故郷からの帰り道…毎回どこかへ寄り道しながら帰るのが習いとなってしまいました。(笑)
今回は、山都町を経由、阿蘇連山の雄大な景色を楽しみながら、根子岳の裏を通り、阿蘇市を経由して南小国へと出ました。
それにしても、阿蘇の山道走るなら、やっぱり夏が最高です。
春は野焼きで、一面真っ黒ですし、冬は枯れ草で茶色の世界です。
夏の緑の草にうずもれて走る…阿蘇の山道は、どこか異次元への入口のように思えます。(笑)
すっかり有名になってしまった、黒川温泉の真横を通り抜け、今回はワイタ山の麓にある 豊礼の湯 を訪れました。
温泉が近づいてくると、道路のあちらこちらから湯気が立ち上っているのが見えます。
写真のように地獄蒸しの蒸気が立ち上っているのです。
温泉入口でトウモロコシなどの野菜や卵を売っているので、それを買い、温泉入浴中に蒸し器に入れておきます。温泉を出たら、蒸した野菜を食べる…そんなサイクルになっているようです。(笑)
温泉はナトリューム塩化物泉で、神経痛や皮膚病などに効果があるようです。
湯温はぬるめで、長時間入っていてものぼせることはありません。穏やかな山の景色を眺めながらゆったりと入れました。
ここの温泉は、何よりも温泉の色が美しい

普通は乳白色ですが、ここは青白色なのです。
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昨日、自民党の片山さつき総務政務官の暴言について取り上げたら、その後すぐに、今度は暴言王・麻生太郎が…憲法改悪はナチスに学べ…の大暴言が飛びだした。
もう、この国の政治家には良識なんぞ欠片もありません。
もうこんな馬鹿どもに政治を任せるのは、いい加減やめさせましょ。
・・・・・麻生太郎副総理兼財務相に舌禍が戻ってきた。29日夜、都内で講演し、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及して「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べたのだ。
当初、麻生氏は「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧。改憲は単なる手段だ」と強調した・・・・・ZAKZAKより
日本一の石段・・・
今年は我が家も法事が立て込んでいるので、故郷の法事を早めに済ませることにしました。
その後、誰も住まなくなる家の掃除を済ませ、次いつ訪ねるか分らない故郷を後にしました。
熊本は、熊本城や先日乗っけた通潤橋など、石積みの技術で有名なところでもあります。
この熊本の美里町に日本一の石段があると言うのは、以前から知っていましたが、少しコースから外れるので、今まで行ったことがありませんでした。
しかし、次はいつ故郷へ帰るか分らないので、この際、寄り道して訪ねてみました。
国道をそれ10キロほど人里もまばらな山道を走ると、ほぼ突き当りに石段が見えてきます。
生憎と、この日は久しぶりの豪雨…入口で写真に収めるのが精いっぱいでした。
でもねえ…天気が良ければ猛暑…いずれにしても石段を登ることはなかったでしょうね。(笑)
石段を登りきったところに
白竜が 昇るが如し 石段は 3333で日本一
…という石碑が建てられているそうです。
石段見学の後、一路阿蘇に向けて走りましたが、途中道に迷い、とんでもない山道を走ることになってしまいました。内大臣橋…なんて、なんかねえ、『平家の落人集落に入り込んでしまったようだなあ…』なんて、ぼやきながら走りましたが、後で調べたら、やっぱりそうでした。(笑)
県道180号線…高知の439号線(通称ヨサク)も顔負けの凄い道でした。
いくつも山を超え山都町(旧清和村)の国道に出た時は、もうねえ、ほっとしました。(笑)
それにしても、ここ旧清和村は、九州唯一の人形浄瑠璃専用劇場のある町です。
ここの文楽蕎麦は、とても風流で味も良く、おいしかったです。
そして、道の駅で、可愛い孫への土産を探しました。
ありましたよ


可愛いねえ…飛びついてくる孫の顔が目に浮かびます

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自民党が復権したせいで、次々と自民党幹部の暴言が続いています。
この暑苦しいお天気以上に、うっとおしい奴らです。
憲法9条が戦争抑止の大きな力に・・・
片山さつき総務政務官(自民党・参院議員)は29日放送のテレビ朝日系番組で、東シナ海上で発生した中国艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃用レーダー照射事案(1月)について、「他の憲法上の制約のない国だったら、9条の1項、2項がなかったら、(自衛隊が)撃っていますよ」と述べ、軍事衝突を招きかねない対応が当然だとの暴言を吐きました。
レーダー照射とは、射撃対象を捕捉し、いつでも発射できる状態(「ロックオン」)にするもの。危険な行為で許されるものではありませんが、日本側が先に攻撃に出れば軍事衝突を招くのは必至です。
番組に同席したタレントの大竹まこと氏が「じゃあ撃てばよかったの?」と繰り返し真意をただすと、片山氏は「今の(憲法の)状況では撃てない」と述べただけで撃った場合、どんな事態になるか説明できませんでした。
自民党は改憲草案で9条の全面改定を掲げており、歯止めをなくした場合の危険な実態が浮き彫りになったかたちです。・・・・・・2013年7月31日赤旗
確かに最近のアジア情勢は緊迫の度を加えるばかりですが、それは何も一方的に中国や韓国あるいは北朝鮮ばかりが悪いわけではないでしょう。
かって、大東亜共栄圏を夢見て、大量のアジアの同胞を死に至らしめ、屈辱の歴史を与えてきた、この国日本の反省は十分なものだったのでしょうか
一億総懺悔…その反省の舌の根も乾かない今…またしても憲法9条改悪の企みは、アメリカ様のおしつけに屈服し、銭金の亡者たちを先頭に、戦争ほどもうかる商売はない…とバカな国民の愛国心とやらを刺激しながら、着々と進められています。本当にこれでいいの
さて話はいつもの通り、ころりと変わります。
私の好きな故郷の景色の代表とも言うべき場所が、ここ、三角西港です。
三角西港(みすみにしこう)は、明治三大築港のひとつであり、明治政府の国内統一、殖産振興の政策に基づいて建設された地方港湾の1つで、オランダ人水理工師ムルドルの設計によって、明治17年から明治20年にかけてつくられた。100年の歳月がたった今も当時の都市計画・石積埠頭がほぼ無傷のままのこっています。
この周辺一帯が、写真のような 石造り の岸壁であり、道路であり、また石造りの側溝が一帯にいくつも巡らされています。
石橋も一つ一つが意匠を替えて設計されています。
この写真の左手に建物が見えますが、これは白壁の土蔵です。
ここは今、レストランとして使用されており、故郷へ帰るたび、ここで食事を楽しみながら、わが故郷に思いをはせるのが、私の習慣となっているようです。(笑)
前方に見える橋が、天草への橋、1号橋です。
この橋を渡るとすぐ、私の生まれ育った大矢野町となります。
大矢野町も、橋ができて以来、田舎の良さが失われてしまい、田舎でもなく都会でもない、何とも雑然とした街になってしまい、私としては、あまり好きにはなれません。
だからこそ、昔からの景色をそのまま残している、ここ三角西港に郷愁を感じて、毎回やってくるのです。
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25日の朝早く、四万十の家を出て、宿毛からフェリーで九州に渡り、半年ぶりの故郷へ帰ってきました。
今回は夏風邪で体調も悪かったのですが、九重で高速を降り、連れ合いさんの大好きな阿蘇の山並みを走りました。
九酔渓から長者が原へ抜け、阿蘇の根子岳の横を通り、蘇陽町経由で天草まで走りました。
約300キロの山道走破は、体調が悪かった割には楽しかった。
途中、日本一の石段と通潤橋を思い出し寄ることにしたが、石段は少し奥まったところにあり、遠くなるので帰りに寄ることにして、とりあえず、通潤橋だけ寄っていくことにしました。(笑)
通潤橋(つうじゅんきょう)は、江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)の五老ヶ滝川(緑川水系)の谷に架けられた石組みによる通潤用水上井手用の水路橋である。…とウイキにあります。
国道から 道の駅通潤橋 へと入るには、しばらく商店街を走らねばなりません。数百メートル走ると突然眼前に通潤橋の石の橋が目に飛び込んできます。
道の駅には、御覧のような大きなクマモンが来客を迎えてくれます。
これが通潤橋…ここには、これしかありません(笑)
それでも橋の上を歩いている人の姿が見えますが、結構訪れる人の数は多いようです。
観光シーズンには、アーチ型の中央部分から水が放水されるのですが、25日は平日で観光客も少なかったので、放水シーンはありませんでした。
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