2008/02/07 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ ずいぶん長い間、非日常的な小難しい話を取り上げてきましたが、今回を最後に、日常世界へ逆ワープします。少し「うらしま太郎」になっていますが、次回から徐々に日常の話題にならしていきたい。
科学的社会主義の3つの源泉と3つの構成部分 マルクスとエンゲルスが、科学的社会主義を創始するに当たって、継承した思想的な潮流の中で、もっとも主要なものは、当時先進国の地位を占めていた3つの国で発展した3つの学説でした。
【3】フランス社会主義 ---科学的な階級闘争と革命の理論 科学的社会主義の形成にあたって、第3の理論的源泉となったのは、19世紀の初めに現れたフランスのサン・シモン、シャルル・フーリエおよびイギリスのロバート・オーエンの空想的社会主義の思想体系でした。
エンゲルスは、彼らの功績について、「ドイツの理論的社会主義は、サン・シモン、フーリエ、オーエンという3人の人物、どんなに空想的でユートピア的であろうと、やはり全ての時代を通じて、もっとも傑出した思想家に属し、今日その正しさが科学的に立証されつつある無数の事柄を、天才的に予見した、この3人の人物の仕事に自分が支えられていることを、決して忘れるものではない」と書いています。
この3人の思想家たちは、18世紀のフランス唯物論を直接のよりどころとして登場しました。フランス唯物論は、17世紀フランスの哲学者デカルトの「自然学」と、イギリスのベーコンやロックの唯物論的伝統と、ニュートンの物理学説など、自然科学の成果を源泉とするもので、ルソーなどの啓蒙的民主主義と共に、当時革命的であったブルジョアジーの戦闘的イデオロギーとして、封建制度を批判し、その精神的支柱としての宗教と教会の社会的役割を暴露しながら、資本主義のための道を開きました。
18世紀のフランス唯物論は、「人間は、元々善良であり、その天賦の知能は同等であり、経験と習慣と教育が全能であり、人間には外部の事情が影響を及ぼすものであり、産業に高度の重要性が置かれ、快楽は是認される…等々」と言う主張により、個人と集団の利益を統一する必要、人間の欲求を充足するための生活場所の保障、犯罪の起こる反社会的場所の絶滅というような思想が現れるための前提を作り出しました。
フーリエは直接にフランス唯物論の学説から出発し、オーエンも、この学説を実践に適用し、生活環境と労働条件を改善することによって、人間の性格と能力を向上させようと試みました。
またルソーは、社会的不平等の問題を鋭く提起し、全ての人々が平等であった社会生活の原始段階では、私有財産がなかったことから、人民大衆に対する社会的抑圧、自由と平等の侵犯の源泉を、私有財産の発生の内に見ました。
フランス啓蒙思想の宣言した「自然権」(人間の資質の差に関わりなく、人間が人間たる資格において享受できる権利)の思想も、そこから導き出される次のような帰結のために、空想的社会主義にとって重要な意義を持つことになりました。
--社会と国家は、全ての人間の平等な政治的権利を保障しなければならない。共同所有が自然的であり、労働が占有の唯一の正当な権原なのであるから、私的所有は平等に分配するべきである。社会の成員は、その労働の全収益を取得する権利を持っており、労働しない人間がそこから搾取することは、自然権を侵害するものである。
この3人の偉大な空想的社会主義者たちは、ブルジョア古典派経済学者たちが、資本主義制度を自然的なものであり、人間の本性にかなった合理的なものと見なしたのに対して、この制度を不自然であり、不合理であり、人間性に矛盾するものと見なしました。 彼らは、資本主義の初期に、その矛盾を見抜き、その終末を予見したのです。 彼らが望んだものは、人間による人間の搾取を絶滅することでした。
しかし、彼らは資本主義の発展法則も、新しい社会の創造者となる社会的勢力(労働者階級)を見出すことができず、社会主義への道筋を示すことはできませんでした。彼らは「正義と道徳」にすがりました。しかし、「正義と道徳」には社会主義への道を切り開く力はなかったのです。
科学的な階級闘争と革命の理論 マルクスとエンゲルスは、最良の客観的条件に恵まれていました。彼らの時代にはプロレタリアートが存在感を示し、ブルジョアジーとの階級闘争は、先鋭的で組織された形をとるようになっていたのです。社会主義に関する空想を、一つの科学…科学的社会主義に変えるための条件が生まれていたのです。
科学的な階級闘争と革命の理論の特徴点 1.マルクスとエンゲルスは、社会主義が空想家の思いつきではなく、資本主義社会の発展の必然の結果であることを初めて明らかにしました。 資本主義の発展そのものが、社会主義を実現する物理的条件、即ち大規模生産を作り出します。しかし資本主義的生産様式を社会主義的生産様式に変えるためには、生産手段をブルジョアジーの私的所有から、全社会の所有に移すことが必要です。
2.しかし、支配している搾取階級は、自発的に自分の財産や、特権や権力を放棄しません。そこで搾取者の支配を倒して、搾取のない新しい社会を作りだすことの出来る、新しい社会的勢力が必要です。その社会的勢力がプロレタリアートでした。 マルクスとエンゲルスは、資本主義の墓掘り人としての、また新しい社会主義社会の創造者としてのプロレタリアートの歴史的使命を明らかにしたのです。
3.マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートが資本主義の、もっとも革命的な、最も先進的な階級であることを教えました。資本主義そのものが、プロレタリアート…生産手段を奪われ、生きるためには自分の労働力を売らなければならない人々…を生み出します。プロレタリアートは、資本主義の発展とともに成長し、発展します。
プロレタリアートが革命によって失うものは鉄鎖だけです。プロレタリアートは社会全体の根本的改造、私的所有、貧困と抑圧を完全になくすことに関心を持っています。大工場における共同労働は、労働者大衆を結びつけ、訓練し、彼らの団結を固め、彼らに共同行動を教えます。プロレタリアートは、自分以外の勤労大衆全体をも、あらゆる搾取から解放しなければ、自分を解放することができません。だから、プロレタリアートは、全ての抑圧されている勤労大衆の革命的指導者なのです。
4.マルクスとエンゲルスは、資本主義社会の発展と、その中での階級闘争とが、不可避的に資本主義の壊滅とプロレタリアートの勝利をもたらすことを証明したのです。 また資本主義制度を、社会主義制度に変えるためには、プロレタリアートは、全ての抑圧されている人々の先頭に立って社会主義革命を成し遂げ、搾取者の抵抗を抑え、新しい無階級の共産主義社会を建設するために、自らの「政治支配」を打ち立てなければならないことを教えました。
5.マルクスとエンゲルスは、労働者階級の力が、その組織性と自覚に、自分の目標と任務、闘争の方法と手段をはっきり理解することにある教え、勝利するためには、労働運動は、科学的社会主義の理論という武器を持たねばならないことを示しました。
社会主義と労働運動の結合を実現するのは、労働者階級の党…プロレタリアート全体の利益を代表し、労働運動にその政治的任務と終局目標を示す党です。資本主義を打倒し、共産主義を建設するためには、プロレタリアートは、独自の党を建設せねばならぬことを教え、この党を「共産党」と名付けました。
6.マルクスとエンゲルスは、全世界の労働者階級が、その経済的地位、階級敵、解放の条件などの共通性に基づいて連帯し、団結するという…プロレタリア国際主義の原則を、「万国の労働者団結せよ!」のスローガンに定式化させました。
7.マルクスとエンゲルスにとっては、空想的社会主義者と違い、共産主義は幻想でも、夢想でもなく、現在の状況を変革しようとする、現実の運動…この運動の諸条件は、現在目の前にある前提条件によって決まる…によって達成されるところの、歴史的に条件づけられた目標でした。
社会主義と共産主義 マルクスは、社会主義と共産主義とは、一つの共産主義的な社会構成体の二つの段階であると言い、それぞれの基本的な様相を特徴づけています。 マルクスは、搾取階級のいない社会体制としての社会主義を、共産主義社会の「第1段階」あるいは「低い段階」と呼びました。 --「ここで問題にしているのは、それ自身の土台の上に発展した共産主義社会ではなくて、反対に、今ようやく資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会である。従って、この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも、道徳的にも、精神的にも、その共産主義社会が生まれ出てきた母胎である旧社会の母斑を、まだ帯びている。」
このあと、社会主義段階では…「各人は能力に応じて働き、労働量に応じて分配を受ける…」 共産主義社会では…「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」 と言う、余りにも有名なフレーズに至る訳ですが、この部分は長文になりすぎたので、フレーズだけで省略いたします。
(参考文献/科学的社会主義/岡本博之監修/新日本出版)
2008.02.07(Thu)09:13 |
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2008/02/06 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
ちりとてちんも、草若師匠が倒れて、いよいよ新場面へ〜若狭ちゃんの創作落語が楽しみな展開となってまいりました。私たちも、せめて陽気に人生の道中を送りたいものです。
科学的社会主義の3つの源泉と3つの構成部分 マルクスとエンゲルスが、科学的社会主義を創始するに当たって、継承した思想的な潮流の中で、もっとも主要なものは、当時先進国の地位を占めていた3つの国で発展した3つの学説でした。
【2】イギリス古典派経済学 ---マルクス主義経済学 マルクスは「市民社会の解剖学は、経済学の内に求められなければならない」という結論に達しており「社会の経済法則の認識から初めて、社会主義の客観的歴史的必然性」が導き出されると確信していました。そこから科学的社会主義の理論的源泉としてのイギリスの古典派経済学に注目しました。
ブルジョア古典派経済学の始祖であるウィリアム・ぺティは、諸々の経済現象の内的関連を明らかにしようと努め、商品の価値を、それに含まれる労働の量によって規定するという「労働価値論」を、打ち立てました。この学派は、アダム・スミスとディヴィド・リカアドウにおいて、最高頂に達しました。
アダム・スミス アダム・スミスは「国富論」において、初めて経済学の理論体系を作り上げ、「労働価値説」を発展させました。また彼は、初めてブルジョア社会の「階級構成」を描き出し、その3つの基本階級…賃労働者・資本家・地主を区別し、労働者を他の2階級と対立させました。
リカアドウ 18世紀末から19世紀初めにかけて、イギリスは、マニュファクチャーから大工場へ。即ち、機械の使用へと移行しました。この条件に合わせ、リカアドウは「経済学と課税の原理」において、古典派経済学を、より高い段階に高めました。 彼は、「労働価値説」から、さらに経済学のあらゆるカテゴリー…資本・賃金・利潤および地代を導き出そうとしました。
リカアドウは、賃金と利潤を、労働によって作り出された価値の、2つの構成部分と見なし、「賃金の低下は利潤を上昇させ、賃金の上昇は利潤を低下させる」という結論に達しました。リカアドウは、事実上、プロレタリアートとブルジョアジーの利害の対立を明らかにしたのです。
しかし、スミスもリカアドウも、資本主義が歴史的に過渡的な性格を持つものであることを理解せず、階級利害の対立を伴う資本主義を、自然的な永遠の制度と見なし、3大階級の利害の対立を、常に社会を支配する永久的法則と考えました。
マルクス主義経済学の登場 マルクスとエンゲルスは、弁証法的唯物論と史的唯物論を経済関係の研究に適用することによって、経済学を根本的に変革しました。 彼らは、スミス、リカアドウを受け継ぎ、そのブルジョア的限界を克服し、資本主義の矛盾を根底から暴露する、プロレタリア経済学を作り出したのです。 マルクスは、彼が生涯の事業とと呼んだ主著「資本論」第1部序言で、「近代社会の経済的運動法則を明らかにすることは、この著作の最終目的である」と書き、「私の立場は、経済的社会構成体の発展の一つの自然史的過程と考える」ことにあると述べています。
マルクスは、「労働価値説」を、彼の「剰余価値説」(注)の土台としました。マルクスは資本主義的蓄積の一般法則を発見し、資本主義の発展に連れて、ブルジョア社会の一方の極には、巨大な富と奢侈が集中し、他方の極には貧困、抑圧、労働苦が増大する結果、一方ではプロレタリアートと全勤労大衆、他方ではブルジョアジーとの間の、階級対立と階級闘争が激しくなることを示しました。(マルクスはやはり天才ですね。この分析は、まさに今の日本にぴったりではありませんか。これが約150年以上も前に書かれたものとは、とても思えません…) (注)剰余価値とは…資本家は労働者に「労働力の価値」(賃金)を支払うが、労働者が1労働日中に作り出す新しい価値は、労働力の価値と、これを超過する部分とを含む。この超過した部分を剰余価値と言う。いわゆる搾取である。
また、マルクスは、資本主義的単純再生産と拡大再生産について分析し、過剰生産恐慌を不可避的にもたらす資本主義の深刻な矛盾を分析した。
マルクスとエンゲルスの経済学説は、資本主義の崩壊は不可避であることと、プロレタリアートの権力を樹立し、社会主義を建設する時代を拓く、社会主義革命の勝利が不可避であることを論証しています。
次回は、第3の構成、「革命の理論」の分野に入ります。 (参考文献/科学的社会主義/岡本博之監修/新日本出版)
2008.02.06(Wed)08:47 |
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2008/02/04 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
シリーズとしてアップして来た「戦後民主主義と政治のスパイラル」は、当初の予定では、後数本続ける予定であったが、気分が乗らなくなったので、最後に予定していた「科学的社会主義とは」を掲載して、このシリーズを終了したいと思う。
そもそも「科学的社会主義とは」…「空想的社会主義」に対比する言葉として生まれた。学説の創始者は言わずと知れた、マルクスとエンゲルスである。簡単に言えば、マルクス・エンゲルス以前の社会主義は「ユートピア(空想)的」と呼ばれていた。何故ならば、理想を語ることはできたが、社会主義実現に至る「道筋」を誰も語る事が出来なかったからである。マルクスとエンゲルスは、その社会主義実現に至る「道筋」を、初めて理論的に明らかにした。それによって「空想的社会主義」は、「科学的社会主義」と呼ばれるようになったのである。
「科学的社会主義」の理論は、主に3つの源泉(ドイツ古典哲学・イギリス古典派経済学・フランス社会主義)と3つの構成部分(弁証法的唯物論と史的唯物論・マルクス主義経済学・科学的な階級闘争と革命の理論)から成り立っている。以下に、その補足を簡単に展開してみよう。
社会主義や共産主義の思想や運動は、結構古い歴史を持っている。資本主義の生産様式が形成された16世紀に早くも、資本主義的生産様式が、勤労人民にもたらす苦悩や災厄を解決するものとして、イギリスのトマス・モーアの「ユートピア」、イタリアのトマソ・カンパネラの「太陽の都」などの書物の中に共産主義的な理想社会が描き出されました。日本でも、18世紀半ばに現れた安藤昌益が働かない者が、働く者の生産物を奪って衣食している封建社会の現実と、それを支える思想を痛烈に批判し、全ての者が土地を共有し、自ら耕作して衣食住を自給し、一人の搾取者も支配者もいない、平等・無差別の平和な理想社会を説きました。
これらの社会主義思想は、鋭い批判と未来社会への天才的予見を行ったものだが、しかし、それを実現する道筋を発見できず、理想社会の空想計画を立てるにとどまりました。その道筋を発見したのが、マルクス、エンゲルスであり、従って、マルクス、エンゲルス以前の社会主義思想を、包括的に「空想的社会主義」と呼び、マルクス、エンゲルスは19世紀半ばに、社会主義を「空想から科学へ」転化させた…と言われています。
「空想から科学へ」の背景となった出来事 19世紀には、世界史的意義を持つ「2つの重大な出来事」が起こりました。 1つは、18世紀の後半からイギリスで始まり、19世紀前半に、フランス、ドイツ、その他西ヨーロッパ諸国、アメリカを巻き込んだ「産業革命」。 2つは、1789年に勃発した「フランス大革命」と、その諸国への巨大な思想的、政治的影響によって彩られています。 ちなみに「産業革命」という用語は、エンゲルスが最初に使ったと言われています。
本題に入る前に、一つふれておきたいのは、「科学的社会主義」は「人間知識の総和」であるという特性を持つ…と言うことです。 マルクスやエンゲルスは、以前の哲学、経済学、社会主義、歴史学を広範に研究し、統計学、簿記、数学、物理学、化学、工学、自然科学、生物学、解剖学、文化、芸術の分野まで、あらゆる知識を取り入れたと言われています。また各国言語にも精通し、「エンゲルスは20ヶ国語でどもる」…などと、彼の「どもりグセ」を比喩されたようです。
科学的社会主義の3つの源泉と3つの構成部分 マルクスとエンゲルスが、科学的社会主義を創始するに当たって、継承した思想的な潮流の中で、もっとも主要なものは、当時先進国の地位を占めていた3つの国で発展した3つの学説でした。
【1】ドイツ古典哲学 ---弁証法的唯物論と史的唯物論 マルクスとエンゲルスは、まず、ドイツ古典哲学に注目しました。18世紀末から19世紀初めにかけて開花した一連の観念論哲学であり、カントに始まり、フィヒテ・シュリングを経てヘーゲル哲学において頂点に達し、これに続くフォイエルバッハのヘーゲル批判を伴う唯物論をもって終結するものです。
ドイツ古典哲学の最大の代表者ヘーゲル ドイツ古典哲学の最大の代表者ヘーゲルの歴史的功績は、現実の研究に対する弁証法的方法を体系的に仕上げたことです。 彼は、自然、精神、歴史の全世界を一つの過程としてとらえ不断の運動、変化、発展の状態にあると認識し(これを弁証法と言う)運動の内的関連を明らかにしようと努めました。 しかし、ヘーゲルは絶対者である神を認め、「あらゆるものは神の創造物である」という観念論の立場に立っていたため、ヘーゲル哲学は「革命的側面である方法…弁証法と、保守的な側面である…観念論」とが、ヘーゲル哲学全体を貫く、鋭い矛盾に陥っしまいました。エンゲルスは、解決不可能な矛盾に悩むヘーゲル体系を「巨大な流産」と評しました。
ドイツ古典哲学最後の代表者フォイエルバッハ ドイツ古典哲学最後の代表者は、フォイエルバッハです。彼の歴史的功績は、ヘーゲルや、その先行者たちの観念論と決定的に闘い、17世紀と18世紀の唯物論と無神論を復活させ、発展させたことです。
彼は、ヘーゲル哲学を含む一切の観念論は、世界についての宗教的、空想的観念論を正当化するものであり、形を変えた「神学」にすぎないと批判しました。彼は「自然は人間の意識によって構成される」という、カント学説や、自然は「絶対的理念の存在である」という、ヘーゲル学説を退けて、「自然は、それ自体で存在し、その説明はただそれ自体からのみ可能である」という唯物論の命題を擁護しました。
また彼は、「思考と存在との真の関係は、ただ次のようでしかない。存在は主語であり、思考は述語である。思考は存在から出てくるが、存在は思考からは出てこない。」と主張しています。
哲学史の上での、フォイエルバッハの功績は、彼が一貫して「世界の認識は可能だ」という思想を守り、不可知論(客観的な実在については、人間は何一つ確実なことは知りえない…という考え)や神秘主義に反対したことです。 また彼は、宗教批判において、目覚ましい役割を果たし、「神々を作ったのは、人間自らであり、神とは人間の欲求や願望の理想化によって作り出された存在にすぎない」と、小気味よいほどズバリと神の本質を暴いています。
このフォイエルバッハの最大の欠陥は、ヘーゲルの弁証法までも退けてしまったことです。エンゲルスは、これについて「フォイエルバッハは、水と一緒に赤ん坊を浴槽から流してしまった」と例えています。
マルクスは、「これまでの全ての唯物論…フォイエルバッハのそれを含めての主要な欠陥は対象、現実、感性が、ただ客体の、あるいは観照の形式のもとでのみ捉えられていて、人間的な感性活動、実践として主体的に捉えられていないことである」と述べています。
弁証法的唯物論と史的唯物論の誕生 マルクスとエンゲルスは、フォイエルバッハの唯物論から、その観念論的、宗教的、倫理的な外皮を捨て去り、唯物論の哲学的理論として、弁証法的方法と結合させ、その考え方の対象を社会認識にまで広げることで、唯物論哲学を形而上学(事物を不変で静止的だとして、個々ばらばらに切り離してとらえる思考方法)的限界から解放しました。 こうして、科学的社会主義の骨格となる、「弁証法的唯物論」と、それを社会研究の分野に広げた「史的唯物論」が誕生したのです。
マルクスとエンゲルスが、この理論を創始した基礎として、次の3つの偉大な発見がありました。 1つは、「エネルギー転化の法則」です。これまで神秘とされてきた部分に科学のメスが入り、自然の一切の運動の統一性が、自然科学として論理づけされ、神の領域から解放されたのです。 2つは、「生物の細胞の発見」です。生物の発生、成長とその構造の秘密が明らかとなり、神秘と不可思議のベールが、また1枚はがされました。 3つは、「ダーウィンの進化論」です。これにより、最下等の生物の原形質から、思考する人間の脳に至るまでの、発展段階を追究することが可能となりました。
哲学の対象の変化 マルクス以前の哲学者たちは、哲学は、「科学の中の科学」だとか、「科学の王者」であるとか主張して、一切の科学を包む、包括的な体系を作ろうとしました。そのことが、自然科学や社会科学の発展を阻害してきたのです。 マルクス主義哲学は、他の科学の上に立つ科学ではなく、科学研究の武器であり、自然と社会に関するすべての科学を貫き、諸科学を正しい世界観…人間がその中で生活している世界、即ち、自然と社会を全体として、どのように見るかという見解…まとまった見解と正しい認識法をもって武装し、これらの科学の発展の成果を一般化して、自らの内容を豊かにするものへと変えました。
マルクスは、「哲学者たちは、世界を様々に解釈したにすぎない。大切なことは、しかし、それを変革することである」と述べています。 マルクスとエンゲルスは、人間の革命的、実践的活動を哲学のあらゆる問題の中心に置くことによって、現在の社会制度を根本的に変革する唯一の手段は、革命闘争であるとの理論をもって、プロレタリアートを武装したのです。 こうして、マルクス主義哲学=科学的社会主義は、世界のプロレタリアートと勤労人民の闘いの哲学となったのです。
次回は、第2の源泉、「経済学」の分野に入ります。個々に難解な用語も出てきますが、解らない部分は飛ばしもらって結構です。全体として理解していただければ結構かと思います。 (参考文献/科学的社会主義/岡本博之監修/新日本出版)
2008.02.04(Mon)09:39 |
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2008/01/20 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
久しぶりにNHKの土曜ドラマ、「フルスイング」を見た。このドラマは実在の人物をモデルにしたフィクションだそうです。内容は、また「熱血教師もの」かと思い、見てましたが、初回の「大きな耳・小さな口・やさしい目」は、政治ブロガーにとっては、耳の痛いドラマだったのでないでしょうか。。。謙虚にやさしく…と思っていても…つい、気がつくと、「大きな口・小さな耳・吊り上がった目」になっているのが現実ではないでしょうか?(少なくとも私の場合は…反省!…)。「ちりとてちん」と、もうひとつ楽しみなドラマを見つけました。(笑)
戦後の大きな3つの変化
【3】半封建的な地主制度の解体と、一連の民主化措置 さて、シリーズ−2、−3で次の2つの問題を取り上げてきた。 1.日本が独立国から、事実上の従属国となった 2.天皇制の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治へ 今日は、戦後の大きな変化の3つ目として、表記の問題を取り上げてみたい。
農地改革の意義 戦前、耕地全体の約46%…277万町歩(1町歩≒1ヘクタール)が小作地で、直接、農業に関係のない地主が、高い小作料を取り、零細小作農に寄生し、大きな実権を持っていました。テレビドラマ「おしん」に描かれたように、この仕組みが、日本社会の封建的な性格の基盤となり、日本の貧困の原因ともなっていました。
農地改革は、寄生的な地主制度を解体し、約200万町歩の耕地を、寄生地主から取り上げ、小作農に売り渡しました。これから、自営農家が農業の大きな担い手となりました。 この変化は、農業分野だけでなく、日本社会と経済の全体に大きな影響を及ぼし、労働力の確保と市場の拡大…2つの面から、大企業を中心とした日本経済の高度成長に道を開く役割を果たしました。
労働組合運動 1945年10月…占領軍の「5大改革指令」の一つで、労働組合の結成が奨励されました。これは、経済荒廃の中、生活危機のどん底にあえいでいた労働者の組織化は、共産党員の政治犯釈放も関連し、急速な広がりを示しました。 1946年3月…労働組合法が施行されましたが、その前月時点で、組織された労働者の数は、150万人を超え、4月には300万人を超えるという勢いで、民主主義運動の、事実上の主力部隊となり、その高まりが1947年の「2・1ゼネスト」に繋がることに。
しかし、142:戦後民主主義と政治のスパイラル−1でも触れているように、占領軍の「2・1ゼネスト」中止命令以後、米国は、労働組合運動の弱体化工作の先頭に立つようになり、共産党を除く他の政党は、米国の方針転換に手を貸すようになり、それが半世紀以上たった今日でも続いています。 対米従属と真っ向から闘える政党は…共産党しかないと言われるのは、そんな歴史があるからなのです。
上からの民主主義の弱点 1947年4月…労働基準法が公布されましたが、8時間労働制は建前だけで、工場の現場では。12時間労働の実態は、ほとんど変わらなかった。。。これは、一連の改革が「上からの改革」であったこと、戦後の労働運動が、絶対者への屈服、政党への従属などの、弱点を持っていたためだと、私は思います。
他方、「上からの改革」でなく、労働者自身が自分たちの闘いで勝ち取った国では、「改革が建前だけ」という事態は起こりません。 例えば、フランスでは、1930年代の「人民戦線」の時代に、労働者がゼネストを含む全国的な大闘争で勝ち取ったものです。
労働者自らの闘いで勝ち取った「8時間労働制」に、建前はありません。決まったことは、そのまま実際となるのです。例えば、有給休暇にしてもそうです。夏休みを4週間、冬休みを2週間まとめてとるのは、フランスでは生活習慣として定着しています。日本のように、病気欠勤の代用に小刻みに使ったり、休暇を使い残すなど、考えられないことなのです。
今こそ、「国民主権」の意識に目覚めよ! これまで、シリーズとして「戦後民主主義と歴史のスパイラル」について、述べてきましたが、戦前、戦後の歴史と、現在の相関を理解していただけたでしょうか。今、現実社会で起きていることは、すでに私たちが過去にも経験している事が多いということを、是非、理解してほしいと思います・・・それが解れば、私たちが、政治にどう対応すれば、どうなるのか・・・およその結果は過去の経験に照らして理解できると思います。
これ以上、私たちの未来を、外国や、一部政治家、大企業にゆだねてはなりません。この国の主権者は、私たち国民なのです。今こそ「国民主権の発動」で、対米従属から抜け出し、平和で民主的な日本社会を実現したいものです。
これ以上、アメリカ言いなりの政治は、ごめんだ! 一部大金持ちの特権を廃止し、社会格差をなくせ! 規制緩和反対!、官で出来ることは官でやれ!
(参考文献=新日本共産党綱領を読む、不破哲三著)
★「共産党」を含めた確かな「野党共闘」の実現を! ★とりあえず「共産党」の議席を30〜40に! ★小選挙区制反対!民意の反映される「公選法」の実現を! ★世界から「核兵器と原発」を撤廃させたいね! ★憲法九条を守り、世界へ拡げたいね! ★沖縄から、日本から「米軍基地」をなくしたい!
2008.01.20(Sun)07:43 |
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2008/01/16 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
いつも、当ブログをご訪問下さる読者の皆さんに、感謝申し上げます。また、ブログランキングのボタンを押して下さった方にも、感謝!…です。
ブログランキングと言えば、最近、どのブログを見ても、文頭や中ほど、あるいは、文末で「ボタンを押して下さい」…と表記されているブロガーの方が多いようですね。 確かに、ランキングは気になるし、下位より上位の方が気分はいいし、訪問者も増えるような気がします。しかし、本来ブログは、人気投票が目的ではなく、内容の方が問題だと思うのですが、いかがなものでしょうか?…お前が言うな…って突っ込まれそうだが、ちょっと「アクセス重視」「ランキング重視」の傾向が、強まっている感じがしましたので一言。
と言いながら、今日みたいな内容の記事になると、アクセスが5割ほど落ちるんだよな…なんて言いながら、また、小難しい話をしたいと思っている今日この頃です。(笑)
戦後の大きな3つの変化 【2】天皇制の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治へ
ポツダム宣言を日本政府が受け入れたことで、日本の戦後が始まった訳ですが、新憲法の制定に至る経過に触れておきたい。「ポツダム宣言」には、 第12項で「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ…」と表現されているだけで、「主権」の所在を明示していません。
憲法制定…各党の態度は、以下の通りです。()は管理者。 日本共産党 1.主権は人民にあり 2.民主議会は主権を管理する
日本自由党 1.統治権の主体は日本国家なり 2.天皇は統治権の総覧者(一手に掌握する人)なり 3.天皇は万世一系なり
日本進歩党 1.天皇は臣民の輔翼(補佐)により憲法の条規に従い統治権を行う 立法は帝国議会の協賛により、行政は内閣の輔弼(天皇の政治を補佐)を要し、司法は裁判所にこれを託す
日本社会党 1.主権は国家(天皇を含む国民協同体)にあり 2.統治権は之を分割し、主要部を議会に、一部を天皇に帰属せしめ、天皇制を存置す
憲法制定の経過 1946/02/08幣原内閣、政府案(上記・日本自由党案)を占領軍総司令部に説明 1946/02/13占領軍総司令部案が日本政府に渡される ※総司令部案には、「人民の意志の主権を宣言し」とあったが、政府はこれを、「国民の総意が至高なものであることを宣言し」と書き換え、総司令部も、これを認めてしまいました。
1946/06〜10憲法制定議会に「草案」提出 ※これには、2つの方面から異議が提起された。1つは日本共産党で、「修正案」を提出し、「主権在民」の原則を明記するよう要求した。 もう1つは極東委員会から提起された。極東委員会は7月2日、「日本の新憲法についての基本原則」を決定。その第1項に「日本国憲法は、主権が国民に存することを認めなければならない」とうたいました。 これらより、総司令部と政府の修正案の検討がなされ、「主権在民」を明記した現在の憲法が1946年8月の議会で採択されました。
この憲法制定の経過を見れば、憲法が「アメリカの押し付け」と言う言葉に解消できないものであることが理解できるでしょう。 また現在、多くの国民が、護憲政党と言えば「社民党」と思っている方が多いと思いますが、本当に「主権在民」を主張し続けたのは「共産党」でした。このことも理解してもらいたいところです。
米国政府・軍部の方針転換 当時の世界の「平和を求める声」が大きな力として働き、日本の「平和憲法」が制定された訳ですが、142:戦後民主主義と政治のスパイラル−1で述べたように、突然アメリカ占領軍の方針が転換されました。背景には、米ソ対決が決定的になったことがあります。
「日本国憲法」制定から1年もたたないのに…米国は、新しい世界戦略に従い、日本の再軍備を進める方針に転換し、1948年2月、当時のフォレスタル国防長官が「日本とドイツの再軍備」を検討せよと、ロイヤル陸軍長官に指示したのが、事の始まりと言われています。
同年5月に提出された「ロイヤル覚書」は、1949年2月、統合参謀本部で決定され、米国軍首脳部の公式方針として確定しました。 これに基づき、「警察予備隊」が作られ、4年後、「自衛隊」に再編・強化されたことは−1で述べた通りです。 重大なのは、「ロイヤル覚書」11項に「この軍隊は、米国によって組織され、初期の訓練を受け、厳格に監督されなければならない…」とあり、さらに12項には「日本の新憲法の改定(現憲法のことではない)を達成するという問題が探求されるべき…」とあることです。
この「ロイヤル覚書」と「日米安保条約」を、よく読めば…自衛隊は日本国民を守るために存在するのではないということが、理解できるのではないでしょうか。 日本の「改憲」論者の、強力なバックが誰であるか…明明白白ではありませんか。大きな声で反論しましょう。「改憲こそ、アメリカの押し付けだ」…と!
次回は、【3】半封建的な地主制度の解体と、一連の民主化措置…に挑戦します。このシリーズ当分続きます。お付き合いのほどよろしく。(笑)
(参考文献=新日本共産党綱領を読む、不破哲三著)
★「共産党」を含めた確かな「野党共闘」の実現を! ★とりあえず「共産党」の議席を30〜40に! ★小選挙区制反対!民意の反映される「公選法」の実現を! ★世界から「核兵器と原発」を撤廃させたいね! ★憲法九条を守り、世界へ拡げたいね! ★沖縄から、日本から「米軍基地」をなくしたい!
2008.01.16(Wed)07:31 |
戦後民主主義
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2008/01/14 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
戦後の大きな3つの変化
共産党綱領は、戦後の大きな変化として、以下3点の変化を指摘しています。 1.日本が独立国から、事実上の従属国となった 2.天皇制の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治へ 3.半封建的な地主制度の解体と、一連の民主化措置 以下に一つずつ検証してみましょう。
【1】日本が独立国から、事実上の従属国となった 戦後、日本と戦争協定を結んでいたイタリアやドイツも、連合国によって占領されました。しかし、戦後62年もたって、未だに従属国となっているのは日本だけです。 ドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連に分割統治され、ベルリンの壁が築かれるなど、日本以上に複雑でしたが、現在は完全に独立し、独自外交を展開しています。イタリアも独立しました。
何故、日本だけが従属国となっているのか? 根本にあるものは、アメリカが絶対権力をもった状態で、前号で述べたように、日本をアメリカの支配下に置き、「反共の防壁」&最前線基地にする企みをもって、日本を独立後も、事実上の従属国とするため、特別の条約(サンフランシスコ講和条約)を押し付けたことです。連合国でも中国は召集されず、ソ連及び数カ国が調印を拒否しました。
条約の内容には、北方領土の放棄(第2条)や、沖縄や小笠原島を米国の、信託統治制度の下に置くこと(第3条)、日本に外国軍の駐留を認める(第6条)ことなどが含まれ、なおかつ、同日に、日米安保条約が調印されました。日米安保条約に至っては、調印まで吉田首相以外には、誰も内容を知らなかったという、ひどいものでした。
この条約により、米国は占領中に作り上げた米軍基地を、自由に利用できるようになったのです。また、この条約は、提供する地域の取り決めがないため、「全土基地方式」と呼ばれています。
この2つの条約があるため、日本だけが従属国となり続けているのです。
条約締結に至るひどいやり方 1.まず、米国は、国民の自由を奪う、事実上の戒厳令下に置いた上で強行しました・・・共産党幹部の公職追放(党活動の停止と、国会議席からの追放)と、条約反対、平和と名のつく集会はすべて禁止。
2.この条約をめぐる交渉は、完全な秘密交渉でした・・・講和条約の文章が発表されたのは、講和会議の2か月前、安保条約が公表されたのは、調印後でした。
3.米軍の特権を保障している「日米地位協定」・・・締結当時は「日米行政協定」であり、内容は、今の協定よりひどく、米軍の特権で満たされた協定でした・・・調印に当たった「吉田内閣」は、米国と話し合いの上、日本国民の目には、ひた隠しにして締結したのが、この条約です。
4.条約を最終的に承認する国会も「言論の自由」が奪われていました・・・1950年、34人の共産党議員が追放命令により議席を奪われ、51年には、中央委員でなかったため、追放を免れていた川上貫一(共産党)は、ただ一人、敢然と、米国の基地政策を批判しました・・・ために「国会の品位?を汚した」として、議員を除名されました。その国会が、2つの条約を可決・批准したのです。 このような暴挙に、社会党を始め、他党の議員は誰もものを言えなかった・・・恥ずかしい限りではないか。
そして、現在 こうして、米軍による「全面占領」が、条約による「従属体制」に、なし崩し的に引き継がれ、現在に至っている訳ですが、現在、野党である民主党までも、「日米安保」抜きの日本など、夢にも考えられない・・・と言う現状は、実に嘆かわしいものであり、日本国民が国民として誇りを持ちえない、大きな原因であると思います。
もう一つ、大切なことは、この2つの条約を廃棄しない限り、真の日本の独立はあり得ないし、沖縄からの、また日本全土からの米軍の撤退と、北方領土の返還も実現できない…と言うことです。
自民党による「北方領土」返還運動に至っては、どこまで厚顔無恥なのか、と言う怒りを禁じえません・・・自分の手で、放棄しておいて、その条約を必死で守りながら、「北方領土」返せ…などと、どの面下げて言えるのであろうか。
【2】天皇制の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治へ 【3】半封建的な地主制度の解体と、一連の民主化措置
については、次回にいたします。(25年間、政治と縁を切っていたので、まとめるの。結構疲れるんですよ)(笑)
(参考文献=新日本共産党綱領を読む、不破哲三著)
★「共産党」を含めた確かな「野党共闘」の実現を! ★とりあえず「共産党」の議席を30〜40に! ★小選挙区制反対!民意の反映される「公選法」の実現を! ★世界から「核兵器と原発」を撤廃させたいね! ★憲法九条を守り、世界へ拡げたいね! ★沖縄から、日本から「米軍基地」をなくしたい!
2008.01.14(Mon)10:07 |
戦後民主主義
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2008/01/12 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
私が1/10に掲載した共産党の「党名変更論」他について、色んなコメントが寄せられている。ぴんきー系統は、議論の対象とならないので、全て削除してますが…。
その中で、私が困っているのは、昨年「冗談から駒」共闘を組んだ「BLOG BLUES」さんのコメントだ。私は、主張は別として BLUES さんの記事の書き方が大好きだ。リズム感とユーモアのある、そして、ちらりと光るインテリジェンス…ちょっとほめすぎかな?…と言うのは冗談で、本当にそう思っています。
しかし、BLUESさんの主張の中で「日本共産党を、日本共生党に」…と言う主張だけは、冗談としては結構だが、本気で迫られると、ちょっとなあ…と悩んでしまう。
BLUESさんの主張は、要約すれば、「党名を変更して、北欧的な社会主義的資本主義をめざせ」…と言うことなのだと思う。
一見、「いいんじゃない」と思われる方も多いだろう。しかし、なのである。それでは共産党の85年の歴史、多大な犠牲と困難を乗り越えてきた共産党の労苦と誇りが…すべて吹き飛んでしまう…と私は思う。 さらに、もっと怖いのは、あり得ないことだと思うのだが、もしも、共産党が、そのように方針転換したとしたら、現在の方向を絶対に譲れない人たちは多数存在するだろうし、確実に党は分裂するだろう。
と言うことは、BLUESさんの主張は、共産党を分裂させることが目的なのか…と思われても仕方がないのである。さらに、それを拒否する共産党は、なんて物分かりの悪い政党だ…と大衆に思わせる効果がある。BLUESさんの本音はどこにあるのか…共産党を応援したいのか、それとも、批難したいのか…もうひとつ、理解できないのである。もし彼が反共主義者であるとするなら、残念だが袂を分かつしかない。
私は、党名変更せずとも、北欧型、社会主義的資本主義の実現は可能だと思うし、逆に、北欧型、社会主義的資本主義を、人類の歴史の最終到達点だと言うのなら論外であろう。人類の歴史を長い目で見た場合、確実に歴史は転換しているし、前進していることが解る。共産党の「共産主義社会」に至る展望は、人類の英知に満ちている…と私は思う。冒頭に掲げている「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ …である。
歴史を短いスタンスで見ると、人類は何と愚かで救いようがない…と思えるし、社会変革を本気で求めている人ほど、衆愚の場面ばかりが目に見え、絶望感を抱きやすい…私も、かっては、そうであった。私たちの主張を理解できない国民は、みんなバカばっかりだ。勝手にしやがれ…と絶望感に囚われたこともあった。
しかし、どうだろう…人類の歴史は、いかに困難な道、不可能と絶望感にとらわれようと、「変わるべき時」には、地球上すべての地域で、同じような経過を経て、「確実に変わってきた」のである。
人類最初の社会は、「原始共産制社会」であった。人は皆、平等でお互いに助け合わなければ、食糧も手に入らなかったし、外敵から身を守ることも出来なかった。結婚も自由で、乱婚が通常形態であったろう。従って、生まれた子供の父親が誰か、特定するのは困難で、ただ母親が誰か…と言うのは明確であった。当然の帰結として、一族は母親を中心として暮らしを営んだ…「原始女性は太陽であった」と言う言葉は、このことを示すのであろう。
ところが、水稲栽培や家畜栽培がはじまり、食糧や資産が蓄えられるようになると、族長等、一部の人間が権力を有するようになり、私有財産を所有するようになった。すると、人間と言うものは、悲しいもので、権力者は(力の強い男が多かった)、自分の息子に、権力と私有財産を譲りたいと思うようになり、女性を、他の男性から隔離し、確実に自分の息子…と確信できる後継者を欲するようになった。(そこから、奥さんと言う言葉が生まれ、社会は男中心の社会へと変貌する)。
食料の保存が可能となると、余分な力は、外部に向けられ、他部族との戦いが始まることに。勝った部族は、他部族を奴隷として働かせ、現在も問題となっている「搾取」が始まることに。いわゆる「奴隷制社会」の到来だ。
部族同士の戦いは、だんだん規模も大きくなり、大きな領地を確保していった。各地で領主が並び立つ社会…いわゆる「封建制社会」の誕生である。
あとは述べなくても理解できるでしょう。「大政奉還」(封建制社会の崩壊)による、「資本主義社会」の登場と相成るわけだ。
ただ、例外として、資本主義社会を経験せずに、一気に「社会主義社会」に突入してしまった国がいくつか存在する。それが、ソ連であり、中国であり、その他の社会主義諸国であった。それらの国は、資本主義社会を経験していないことから、民主主義を軽視し、失敗を招いてしまった。資本主義社会の唯一の美点は、民主主義の醸成…であろうと、私は思うのである。生産手段の飛躍的発展もあるが、その功罪を考えると、果たして良かったのかどうか…疑問に思うところだ。
封建制社会から、直接、社会主義社会(共産主義と呼んでいるが、これらの国の制度、政党は、共産主義とは明らかに違うと、私は思う。)に入った国々と、資本主義社会で自由と民主主義を経験している日本の共産党の主張する「共産主義」とは、同列には論じられないし、明らかに違うことを、私は叫んでおきたい。
さて、ここまで、長い人類の歴史を、社会体制の変化を、超省略して述べたわけだが、資本主義が人類最後の到達点ではないことを、理解して頂ければ幸いである。 私が紹介した138:共産党よ、もっと熱く政治を語れ!の、品川さんの言葉…もう資本主義のシステムも行き着くところまで来ているという感じです。私なんかも日常使わない言葉ですが、「新しい社会主義」ということを考えざるをえなくなるんですね。…という言葉の意味を、皆さんに噛みしめ味わっていただきたい…と思います。
BLOG BLUESさん始め、全ての皆さんに、ご理解いただきたいと、再度このエントリーを掲載します。遠慮なくご意見下さい。真面目なご意見には、真面目にお答えします。そうでないご意見には、それなりに…(笑)
★「共産党」を含めた確かな「野党共闘」の実現を! ★とりあえず「共産党」の議席を30〜40に! ★小選挙区制反対!民意の反映される「公選法」の実現を! ★世界から「核兵器と原発」を撤廃させたいね! ★憲法九条を守り、世界へ拡げたいね! ★沖縄から、日本から「米軍基地」をなくしたい!
2008.01.12(Sat)10:59 |
戦後民主主義
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2008/01/11 「現実的であれ、しかし不可能を求めよ!」…チェ・ゲバラ
コメント欄が大変! 私のコメント欄が、何時になく大変になってきた。真面目なコメントには、真面目に答える…それが私のやり方だから、突っ込まれると大変…共産党の理論家はいないのかな?…こんな時は助け舟なり、応援に来いよ! などと、勝手なことをのたまいつつ、今日も元気に行ってみよう。。。
135:日本のデモクラシー運動と、戦後民主主義 (12/24)をお読み頂いて、戦前、戦後の政治とデモクラシーの歴史が少しは、ご理解いただけたかと思います。
前号で予告いたしましたように、今日から、戦後民主主義と歴史のスパイラルについて、何回かシリーズものとして、挑戦したいと思います。 アメリカの全面占領時代(1945-1952) 戦後7年間、日本を支配した占領軍は、天皇制をしのぐ「絶対権力」でした。占領軍の方針に反する行為は「占領軍政策違反」として、直ちに逮捕され「軍法会議」にかけられました。国民に最も恐れられたのが「MP」と呼ばれた「憲兵」でした。
また出版物は全て「事前検閲」で、手紙などの通信も全て、開封され「占領軍の検閲済」と印刷したテープで閉じられていました。
占領軍の目的は、日本の民主化の保障 ポツダム宣言を日本政府が受け入れたことで、日本の戦後が始まった。先に述べた「絶対権力」も、ポツダム宣言を実行のためには必要だったろう。そして、それも、日本の民主化を目的とする限り、反ファシズム連合国の共同の意思で支えられ、世界の民主的な国際世論とも合致していたのではなかろうか。
*ポツダム宣言は、占領軍の任務と性格についても、宣言の内容を実現するために、日本を連合国による占領の下に置くこと(第7項) *目的が達成されたら、直ちに日本から撤退すること(第12項)
を、明確に規定していました。ここに占領軍の本来の任務と目的がありました。
占領軍の民主化指令 最初の指令は1945/10/04 *政治犯人の即時釈放 *思想警察、その他いっさいの類似機関の廃止 *内務大臣及び警察関係の首脳部、その他日本全国の思想警察および弾圧活動に関係ある官吏の罷免 *市民の自由を弾圧する一切の法規の廃止及びその効力の即時停止 でした。これにより共産党幹部など、政治犯が解放されました。 婦人参政権や労働組合の結成、農民解放、国家と神道の分離等々、次々と出される指令は「ポツダム勅令」と呼ばれ、憲法制定後(1946/11公布、1947/5施行)は、「ポツダム政令」と読み替えられました。
こうして、次々と日本の民主化を推進していた「占領軍」の流れが、急に逆転することになる。
占領軍の流れの転換=一転抑圧者へ その1つは、1946年秋からの、労働組合の闘いが「吉田内閣打倒」の政治要求と結合して1947年2月の「ゼネ・スト」に発展したことが、占領軍を恐れさせ、マッカーサーによるゼネスト中止命令が出されました。 以後、占領軍による労働運動、民主運動に対する抑圧が続くことになった。
1948年には、無法にも、マッカーサー指令で「政令201号」を発し、公務員からスト権と団交権を奪ってしまいました…そして、この指令は、今なお公務員を縛り続けています。
もう一つは、国際情勢の変化…日本の敗戦で「国共合作」が崩壊し、再び中国で国民党軍と人民解放軍の戦いが始まり、1947年には、中国東北部の基盤を固めた人民解放軍の、急速な南下が始まりました。 国民党を軸にしたアジア政策を考えていたアメリカは、この事態にあわて、日本を「反共の防壁」として、アジア政策の中心に据える方向へ転換したのでした。
相次ぐ「占領軍」の反動的抑圧 1つは共産党に対する弾圧です。上記2つの、情勢を背景に、1949年「団体等規正令」と言う「ポツダム政令」が出されました。 これは、「秘密的、軍国主義的、極端な国家主義的、暴力主義的および反民主主義的団体」を規制の対象とするという名目で発せられましたが…政令を出した吉田茂が、「回想十年」の著作の中で、本来の目的は「政治団体たる共産党そのものを対象とするにあった」…と告白しています。
1950年6月、共産党中央委員会24人全員の公職追放および「アカハタ」関係者17人の公職追放…命じられ、事実上、共産党中央委員会の政治活動の中止が命じられました。いわゆる「レッドパージ」です。この「レッドパージ」は全国の労働組合や、言論・放送界など社会の各分野に広げられました。
2つは、1950年朝鮮戦争勃発下、労働組合の全国組織「全労連」の解散命令です。これには、「団体等規正令」が適用されました…この法律が、占領終了時に、悪名高き「破壊活動防止法」(破防法)と名前を変えます。
3つには、7月8日付のマッカーサー書簡で、7万5000人の「警察予備隊」をつくれ…と言う指令です。日本政府は、当初何を作ればいいのか分からなかった…と言う笑い話さへ残っているようです。これが4年後には「自衛隊」へと再編・強化され今日に至っているわけです。
以上、簡単に、アメリカの全面占領時代(1945-1952)について、歴史を辿ってきましたが、公務員法や破防法、「アカ攻撃」から自衛隊に至るまで、現在、アメリカによる「押し付け」が結構残されています。 不思議なことに、いつも「憲法はアメリカの押し付け」と叫ぶ、改憲論者たちが、上記の押し付けに関しては、まったく口にしないことです。押し付けがだめなら、「自衛隊も押し付けだ」…と叫んでみろよ。「公務員にスト権を返せ」と叫んでみろよ。「アカ攻撃は押し付けだからやめよう」と叫んでみろよ。。。(爆)
と言うことで、次回に続きます。
(参考文献=新日本共産党綱領を読む、不破哲三著)
★「共産党」を含めた確かな「野党共闘」の実現を! ★とりあえず「共産党」の議席を30〜40に! ★小選挙区制反対!民意の反映される「公選法」の実現を! ★世界から「核兵器と原発」を撤廃させたいね! ★憲法九条を守り、世界へ拡げたいね! ★沖縄から、日本から「米軍基地」をなくしたい!
2008.01.11(Fri)11:38 |
戦後民主主義
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simanto114は被爆二世として悩み、苦しんだ過去から「国民の 国民による 国民のための政治」をスタンスとして、平和を願うコメントを発信していきます。
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