい武力衝突が起きていることを指摘し、特措法でいう「戦闘地域」にあたると認定した。そのうえで、「多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸する活動は、他国による武力行使と一体化した行動で、武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」とした。
政府と同じ憲法解釈で特措法を合憲としたとしても、活動を「非戦闘地域」に限定した特措法と、武力行使を禁じた憲法9条に違反するとの判断である。
重要なのは、判決がイラク国内の紛争は多国籍軍と武装勢力による「国際的な武力紛争」であるとの判断に基づき、バグダッドを「戦闘地域」と認定したことだ。政府がイラクでの自衛隊の活動を合憲だと主張してきた根拠を根底から覆すものだからだ。
イラクに自衛隊を派遣した小泉純一郎首相(当時)は、国会で非戦闘地域について質問されて、「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域である」と答弁し、物議をかもしたことがある。また、党首討論では、イラク国内の非戦闘地域について聞かれ、「イラク国内の地名とかを把握しているわけではない。どこが非戦闘地域かと聞かれても、分かるわけがない」と発言したこともあった。
判決は、極めてあいまいだった当時の首相発言を指弾する内容でもある。政府は判決を真摯(しんし)に受け止め、活動地域が非戦闘地域であると主張するなら、その根拠を国民にていねいに説明する責務がある。
さらに、判決が輸送対象を「武装兵員」と認定したことも注目に値する。政府はこれまで、空自の具体的な輸送人員・物資の内容を明らかにしてこなかった。小泉首相は、当時の記者会見で「空自による物資の輸送はしている。しかし、どんな活動をしているかは部隊の安全の面があり、公表できない部分もある」と述べていた。
しかし、輸送対象に米軍を中心とする多国籍軍が含まれており、当初の「人道復興支援」から「米軍支援」に変質したのではないかとの見方が前からあった。
政府は、輸送の具体的な内容についても国民に明らかにすべきである。
読売の社説とは、ずいぶん違うものである。(笑) マスコミ社説は、やはりこうでなくてはならない。毎日も、時々妙な記事を載せることもあるが、最近は結構、政府批判の記事が多い。多いに頑張って、読売の購読者を奪い取ってもらいたいものだ。私は毎日の回しものではないが、この2つの社説を比較して、そう思う次第である。
2008.04.18(Fri)11:47 |
司法関係
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Author:simanto114
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