★小選挙区制反対!民意の反映される「公選法」を! ★世界から「核兵器と原発」を撤廃させたいね! ★憲法九条を守り、世界へ拡げたいね! ★沖縄から、日本から「米軍基地」をなくしたい!

なぜナチスを阻止できなかったのか

−マルチン・ニーメラー牧師の告白−
 
ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だから立って行動にでたが、その時はすでに遅かった。

( 丸山真男 『現代政治の思想と行動』 未来社 )



百万人と一人  
 

壷井 繁治

 
一滴の水では
蟻一匹すら押し流すことは出来ぬ
一人の人間の力には限りあり
われらは一人一人にして
また百万人

一滴一滴の水が集まって
大河となるように
われらも集まって
新しき流れとなろう
われらの道を塞ぐ
一切の邪魔者を押し流すため

すでにあの広場からは
歌声が聞こえて来るではないか
爽やかな五月の風に乗って

潮騒のように

一人一人の歌声よ
百万人の合唱となれ
百万人の合唱よ
千万人の胸にまで響け
われらの広場は
われらで黒く埋めよう

われら一人一人にして
また百万人

 

人間の寿命は、個人差はあるとはいえ、およそ3万日(約82年)。

人生は三部作
最初の1万日は、生成の時代。
爆発的な体細胞の増加で、体を造り、人としての基礎知識を得て、成人となる。

…次の1万日は社会人として、家庭人として、生活の基礎を築き社会に貢献し、次代を担う子を育てる。

我らに残された日数はもう少ない。
最後の1万日は、せめて穏やかに、社会を見守り、この心体の消滅する、その時まで、静かに余生を送りたいものだ。

残された最後の、1万日の静穏を奪うことは、何人たりとも許さん。
…by simanto114

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2015.10.15(Thu)11:45 |  未分類  | コメント : 33 | トラックバック : 36
 2009/11/06(金)

毎日、『陸に上がった河童』状態で、ボーッとしている内に、世間はまたぞろ騒がしくなってきているようだ。自民党とあまり変わらないか?と思われていた民主党政権が意外とまともに頑張って政権運営に励んでいるかと思って感心していると、今度は沖縄の基地移転問題で、岡田外相が「基地の県外移転は公約ではない」なんて言い出して問題となっている。

問題はそれだけではないようだ。「後期高齢者医療制度は撤廃する」と公約していたのに、こちらは鳩山首相が「新しい制度ができるまでは撤廃を先送りにする」と言い出した。

おいおい、選挙公約は子どもの約束より軽いのかえ?

さらに、首相の「故人献金」問題が再燃したと思ったら、それに油を注ぐ、小沢一郎の政治資金パーティーの虚偽記載が問題になってきた。さすが金に汚い(金を大事にする?)ダーティー小沢の面目躍如だが、国民の目から見ればどうなのか?明日の生活費にも事欠く国民の目から見て、新政権幹部の金銭感覚は受け入れられるのかな?

もっと怖いのは、小沢幹事長が強引に推し進めようとしている、 「官僚答弁の禁止」の法制化である。こちらは、憲法の保障する意見表明の自由というか、言論の自由をに縛りを掛けることにもなり、な〜んか、小沢君の持論・ 「国連の決議があれば、武力の行使を行うことも、憲法上許される」という彼の特異な憲法解釈を、国民に押し付けられそうで、かなり背筋がゾクゾクする。

さて、今後の政権運営が、国民の期待にどれだけ応えてくれるのか?民主党の怪しさと危うさも同居している政治の方向から、しばらく目がそらせなくなりましたね。(笑)

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今日は、さらにもう一つの話題が気になりました。私の過去ログ 340::原発やめろ!ブルーサーマルやめろ! でも触れているが、ついにというか、とうとう玄海原発のブルーサーマルが動き出してしまいました。危険な原発の中でもさらに危険・・・なブルーサーマル・・・野放しにはできません。

プルサーマル「臨界」に 玄海原発、9日から発電開始…asahi.com から

国内初となるプルサーマルの試運転が5日午前に始まった九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の3号機は同日午後11時7分、核分裂が連続して起こる「臨界」に達した。9日からタービンを連動させて発電を始め、5段階に分けて出力を最大まで上げていく。使用済み核燃料から核物質プルトニウムを取り出してリサイクルするプルサーマルは、国の検査を通れば12月2日にも営業運転に入る。

 同原発3号機の中央制御室では5日午前11時、運転員が原子炉のブレーキとなる制御棒を炉心から引き抜く操作を始めた。プルトニウムやウランの核分裂によって上昇する炉内の温度や出力が計画通りかどうかを入念に計器で確かめながら、臨界に到達するまでは半日がかりだった。

 九電によると、今後、経済産業省の原子力安全・保安院が制御棒の利き具合などを調べ、異常がなければ9日から発電を開始する。出力を30%から50、75、90、100%と、今月中旬までに徐々に最大出力まで引き上げたのち、保安院による最終検査「総合負荷性能検査」を受ける。これに合格すれば12月2日にも営業運転に移行する。

 プルサーマルは原発から出た使用済み核燃料を加工し、燃料として再使用する国策「核燃料サイクル」の柱。使われるプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料は、使用済みのウラン燃料からプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜて製造される。

 ただし、MOX燃料はウラン燃料より割高で、使用後は当面、原発構内の貯蔵プールに保管されるが、具体的な処理方法は決まっていない。核兵器の材料になり、毒性が強いプルトニウムを使うことを不安視する声は根強い。

 同日午後、自治労などでつくる「県平和運動センター」は佐賀市で抗議の街宣活動をした。宮島康博議長(55)は「安全に対する説明をあいまいにしたままで起動を強行するのは許せない」。佐賀市の九電佐賀支店に抗議に訪れた市民団体「NO! プルサーマル佐賀ん会」の伊藤正樹・共同代表(50)は「生じた使用済み燃料をいつまで玄海原発に置いておくのか」と同支店幹部に詰め寄った。


この問題はまた、四国電力伊方原発(愛媛県)で来年2月、中部電力浜岡原発(静岡県)でも来年夏ごろから実施予定。関西電力は高浜原発(福井県)にMOX燃料を11年3月末までに装填したいとしており、中国電力の島根原発(松江市)も14年度中のプルサーマル開始を目指している。電力各社でつくる電気事業連合会は「15年度までに全国の16〜18基で実施する」としている。

これはきっと、政府と企業と核兵器崇拝者たちの陰謀に違いない。冗談で無く、陰謀論大好きなブロガー達には、この問題こそ、一大陰謀論として、ぜひとも取り上げていただきたいものである。

ブルーサーマルは、ウラン資源の節約効果としては、極めて乏しいと言われており、経済的にも見合わないと言われている。また、最も処分に困るといわれるプルトニウムが増えるなど、問題が多く、ブルーサーマルに使うMOX燃料は、ウラン燃料に比べて放射能が数百万倍も高く、製造・輸送・装填(そうてん)の段階で燃料の扱いが難しくなり、労働者被爆の危険性も格段に高まると言われています。

こんな、無粋な発電になんで金と力を注ぎ込みたいの?もっと他に、国民が反対しない、風力発電・水力発電・地熱発電・太陽光発電…etc・・・日本の高い技術力を持ってすれば、もっと国民が喜ぶ粋な発電方法があるでしょうが。政府や財界や一部オタッキー達にとって、国民が喜ぶ…というのはタブーなんでしょうか。

原爆反対! 原発やめろ!

どうしてもやりたいなら、まず東京近郊に集中的に建てろ!

 


2009.11.06(Fri)08:45 |  原爆・原発  | コメント : 0 | トラックバック : 0

2009/11/04(水)

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↑ つわぶきの花

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↑ ホトトギス

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↑ お茶の花

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↑ ほおずきの実

 

大阪に着いて3日が過ぎました。 四万十にいる時は退屈することなどまったくありませんが、大阪では『陸に上がった河童』状態…です。(笑)

(水の中で生活する河童は、陸に上ると無力であるということから、勝手が違って力が発揮できなくなること。水を離れた魚…とも言う。)

最初の日こそ、娘や息子の彼女などやってきて、少しはちやほやしてくれましたが、彼女らも仕事があります。毎日は、私の相手をしてくれません。

仕方なく毎日、パチンコで時間をつぶしていますが、パチンコ屋さんも景気が悪いようで出玉が悪い。それに何より、タバコの匂いがうっとおしい!

今日からは、心を入れ替えて、健康的な地域の散策に時間を割こうかと考えています。しかし、そんなこと最初から分かっていることで、3日も経ってから気がつくなんて遅すぎますね。

 

ということで、私の家がある大阪の田舎町…カメラ片手にうろついてみようと思います。

いい写真が撮れましたらまた紹介します。

 

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ところで上の写真 名称不明 なんですが、どなたか名前をご存知の方いらっしゃらないでしょうか?

花の形から見ても、なすびの仲間には違いないと思うのですが、なかなか名前が分かりません。鋭いとげがあり、しかもピンポン玉くらいの真っ赤な実がたくさんなります。

かなり特徴的なんですが、いくら検索しても名前が分かりません。

去年6月の北海道旅行をきっかけに、高山植物や山野草など、小さな花たちに興味を持ち、既に数千種の花を写しましたが、悩みの種は、花の名前が分からないことです。

気軽に始めましたが、どんな道も奥は深いですね。名前の壁にぶつかってしまい、花図鑑作りも暗礁に乗り上げています。

気長に根気よく、じっくりと調べ研究する以外に方法はありません。がしかし、何も急ぐ必要も無いわけで、小さな花たちとは、私の余生ある限り付き合っていくつもりでいます。

大きな体のごっつい 顔した男が、よう、こんな世界にはまり込んだもんやな…と私を知る連中はあきれているかもしれません。(笑)


2009.11.04(Wed)08:51 |  花の話  | コメント : 0 | トラックバック : 0

2009/11/02(月)

1日早朝に四万十を発ち、朝の9時ごろに大阪へ着きました。大阪は雨、寝転びながらぼんやりしていると、先日、渡辺 謙が泣きながら舞台挨拶していたのを思い出しました。

あれって…何だったのかな?

気になって調べてみたら、映画化された『沈まぬ太陽』の上映初日の舞台挨拶でした。

『沈まぬ太陽』は、山崎豊子原作のフィクション小説であるが、今から24年前のわが国航空史上最大の事故、520名もの死者を出した大惨事の背景に、乗客の命を軽視し、社員の人権を虫けらのごとく扱う国営航空会社の非人間的経営と、イデオロギーを出世の種にする第2組合の幹部たち、それに絡む政治家たちの醜い姿を、告発している小説だったと私は記憶している。

『ウィキペディア(Wikipedia)』 で調べてみると  日本航空123便墜落事故 が出てきた。

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、日本航空(現:日本航空インターナショナル)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根[※ 1]に墜落した事故である。

概要 [編集]
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書[1]によると、死亡者数は乗員乗客524名のうち520名、生存者は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では最多であり[※ 2]、単独機の航空事故でも世界最多である[※ 3][※ 4]。

乗客の中には著名人が多数含まれていたこと、夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、企業の役員や外国人、家族連れの犠牲者も多かった。

社会全体に大きな衝撃を与えたため、一般的に『日航機墜落事故』『日航ジャンボ機墜落事故』という場合、この事故を指すことが多い。

事故調査は、同機がしりもち着陸事故を起こした後のボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が原因だとする航空事故調査報告書が1987年6月19日に公表され終了している。遺族などの一部からは再調査を求める声があるが、行われていない。

この時の事故には、国民的歌手であった坂本九も死亡している。わずかに生き残ったのは、たったの4人のみ、全て女性であった。彼女たちたがロープで吊り上げられヘリコプターに収容される姿を、今でも覚えています。

この事故は、事故の内容といい、事故後の情報の錯綜といい、政府や会社の対応といい、色々と問題の多い事故でした。たとえば事故現場についても
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B7%A3%E9%B7%B9%E5%B1%B1 によると

御巣鷹山(おすたかやま)は群馬県多野郡上野村にある標高1,639mの山である。

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故の際には、多くの報道で「御巣鷹山に墜落」と伝えられていたが、実際に墜落した場所は「高天原山(たかまがはらやま)に属する尾根」であり、御巣鷹山に墜落したというのは誤り。報道により「御巣鷹」の名前があまりに浸透してしまったこともあってか、後に上野村村長によって「御巣鷹の尾根」と命名された。

事故現場一つとっても、この有様である。事故の対応や遺族への対応、そして事故調査の杜撰さについては、いまだに遺族にとって納得できるものになっていない。どうも、臭いものには蓋をする…情報隠しが行われたように私は思います。

同じくウィキの指摘は、歯切れが悪いが、この映画化への妨害的な(非協力という形で)動きを取り上げている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E3%81%BE%E3%81%AC%E5%A4%AA%E9%99%BD

2009年10月24日公開。若松節朗監督、渡辺謙主演。3時間22分と長時間の作品であり、上映途中に10分間の休憩が入る[1]。

小説の内容から映像化は困難といわれていた。2000年に徳間康快・大映社長が、東映との共同制作で映画化を発表したものの、徳間社長が死去したため実現しなかった[1]。2006年5月には、角川ヘラルド映画(現・角川映画)によって2008年夏公開を目指し製作されることが発表されるなど、何度か映画化の話が持ち上がったが、実現していなかった。また、同じ著者による『白い巨塔』を二度にわたって映像化したフジテレビが2009年の開設50周年にあわせてテレビドラマ化するという企画があったが、立ち消えになっている。しかし、2008年12月、角川映画は、2009年秋公開として正式に映画化を発表した。角川ヘラルドに吸収合併された旧・大映の社員が奔走し、映画化にこぎつけたという。2009年2月にイランロケでクランクイン[1]。アフリカなどでの撮影も行われ、日本の空港シーンはタイの空港を利用して撮影した。飛行機のシーンは、日本航空の協力が得られなかったため、CGによって再現した[1]。

映画化について、日本航空は「ご遺族の中には映画化を快く思っていない方もいらっしゃる。すべてのご遺族の心情をきちんと汲んで欲しい」と映画化反対のコメントを出している[2]。また、日本航空から角川に対し「名誉毀損の恐れがある」と警告文を2度送っているという[2]。 角川は「映画は全くのフィクション」であるとしている[2]。また、本編の最後には、フィクションである旨の但し書きが表示される。

>映画化について、日本航空は「ご遺族の中には映画化を快く思っていない方もいらっしゃる。すべてのご遺族の心情をきちんと汲んで欲しい」と映画化反対のコメントを出している[2]。

日本航空の、この白々しいコメントには、怒りがこみ上げます。安全対策は不安、社員の人権は無視、経営は放漫にして既に破綻…またぞろ、国民の税金の投入を催促しているJAL。こんな経営陣の無責任さが、24年前の、この事故がいまだに忘れられずに、今頃映画化が完成するという異常さに繋がっていると私は思います。

この事件が、どんな形で起きたのか具体的で生々しい証言があります。   生存者の一人・落合由美さんの証言 をごらんいただくのが良かろうかと思います。

最後に、『沈まぬ太陽』の公式ホームページから 渡辺 謙の舞台挨拶を紹介します。
http://shizumanu-taiyo.jp/report/091024.html

初日舞台あいさつ
2009/10/18
【登壇者】渡辺 謙、三浦友和、松雪泰子、鈴木京香、石坂浩二、若松節朗監督、ヴァイオリン奏者・ダイアナ湯川(敬称略)

●ご挨拶

渡辺 謙:
本当に沢山の方にお集まりいただきまして、ありがとうございます。
私事で申し訳ないのですが、この映画を観る機会がございませんでした。ちょうど新作映画の撮影の為に帰国が遅れて、いつ観ようかと思っていたのですが、こうなったらお客様と一緒に観るしかないと思い、同じ空気の中で皆さんと観させていただきました。
いかがでしたでしょうか?(会場から大きな拍手をいただき、涙ぐむ渡辺 謙さん)
自分の映画に感動して泣いている訳ではないんです。ここまで来るのに、どれだけ皆が大変な思いをして映画を作ってきたかというのを、ちょっとだけご理解いただきたいと思ってます。(会場拍手)
角川さんありがとうございました。監督、ありがとうございました。
僕たちがこの映画をやる前に、この映画をやりたいというプロデューサーの方達も沢山いらっしゃいました。そういう人たちの熱い気持ちを忘れる事の無いように、僕たちも一生懸命やらせていただきました。もちろん、事故で亡くなられた520名の方々の気持ち、そのご遺族の気持ちを絶対に無駄にしてはいけないという、そんな気持ちで頑張ってきました…(再び涙ぐむ渡辺 謙さん)
そうやって映画が作られた事を、本当に誇りに思っています。
今日は本当にありがとうございました。(会場から大きな拍手)

●渡辺 謙さんの紹介により、ダイアナ湯川さんが登壇

渡辺 謙:
厳しい社会情勢の中、経済情勢の中、仕事を失ったり、会社か裏切られたり、そんな方々が沢山いらっしゃると伺っています。明日へどうやって希望をつないでいこうか、そんな事を思い悩んでる方も沢山いらっしゃると思います。僕はこの『沈まぬ太陽』という作品をどんな風に受け止めようかなと思っているのですが、きっと燦々と輝く太陽ではないけども、でも今だに力強く暖かく大きく今地平線に沈もうとしている太陽が目の前にあって、油断をし5分くらい目を離すとあっという間に地平線の中に消えてしまう、だから今、しっかりその希望の光を目に焼き付けて、ちょっと今は闇の中にいるけれども明日の朝日を待とう、今の時代だからこそ、そんな風に僕はそう理解したのかもしれません。そんな最後の太陽が皆さんの希望の灯火になって、届いてくれたら嬉しいなと思っております。

そしてもう一つ、この映画に希望の灯火を灯してくれた音楽家が一人います。この映画は10分間の休憩が入りますが、10分間の間、そっと優しいヴァイオリンが流れています。そのヴァイオリンを引いている音楽家の方は、今ロンドンで活動しています。その方は、1985年の9月生まれです。実は御巣鷹山の事故でお父様を亡くされたご遺族の方で、事故より一ヶ月遅れで生まれてきたため、彼女はお父さんの顔を知りません。彼女は音楽家になっても、ずっとお父様への思いを音楽に込めて今まで演奏してこられました。角川歴彦宛に、ぜひこの映画に参加させてほしいと手紙をいただきました。音楽家として、この映画が私の心の全てだから、そういう思いを込めて参加したいというお手紙をくれました。
10分間の休憩、映画は途切れますが、彼女の「祈り[永遠の記憶]」とう曲で、映画はずっと一本につながる事ができました。
その彼女が、今この場所に来てくれています。


久しぶりに見ごたえのある日本映画が登場したと思います。ぜひ見に行きたいと思っています。

2009.11.02(Mon)09:43 |  社会問題  | コメント : 0 | トラックバック : 0

2009/10/31(土)

今夜、四万十を発つ。今度は息子の結婚式だ。親として出席しない訳にはいくまい。彼女も可愛いし、ご両親もいい人たちだ。
今年2月には、娘が結婚して彼と、彼の親族と、我が家を取り巻く親族の輪が段々と大きく育っていく。
まるで私の耕す畑の野菜たちが育っていくように。。。って、そんなもんと一緒にすんな
…と叫ぶ息子の顔が見えるようだ。かっかっかっ。

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一旦四万十を離れると、やはり最低20日は留守になるか…となると、その準備だけでも結構忙しい。女房がいるときは、雑用はすべて女房がやってくれるのだが、いないとなると、とたんに忙しくなる。
まず3日前から、気になっていた南側のペンキ塗りに取りかかった。

家を建ててからまだ2年半だが、木造の壁は、特に日が当たる南側の痛みが激しい。板の隙間を埋めて、塗料を塗っていく。手慣れたものだが、それでも2日かかった。なんで今頃ペンキ塗りよ、なんて突っ込まないで、こんなもの余裕よ、余裕。(笑)

後は、洗濯だ。これは簡単。洗濯機に放り込んで、出来たら干したら終り。

結構大変なのが、持っていく身の回り品の整理だ。自分の服はもちろん、デジカメや、パソコンへの接続用機器、充電器、それにデータのバックアップ。これらを忘れると、大阪でのブログ更新が大変なことになる。
それに財布、免許証、鍵に預金通帳に健康保険証エトセトラ。。。

さらには、ゴミの処分、冷蔵庫の中身の処理、畑の野菜は採取して湯がいて、切断してビニール袋に入れて冷凍庫へ、さらには残ったみそ汁も捨てるのはもったいないと、なんと鍋ごと冷凍庫へ入れました。我が家には魚釣り用に業務用の冷凍庫が置いてあるので、こんな時には豪快に対応できます。

おっとっと、忘れてはいけない。息子と、その彼女にくれぐれもよろしくと頼まれた、竹細工製品があったっけ。。。慌ててそろえて、車に積み込みました。
これを忘れちゃ、様にならない。

これでおしまいかな?おっとそうだ。夕食の後の食器洗いに台所の片づけ、さらにはボイラーの電源落とし。家の外回りの片づけに、里が無人になるので隣近所の見回りetc…挙げれば限がないので後は省略しますが、こんだけやることがありゃ、一つや二つ忘れたことがあってもしょうがないよね。

・・・と言うことで、最後にブログの更新をしておいて、とりあえず一旦睡眠をとります。目覚めたら出発です。おやすみなさい。。。zzz ZZZ



2009.10.31(Sat)20:31 |  未分類  | コメント : 0 | トラックバック : 0

2009/10/30(金)

禁煙してから今日で約1年1カ月になります。私的には史上最長の禁煙記録です。これまでに3カ月の禁煙が2回、それが今までの最長記録でした。
それに比べりゃ、表彰状ものの大記録達成です。エッヘン!えらいがか?(土佐弁風に)

思えば、大人になった記念に、煙にむせながら、頭くらくらさせながら喫煙を始めたのが20歳の時、それから延々42年間、たばこを吸い続け、これで寿命が縮まっても本望だい!…と江戸っ子を気取ったこともありましたが、何とも情けない思いをしたのは、体調を崩しゴホンゴホンとむせながらも煙草を吸うときのいじましさ。俺は何で、ゴホンゴホン言いながら煙草をやめられんのや?
本気でそう思いました。

それから始めた禁煙への挑戦は40歳代から、約30回もの挑戦に失敗して、昨年に繋がります。悟りの遅いさすがの私も昨年は、普通では禁煙できないと、これも初めて禁煙外来を利用いたしました。
病院の力と言うか、薬の力と言うか、さすがにその力は偉大でした。脱帽!…私の根性も決意も薬の力には勝てませんでした。と言っても酒井法子の薬とは違いますから。。。(笑)

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恐るべし、チャンピックス…約2カ月の服用で煙草が止まってしまいました。禁煙から1年と1カ月…その間1本の煙草も吸っていません。今でもたま〜に煙草がほしいな、と思うことはありますが、ちょっと意識を他にずらせば、欲求を忘れてしまいます。

煙草をやめて感じたことは、まず何と言っても空気がうまい。と言っても経験のない人には理解できないでしょう。(笑)
呼吸が極めてらくちんになりました。痰が少なくなりました。
そして何よりもご飯がおいしい!
頭も少しだけすっきりしたかな? 何しろこちらは老化が進行中で、はっきりとは自覚できません。

その代わり急激に体重が増えました。知識としては太るよ…と言うのはありました。それでも気がついた時には手遅れでした。15キロも太っていました。50代まで、いくら食べても太らず、20歳の時に作ったスーツが今でも着られる…と言うのが、私の自慢だったのに、20歳どころか、50代で作ったスーツも含め、着られるスーツが1着もないというのは、実に悔しい、認めたくない現実でした。

慌てて体重計を買いました。パクパク食べていた甘いものも、少しは控えることを覚えました。涙ぐましい努力の成果…ピーク時より5キロだけ体重が減りました。うれしい!
それにしても、この私がダイエットを考えるなんて、想像もできないことでした。
これに比べれば、自公政権の没落、民主政権の登場なんてのは、想定内のことです。
人生、年齢とともに、今まで知らなかった自分が次々と現出してきます。楽しいですよ。(笑)

それにしても、私の禁煙はこれからも続きます。人間いくつになっても、生きている限り人生への挑戦は続きます。
YES WE CAN!
人生何よりも大切なことは、あきらめないこと!
人生何よりも大切なことは、チャレンジし続けること !
人生何よりも大切なことは、社会に関わって生き続けること !
人生何よりも大切なことは、社会の変革を目指し続けること !
人生何よりも大切なことは、家族を愛し、隣人を愛し、この地球を愛すること!です。


2009.10.30(Fri)07:00 |  禁煙への挑戦  | コメント : 0 | トラックバック : 2

 2009/10/29(木)

昨日、午前中は、台風18号で沈没した、わが愛艇「木の葉号」のエンジンを分解し、水洗いしてオイルを塗り、再び組み立ててみた。何しろエンジンの組み立てなど今までやったこともない。これでうまくいくわけがない。案の定、失敗の繰り返し、組み立てる順番や部品の方向を間違えてばかり…何度もボルトを締めては、また取り外し…試行錯誤の上、やっと8割方は組み立てたが、シリンダーの圧縮を強めるためのリング2本を折ってしまった。

まあ、3日間海水に浸かっていたエンジン、失敗してもともとという気でやっているので、構わないのだが、リングは取り外したままで組み立てている。これで、エンジンが再び動き出すかどうか、極めて自信がない。(笑)

もしもだが、エンジンが再び動き出したら、業者に頼んでエンジンのリングをはめてもらう予定だ。だが、その可能性は、もしも…であり、万一の奇跡…なのである。

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写真↑は、26日我が家の窓枠に停まっていたアサギマダラです。撮影したのは、まだ薄暗い早朝でしたので、アサギマダラだと気付いていませんでした。

気になって、後で調べてみてやっと気がつきました。どんくさいですねえ。

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サルナシの実甘〜い アケビの実も石ころではない…ムカゴだよ

午後からは、大阪へのお土産にしようと、ムカゴ採りに出かけましたが、今年はムカゴは不作のようです。昨年は面白いほど採れたムカゴが、全く目につきません。柿の実なんぞはよく、豊作だ、不作だ…と言う年がありますが、ムカゴもどうやらそのようですね。

ムカゴがあまりにも少ないので、渋柿の実や、いつもは横目で眺めるだけのアケビの実をもいだりして帰ってきました。サルナシと言うのは、みなさん、あまりご存じないと思いますが、簡単に言えば、キウイの野生種だと思えば間違いありません。かじってみましたが、かすかな甘みと強烈な酸味…つまり、酸っぱくてまずくて、とても食えるものではありませんでした。(笑)

午前中は、エンジンの分解・掃除・組み立て、午後は野山を歩き回ったせいか、その晩は腰が痛くて、痛くて…トホホの気分でした。もう頭もそうですが、体の方もあまり無理が効かなくなりつつあるようです。御同輩、お互いに無理は禁物、ぼちぼち生きましょう。

 


2009.10.29(Thu)07:58 |  野山の散策  | コメント : 0 | トラックバック : 1
2009/10/27(火)

速足で駆け抜けていった台風20号の影響で、この2,3日天候も荒れ模様ですが、皆さんお変りはございませんでしょうか?

先日まで、半分投げやりになりながら、政治ブログを続けていましたが、今日から部門を変更し、気を張らずお気軽路線で気まぐれ日記でも続けていこうと思っています。
それにしても、ネットにおける政治部門のランクを見ると、うんざりしますね。大して中身のない右翼的で、声が大きくて?…恫喝的なかな。そんなブログばかりが上位にならんでいます。
最近の若者は、希望の持てない社会に、ナチス的な怒りと絶望の捌け口を求めているのでしょうか?

いずれにしても、老兵は去るのみです。これからの社会、未来は、若者たちが自らの手でつかみ取る以外にありません。

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それはそうと、先日多忙な中で今年2回目のボラ釣りに出かけてきました。今年こそボラの卵でカラスミを作るぞと意気込んで出かけましたが、釣果は写真の通り…9時から12時まで竿を出しましたが、60センチ級のボラ4尾と、手のひら級ローニンアジ?2尾だけでした。

この大きさでは卵は抱いていません。もっと大きなボラ…竿がしなり、糸がビーンと唸るような大物のボラが釣れないとカラスミづくりは出来ません。今年は、これから帰阪する用事があります。さらに九州にも用事があります。どうやらカラスミづくりは来年の課題になりそうです。

昨日、アサギマダラを見かけました。庭には黄色のツワブキの花が咲き、冬の象徴・サザンカの花もチラホラと咲き出しました。季節は今年も巡っています。寒い木枯らしの吹く季節、インフルエンザに負けずに、皆さんも人生健気に生きていきましょう。(笑)

本日は、日記部門への移転のご挨拶でした。

 


2009.10.27(Tue)07:16 |  ごあいさつ  | コメント : 2 | トラックバック : 1

2009/10/22(木)

SIMANTO  BBSのタイトルをSIMANTO114残日録に変更したのは、そろそろ政治ブログから引退して、お気楽日記に移動する伏線であったのだが、未練たらしく未だに政治部門に身を置いている。しかし、近いうちにそういうことになるだろう。

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11月は息子の結婚式のため、また大阪へ帰る予定になっている。結婚式に参加して下さる方たちへ、せめてもの感謝のしるしとして、色々と竹細工に取り組んでみた。

出来るだけ簡単で、なおかつ喜んでもらえるもの…判断基準は難しいが、とりあえず竹の燭台(灯り)3台、花瓶3個、竹トンボ100個を作りました。なお竹トンボには念のため、防カビ用のペイントを塗りました。

家を建てている時分には元気いっぱいだった体も、若干老化が進んだみたいで、竹を切ったり、削ったり、穴をあけたりする作業中に、何度も指が攣(つ)りました。これでは、複雑な竹細工への挑戦はもう無理かもしれないな…と少し弱気になっています。

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夜、3台の燭台に灯りを入れてみました。若干無骨な感じはありますが、それでも結構ムードがあります。

今年初めの娘の結婚式には、ただおろおろするばかりで、竹細工の記念品づくりもできませんでしたが、今回は、つまようじ入れを始めとして、ずいぶん遊びました。

燭台は、早速我が家で使う分も作ってほしいと要請が来ています。いくつか作って、夜の庭に配置するのもいいかな?…と若干その気になっています。(笑)

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2009.10.22(Thu)15:56 |  工作日和  | コメント : 0 | トラックバック : 1

2009/10/21(水)

10月10日…3連休の初日に天草を離れ、四国へ帰ることになった。高速を走るのも1つの方法だが、毎回同じコースと言うのも芸がない。

と言うことで、阿蘇の草千里を通り、高千穂の峰を拝見し、五ヶ瀬川沿いに宮崎の延岡へ抜けることにしました。

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高千穂峡と言えば、皆さんはどんな場所と想像しますか?

おそらく、深山幽谷を想像される方が多いと思います。と言う言い方は、明らかにそうではないよ…と言ってるも同じですね。

高千穂峡は、皆さんの想像に反することが多い観光地なのです。場所的には、深山幽谷ではなく、町の中心部から約1キロほどしか離れていません。町のはずれに突然姿を表します。

そう、突然姿を現す…これが2つ目のポイントです。この高千穂峡の写真の上の橋が街並みを繋ぐ橋です。つまり、高千穂峡は街並みの上方にあるのではなく、街並みの下に、えぐられたように続く渓谷の中にあります。従って、渓谷が目に入るまで、まったく、その姿は見えません。文字通り、突然姿を表すのです。

高千穂峡と言えば、約40年も昔に、職場の友人らと一度訪れた思い出があります。10代後半から20代前半、総勢何人だったか、覚えていないが、バイクにまたがり九州を走りまわりました。DOHCのCB450が、私の当時の愛車でした。

そのメンバーと訪れた時の、イメージと違います。あれれ、おかしいな? と思いながら歩いていると、やっぱりありました。この写真の位置です。この景色が40年前の私の記憶に残っていた高千穂峡の景色でした。あの時と、全く変わりがありません。いきなり記憶が40年の時空を飛びます。

この時のメンバーとは、通信も途絶えて、近況も知れませんが、元気に生きているのでしょうか?

しばし感慨にふけりながら、ひと時を過ごしました。

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高千穂峡、随一の景観は、ここでしょうね。高千穂峡が町中にあるのを完全に忘れ去る空間がここにはあります。

通常の観光地は、人の目線より上に対象物や観光地が存在します。しかし、ここ高千穂と言うより、阿蘇山渓全体に共通しますが、この阿蘇山渓では、滝にしても渓谷にしても、ほとんどが目線より下にあるのが特徴です。

平らな台地の上に街並みが広がり、台地と台地を隔てる渓谷に観光地が存在する。それが阿蘇山渓の特徴です。

40年前は、コースは今日と逆になります。延岡から阿蘇に向かって走りましたが、今日は延岡に向かって走ります。五ヶ瀬川沿いの国道は、40年前は、全く舗装されておらず、汗と埃で、顔が能面を被ったようになったのを覚えています。

しかし現在の218号線は、完全に舗装されバイパスも作られ、緑に覆われた山里を気持ちよく走られました。延岡から10号線を北上、宿毛フェリーの港、佐伯まで、少し疲れましたが楽しい旅でした。

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2009.10.21(Wed)09:11 |  旅の思い出  | コメント : 0 | トラックバック : 0
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残された人生、命ある限り、ある程度世の中のお役にも立ちつつ、海・山・川に戯れながら生きたい…と結構欲張り爺さんのぼやき日誌です。

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